11.パリの空気

マルセル・デュシャン展から帰ってきて

私たちは夕食を摂った


焼いた魚に箸をおしあてると皮は

割れて乾いた音をたてて

しろい肉をあらわすそのひと切れを

口に運び白米を

左手にした椀から掬った


「パリの空気」という作品

私たちはパリの風景をなにひとつ

知らない


明日は祝日だし

どこへ行こうか

「海なんてどう」と妻は言った


褐色の海藻

白い日に叩かれて

ささくれも波に揉まれて

丸くなった木片が乾いている

鼻緒の抜けたビーチサンダル

砕けた発泡スチロール

コールタール

波打ち際にぽつぽつと空いた穴


パリの空気を封入した中空のガラス細工


私たちは

松並木のさざめきと

海潮音の間を歩いた 心地よい

空腹感


パリの空気はデュシャンの生きたパリの空気

封入するとき熱せられ

組成がすこし変形してしまった

私たちはパリの風景を知らなかった

パリの空気をつつむガラスの

光沢に映るパリの風景を見てきた

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