第5話 一方その頃ワルダ城

 大きな衝撃が城を揺るがした。当初は皆地震かと思ったという。


 壁が突き破られた。部屋の中に巨大な岩が転がった。飛んできた岩に押し潰され、一人の侍女が事切れた。周囲にいた侍女たちが悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。


 すぐさま第二撃が城を襲った。城が震え、壁が崩れる音がした。


「落ち着きなさい!」


 ザイナブの声が響く。その声を聞いた人々が一瞬動きを止め、ザイナブのほうを見る。


 ザイナブは寝室から出てきたばかりなのだろう、男を魅了してやまない曲線美もあらわの薄衣の上に外套マントを羽織ったままの姿で階段をのぼってきていた。長く豊かな黒髪が乱れて滑らかな頬にかかる。


「大丈夫です、騒ぐのではありません。落ち着いて城の中心に移動するのです。第三の中庭に天幕テントを張らせています、女たちはそこへ行きなさい」


 年かさの侍女が布を持ってきてザイナブの頭に掛ける。ザイナブは巻くのすら手間だと考えているのか「ありがとうございます」とだけ言うとそのままの状態で歩き出した。


 列柱を早足で歩いていく。


 城の南側にも大きな岩がめり込んでいた。

 ナハル軍が投石機を使い始めたのだ。

 今は一時的にやんでいるが、間を置いてそのうち再開されるだろう。


 ザイナブは城の玄関にたどりついた。


 玄関に傭役軍人マムルークたちが詰めている。城の正門や城壁を守る者たちだ。彼らは交代制で休憩を取っている。今いる面子は朝の交代で戻ってきたばかりのようだった。休憩場所に玄関を選んだのは、それでも万が一敵が侵入してきた場合に最後の決戦の場として玄関で食い止めるという意図があるからだ。


「状況を説明なさい」


 ザイナブの姿を見ると、その場にいた傭役軍人マムルークたちが全員起立した。


「ナハル軍が投石機を使い始めました。城壁の見張り役の報告によると投石機は全部でふたつ」

「さようですか」

「歩兵は城壁で食い止めております。城壁の上から弓を放つ、油や石を蒔くなどの対応をしております。しかし――」

「さすがに堀の外からあの大きさの岩を投げつけられては敵いませんね」


 ザイナブは少し考えたようだった。この隙にも侍女たちが腕を伸ばして彼女に服を着せているが、彼女はお構いなしだ。しかし、周囲の傭役軍人マムルークの男たちもわきまえて何も言わない。今はただ真剣な目で彼女の反応を見ている。


「食糧自体はまだあと半年以上こもれるだけの備蓄がありますが、これでは城に詰めている者たちの士気が下がってしまいますね。心が折れれば人間はたやすく死にます。城本体が破壊される懸念もあります。今の投石で一人の侍女が死にました」


 傭役軍人マムルークたちがうつむく。


「不甲斐ない。申し訳ございません」

「かくなる上は打って出てご覧に入れましょう」

「およしなさい。たとえ我が家の傭役軍人マムルークたちが一騎当千の戦士たちといえど相手は三千、しかも侵略した各地で接収した最新の兵器を用意しています。みすみす命を落とさせるわけにはまいりません」


 ますます申し訳なさそうな顔をして、並ぶ男たちが皆歯を食いしばった。


「援軍を待つしかないのですか」

「ええ」


 ザイナブは即答した。


「生きるために戦うことを回避するのです。卑怯者と、弱虫とそしられようとも、自らが一日でも長く生きながらえると思われる行動をとりなさい」

「ザイナブ様……」

「案ずることはありません、食べ物と水はあります。あなたたちがそのような顔をしていたら女たちが不安がるでしょう、しゃんとしていなさい」


 彼女の声はあくまで冷静だ。


 一人の傭役軍人マムルークが一歩前に出た。


「逃げましょう」


 彼の目も真剣そのものだ。


「お連れします。お逃げになってください」


 ザイナブが彼の名を呼ぶ。彼がその場でひざまずき、深く首を垂れる。


「生きるためです。ザイナブ様さえ生き延びればワルダは何度でもよみがえります。この城を捨てましょう」

「城には城下町の民も避難しています。私がここを出るわけにはまいりません」

「生きよとおっしゃったのはあなた様ではございますまいか」


 力強い声で言う。


「突破口は我々が作ります。ご決断を」


 ザイナブは決して頷かなかった。


「私がここを離れたら、あの子たちはどうなるのですか」

「あの子たち、とは?」

「ギョクハンとファルザードです。私はあの子たちの帰る場所でなければなりません」


 男たちがざわついた。


「あの子たちはきっとやり遂げるでしょう。援軍を連れて帰ってくるでしょう。私はそれを出迎えて褒めてやらねばなりません。私はあの子たちの家です」


 一人が首を横に振る。


「これだけ時間がかかっていては、さすがに……」

「もはや生きているのかさえわからないのです。何の連絡もなく今日になってしまった」

「ナハル兵の追っ手もあっては、やはり二人だけでは……」


 はっきりと、ザイナブは「いいえ」と言った。


「あの子たちは必ずやってくれます。私は信じます。あなたたちも信じて待ちなさい」

「でも――」

「ワルダ城を明け渡すことによってあの子たちのやる気をぎたくありません。希望を失わなければ人間は生きていけます」


 また、城が揺れた。しかしその場にいた人間は誰も動じなかった。まっすぐ向かい合っていた。


 扉が開いた。若い伝令兵が一人玄関に転がり込んできた。


「ザイナブ様!」

「ここにおります。どうしました?」


 彼はザイナブに一本の矢を差し出した。正確には、矢にくくりつけられた手紙を、だろう。矢文だ。


 ザイナブの手が矢を取った。そして結ばれていた紙片を取り、広げた。


「ナハルからですか」

「ええ。ムハッラム本人が直接書いたもののようです、手に見おぼえがあります」


 ザイナブはすぐにたたんだ。


「ムハッラムは何と……?」


 ひとつ、息を吐く。


「私がムハッラムのもとにくだると約束するなら投石をやめてもいいとのことです」


 場がざわついた。


「なりません姫様! あの強欲で冷酷な男のものになるなどあってはならないことです!」


 侍女が悲鳴のような声で訴える。ザイナブが「わかっています」と答える。


「それは皆のやる気を一番殺いでしまうやり方ですね」


 また、轟音が響いた。


「ですが――時間を稼ぐためならば、必ずしも悪い手段ではありません。しばらく回答せずにおきましょう」


 今度は傭役軍人マムルークたちも「つけあがらせてはなりません」「すぐさまお断りください」と叫んだ。


「――あと、半月」


 一度唇を引き結んでから言う。


「あと、半月、待ちましょう。それであの子たちが出ていってから一ヵ月になります。一ヵ月何の音沙汰もなかったら、私はムハッラムのものになると回答します」


 そして遠く窓の外を見やった。雲ひとつない快晴が広がっていた。今日も暑くなりそうだ。


「大丈夫です。あの二人がお互いの本当の良さに気づいて手を取り合うことができたら、乗り越えられないことなど何ひとつないでしょうから」






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