溶けおじさん

タカザ

溶けおじさん

 ただの変質者と都市伝説。境目はどこなんでしょうね。

 露出狂、下着泥棒、口が耳まで裂けてる。近所の厄介者から警察の世話になるような危険人物まで。

 私の話は、そんなおじさんについて。あなたも覚えがあるのではないですか? 近所で評判の、変わり者のおじさんという存在を。


 『溶けおじさん』


 私たちは、そう呼んでおりました。




 そのおじさんは、町の片隅、世界に見捨てられたような寂しい土地で、プレハブを建てて住んでいました。

 おじさんしか住んでいないような場所で、寂しくて嫌な臭いがしました。

 土そのものが良くないみたい。だから大人から『近寄るな』と釘を刺されていたんですね。

 でも、子供ってのはねぇ。禁止されている……大人たちが怖がっているその場所に俺らが行ってやろうなんて。

 作戦は密かに進んでました。私もそのメンバーでした。小学五年生の頃です。


「よし! いくぞ!」


 高らかに宣言して、リーダー格のよっちゃんが私たちを先導します。

 彼はかっこよくて、足が速くて、とっても面白くて……もう言っちゃいますけど、大好きだったんです。

 だから本当は怖いものが嫌いなのに、彼についていきました。多分、他のメンバー……私を含めて五人だったかな、その子たちも彼に気に入られたいだけだったと思います。


 そんな行軍がに十分ほど続いたでしょうか。終わった先に、その家はありました。一階建てで壁はベニヤ。なんとも貧相なおうち。

 表札はなかったけど、大人たちの会話からこの家には人がいて、石村っていう名前の六十歳くらいのおじさんだと知ってました。

 スーパーで買い物をしている石村さんを見たことがあります。猫背で、大きなマスクで顔を隠した。

 そのマスクからはみ出た顎は……。まるで着物の袖みたいに、テロンって垂れ下がってた。

 大人はそれを『溶けてる』って噂しました。

 だから溶けおじさんなんです。


 そのことを思い出し固まる私を無視し、よっちゃんが家の敷地に踏み入りました。

 無理やりはめ込んだって感じの、ちょっと斜めになったドア。そんな適当なツクリなのに、インターホンが横にちゃんとついているのがどこか滑稽でした。

 それをよっちゃんが鳴らします。何度も、何度も。

 でも、その家からは物音一つしなかったんです。

 よかった。私はそう考えていました。

 住んでいるおじさんの迷惑とかそんな殊勝なことじゃなくて、ただひたすらにこの怖い場所から離れたいってのが本音です。


「お、このドア開いてるぞ」


 でも、それは叶いませんでした。

 よっちゃんがノブを回すと抵抗なく回り、キィ。って音をたてて小さくドアが開いたのです。


「置いてくぞ!」


 と、よっちゃんが中へ滑りこんでしまいました。

 私を含めたメンバーは、すっかり縮こまって。

 だって、せいぜいピンポンダッシュとか、そんなイタズラで片付くと思うじゃないですか。まさか中に入ってしまうだなんて……。

 帰ればよかった。他の子みたいに。でも私は、その家に縛り付けられたみたいに動けなかった。

 初恋、だったんですよね。よっちゃんが。

 そんな彼が、三十分。出て……こないんですよ。

 そのことに気付いて、私の足が動きました。

 恋する彼への心配が恐怖を上回ったんです。

 そのときは。




 中はそりゃあもうひどいものでしたよ。

 ゴミがたくさん散らかって、足の踏み場もないビニル袋には黒い虫がたかってて。 でも生ゴミみたいな臭いはしなかった。正確には、それよりも強い臭いで上書きされていた。

 お父さんの臭いでした。会社に行く前、いつもこんな臭いがしたことを覚えてます。でもそれとは強さが段違い。消臭剤代わりなんでしょうね。強い臭いで誤魔化す、と。


「よっちゃーん……?」


 おっかなびっくり、ビニル袋を踏みつぶしながら部屋を散策します。

 そしたら、足の裏に、膨らませていないビニールプールを踏んづけたみたいな、そんな感触を感じたんです。


「え……?」


 何気なく下を見たら、そこに、いたんです。

 よっちゃんが。

 ペラペラになった皮が、汚い床にへばりついていました。中身は、なかったんです。その床の周り、ちょっと白く濁った液体がいっぱい飛び散っていて、その正体がなにか……考えたくありませんでした。

 凍り付く私。そんな私を、まだ残っていた目が虚ろに見つめていました。かっこいいよっちゃん。面白い冗談が得意なよっちゃん。その口が、カサカサに乾いて萎んでいて……。


「助け……て……」


 その口が、動いたんです。


 気が付いたら、私は家の外に出ていました。無我夢中で逃げたんです。よっちゃんへの恋慕は、本物の恐怖の前にアッサリと負けました。

 家に帰らないと。両親に伝えないと。そんな冷静な判断ができる程度に、少しは落ち着いてきた帰り道。ええ、冷静になっちゃったもんで、気づいたんです。


 顔の痛みに。


 触れてみると、手には生ぬるい温度の白く濁った液体がべっとりとついていました。




 その後は、色々ありました。

 両親に連れ添われて病院に行ったり、お巡りさんから質問されたり。

 私の病状や現場の話に、みんなが口々に言います。


『わけがわからない』




 冒頭の話に戻りますね。

 都市伝説の条件の話。

 私は、それは『正体不明』だと思うんです。

 科学、常識、それらで測れない存在。

 人はそれを都市伝説に分類するんです。心の平穏を保つために。

 私が都市伝説と呼ばれるのも、無理ない話ですね。

 だって、なんであんなことするのか自分でもわからないんですもの。


 ただ、綺麗な口が憎くて仕方ないだけ。


 あの家に漂っていた臭い、今ははっきりわかります。

 ポマードだったんです。

 なんで素直に消臭剤を使わなかったのか。そもそもなんであんな場所に住んでいたのか。

 わかりませんね。

 彼はタダの変なおじさんだったんでしょうか。

 それとも、恐ろしい化物だったんでしょうか。

 もうあの場所は封鎖されて誰も入ることができません。情報も制限されて誰も真実は知りません。

 菌、ウイルス、残留化学薬品。

 それが表向きの真実です。


 それでは私は帰ります。

 貴方は無事に帰してあげます。貴方の口は綺麗だけれど、それよりも重要な使命が貴方にはあるんだから。

 私ばかりが有名になって、よっちゃんのことをみんなが忘れる。

 そんなの、そんなの駄目ですよ。


 ね?

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溶けおじさん タカザ @rabaso

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