第63話・その女はアキをベッドに誘う

 

「……“そしてその美しい王女は醜い魔女を殺し、その女とデキていた頭の悪い王子も殺して、世界を美と愛で支配する素晴らしい女王になったのでした。めでたし、めでたし”」


 白い床で偽りの虹が操られる。

 女は吹き出しす。


「やれやれ。くだらないこと」


 手の内で転がしていた三角錐のプリズムをつまんで高くかざす。

 自分を映すと角度を変え、入ってきた者を確認した。


「憂理は?」


 アキは折りたたまれた手紙を指で挟み、持ち上げて見せる。


「全ての手紙は私が先に目を通すことになっている。私は異世界の文字も読める」


 吹きこんだ風にそれを持ち去らせた。


「憂理よりも先に読んだってことか」


 女はうなだれ、ため息をつく。


「飛翔も呼び出していたのに待ちぼうけ。レジスタンスには手紙を届けることすら出来なかったみたい。結局、待ち人来たらず」


「憂理をここへ誘い出そうとした目的はなんだ?」


「飛翔と三人で同窓会を開くつもりだった。異世界から来たとはいえ私は処女ではないから魔力を持たない。けれど、皇帝に与えられたこの金の鎖があるから私に魔力は通用しない」


 首にかかった、ひとつが三センチの太い鎖を人差し指で後ろに伸ばして見せる。


「私の世界にいた目ざわりな女を異世界へ追放するはずだったのに、邪魔した男まで一緒に送ってしまった。結果、ふたりをここでイチャイチャさせることになったなんて黙っていられない。絶対に離してやるって。思い切って自分の周りに魔法陣を書いた。本当に自殺行為。死ぬんじゃないかって恐ろしかったけど、顔を潰したやつらに落とし前をつけずにはいられなかった」


 語気を強めたが、また嘆息する。


「なのに、ネイチュに来たら、思っていたのとは違うことになっていた。ふたりは結ばれたわけじゃなかった。憂理は強い魔力を持ったことで、皇太子さまの“処女の妃”になっていたなんて驚き。まあ、それでもいいんだけど」


 再びプリズムを弄ぶ。


「ここでは分不相応なお妃になってチヤホヤされている憂理が“清らかな処女”でありながらも、どれほどはしたない女なのか。私が憂理に魔法陣を書きながら念じ、体につけた傷を飛翔に見せて惨めにさせたかった。あれをみたら、飛翔も二度と憂理に思いを寄せることなどないはず」


 それを窓辺に置いた。


「それとも皇子さまは知っているのかしら? 憂理の体に傷がついていること。その傷の意味。正確に言えば文字の意味。魔力を利用するために抱いていないんでしょうけど、裸ぐらい見たことがあるでしょ。日本語が読めるのなら意味もわかるはず」


 手をひらひらさせる。


「あんな女を本気で妃にするとかありえない。ただ魔力を使うために利用するだけ。憂理も、たとえ抱かれたとしても、愛されているんじゃないとわかっているはず」


 アキは黙っている。


「皇帝の名の下で私のために皇太子ともども一生働かせるつもりだった。でも……。ここへ来たあなたを見て気が変わった」


 女はすばやくアキに顔を向ける。


 大きな瞳にふっくらとした小さな唇が印象的な愛らしい見た目をしていたが、うぬぼれた悪臭を身にまとっていた。


 ゆっくり体を起こすと赤いランジェリーでベッドの上を這い、アキに近づいた。


 首を伸ばし、顔を傾ける。


「震えがくるほど美しい男。その場にいるだけで光のように輝いている。ハリウッド俳優でもモデルでも見たことがない。元いた世界にはいないのかもしれない」


 アキを食い入るように見つめる。


 品と知性とプライドを持ち合わせた高貴な男の宝石のような黒い瞳に恍惚とした。


 その左手の金の指輪に注目する。


「形だけの結婚とはいえ、憂理にはもったいない」


 ふたたび、アキを見上げる。右手を差しのべ、手のひらを上に向ける。


「ねえ、女を抱きたいんじゃない? 私が慰めてあげる。皇帝にはこの世界の海が見たいと頼み、ここでひとり休養することを許されたの」


 舌で唇をなめ、声を吐息にする。


「誰も来ないし、誰にも気づかれない……」


 キャミソールを大きくふくらませる白い胸の谷間をわざと揺すった。


 アキは女を見下し、その胸元から濡れた赤い唇へ視線を移す。


 硬い表情を崩し、まんざらでもない様子をみせた。


「お前が言うとおり、憂理は私が皇帝になるための道具にすぎない。アルマが支配すべき町は神官の結界に覆われ、魔力で破壊することはできない状態にある。こうなった以上、憂理は不要だ。側に置く必要も、無論、抱くこともない。だが、私は皇帝になることをあきらめていない。そして、皇帝になったあかつきには、ひときわ美しい女を皇后にしたい。お前はそれにふさわしい」


「私も……。あの醜く歳をとった不死の皇帝に若さを使い捨てにされるより、若く美しいあなたがいい」


 アキはベッドに歩み寄り、女の左側に腰掛ける。

 右隣に来るよう指で軽くたたく。

 女が従い、足を崩して寄りそうと、右の肩を強く抱きよせ耳元にささやいた。


「皇帝は新帝都の建設が止まっていることで、私に激怒している。とりなしてくれないか?」


「いいわ」


 女は、その腕の中にしなだれる。


「今すぐ抱いてくれるのなら、私が偶然知った皇帝を殺す方法を教えてあげる……」


 色めく瞳を上げた。


 アキは共犯者にうなずき、迷うことなく左手の薬指から金の指輪をはずす。


 女に見せつけ、持った指の背でその頬をなでる。


「これはお前のものだ」


 腕を伸ばし窓辺に置かれたプリズムに掛ける。

 そのまま女をベッドに押し倒した。


 ーーーーー


「アキが帰ってこない」


 私は千キロは転移できるアキが夜になってもシャビエルの宮殿へ戻ってこないことに不安を抱いた。


 喉を通らない夕食をとると、ショールで肩をつつみ、外の転移場の側で待った。


「憂理さま、宮殿内に入ってください。体調を崩したら大変です」


 サジンが出てきて強い風に吹かれる私を案じる。


「アキさまは一日では戻りきれない場所まで移動したのかも知れません。強大な魔力を持つアキさまですから危害は受けませんよ。まもなく戻るでしょう」


 説かれて後ろ髪を引かれつつも宮殿の中に入る。


 深夜までホールで待ったが、その晩、ついにアキは戻らなかった。





 〈続く〉

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