絶対に上司にしたくないせっかちな後輩

あのきき


「ホント、愚図ですね先輩。早く歩いてください」


 新学期が始まった。

 山積みの資料を生徒会室に運ぶ道のりで、俺は一人の後輩に急かされていた。

 生徒会長の後輩と生徒会書記の俺。年功序列を掲げ年上を敬うか、社会主義に乗っ取って上司を敬うか、というのはこの立場の人間からすれば永遠の課題だろう。

 だが、この後輩は社会主義に乗っ取った、絶対に上司にしたくないタイプの人間だったのだ。


「……すまん」


 わざと不満げな態度で、でも一応謝る。

 後輩は「はぁ」と溜息をつき、こちらのことなど気にしないようにそそくさと早歩きで生徒会室へ向かっていった。


 はあ、めんどくさい。絶対機嫌悪いよなぁ。

 なんて、憂鬱な気分になりながら、ゆっくりと生徒会室に向かった。





「遅かったですね、ノロマ先輩」

「お前が早すぎるんだろ、せっかち後輩」


 うわっ、すごい目で睨まれたっ!


「じゃあコレ。よろしくお願いします」


 休憩しようとお茶を入れた途端、バンッ、と大量の資料が俺の目の前に叩きつけられた。


「おい! こんな量、一人でできるわけ……」

「やってもいないのに、出来ないだなんて決めつけないでください。わかったら手を動かして」


 自分より年下だとは思えない程の威厳。堂々とした態度。

 コイツが三年生を差し置いて、圧倒的票数差で生徒会長に当選したという理由が分かった気がした。


「……わかったよ」


 特に反論する気は起きなかった。


 無言で作業を始める。


 生徒会室には時計の音と運動部の掛け声だけが聞こえてくる。去年までは吹奏楽部の演奏が聞こえていたのだが、部員の大半を占めていた先輩方が卒業し、練習すら行われないようになってしまっていた。


 次第に、夕陽が射し始める。

 部活動を終えた生徒たちの話声が聞こえる。

 きっとこの後の寄り道の予定などを立てているのだろう。


「集中してください、まだ半分も終わってないじゃないですか」

「わかってるって。でもこれ完全下校時間までに終わる気がしないんだけど」

「生徒会は夜九時までは残っても大丈夫みたいですよ」


 九時まで働かせるつもりか!? 頭が痛くなる。


 コイツが生徒会長になってから他の生徒会メンバーは全員辞めてしまった。

 なんといっても仕事量が多い。それに加え、人の意見を聞かない完全な独裁政治を行っているのだ。

 かと言って、学校の治安が悪くなったりしているわけではない。むしろ良くなっているというべきだろう。

 それを知っているから、誰も口出しをしない。アイツに任せておけば大丈夫、という雰囲気が出来上がってしまっている。


「んはぁ~。終わったぁ!」


 時計を確認すると、八時四十五分。人間やればできるもんだな。

 声を掛けてから帰ろうと後輩の方へ向くと――ぐっすりと眠りに就いていた。


 俺が頑張ってる間にぐっすり眠ってんじゃねえよ!

 なんて思うものの、子供みたいに眠る後輩を見ているとそんな気も失せてくる。

 初めて自分より年下かもしれないと、そう思えた。


 いつも誰かに期待され、全て自分で決めて、責任を自分で負って。コイツがそうやって生きてきているのを知っている俺だからこそ、絶対に離れてはいけないと、そう思った。


「ふぇ?」


 目を覚ました後輩が最初に発した言葉がそれだった。

 時間ピッタリ、九時に目を覚ましたのはさすがとしか言いようがない。が、「ふぇ?」はちょっとかわいかったな、うん。


「しょ! ……書類は終わりまし、たか?」


 照れ隠しをするように顔を赤く染めて、慌てるように訊く。


「ああ、終わったぞ。あとそのよだれの跡、どうにかしろ」


 さらに顔を真っ赤に染め、必死に口元を拭いた。


「で、早く帰りたいんだけど」

「先に帰っていいですよ、私は一人でも帰れるので」

「もう九時だし、駅まで送ってく」


 寝ぼけていたのか、いつもなら拒絶されるであろう帰りの誘いにオーケーをもらい、後輩の準備を待ってから学校を出た。


「起こしてくれればよかったじゃないですか」

「いや、まあ。ちょっと面白かったし」

「先輩、正真正銘のクズですね。女の子の寝顔を見て楽しむなんて」


 俺の頬を引っ張るようにして、後輩は静かに笑う。

 少し歩くと後輩の腹が鳴った。飲まず食わずで夜の九時だ、仕方ない。


「まあ、この近くだと、ファミレスしかないかなぁ」


 正確には、俺のお財布で、更には二人分払うことを前提に考え、ファミレスしかないということだが。


「先輩と、ご飯……ですか?」

「うわ~、あからさまに嫌そうな顔するなよな」

「別に嫌ってわけではないですが……」

「ま、今日のところは先輩である俺が出してやるから、恩に着ろよ」


 ファミレスだけど。


「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」


 飯を食べて、少し話して。それから駅に送った。


「今日はすみませんでした、先輩が頑張っているときに寝てしまっていて」


 帰り際に、耳を疑うそんな言葉が後輩の口から発せられた。

 今まで、この後輩はプライドが高いものだと思っていたけれど、そうではないみたいだった。

 医者は決して謝らないという。

 ベストを尽くして、それでも治らなくて、誰が医者を責められるだろうか。

 ベストを尽くした医者が謝る意味があるのだろうか。

 多分、この後輩も同じ考えをしているのだろう。


 後輩は常にベストを尽くしていた。

 だが今日、後輩は眠ってしまい、ベストを尽くしたとは言い難かった。だから謝った。

 多分、そういうことになると思う。


「別に気にしてない。なんだかんだ任せっきりだし、俺にできることなんて限られてるから。お前はお前ができて俺にはできないことをやってほしい。俺は俺にできることをするからさ」


 まあ、俺にできることはこの後輩にもできるということだが。

 少しでも力になりたかった。要らないと言われればお茶を入れたり掃除したり、そんな些細なことでも力になりたかった。


「そう、ですか。ありがとうございます。これからも……よろしくお願いします」


 改札に入る直前、後輩はそう言って笑顔を見せた。

 初めて見た俺の後輩の心からの笑顔。一瞬で彼女の虜になってしまうような、そんな笑顔。いつまでも見ていたいと思えるそんな笑顔。


 俺が初めて恋に落ちた、そんな瞬間だった。






「部長ー、社長が呼んでまーす」

「今行くって伝えて」




 あれは何年前だろう。もうずいぶんと前のことのように思える。




 甘酸っぱい青春――告白できなかった、そんな恋。

 終わったと思っていた――そんな初恋。




 そう、思っていたのだが――




「遅かったわね、ノロマ先輩。いや、ノロマ部長」

「飛んできただろ? せっかち社長さん」




 俺の青春は――俺の初恋は、まだ終わっていないようだった。

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