鴨志田少年は女教師の未来を見る

皐月七海

思春期症候群

俺の名前は鴨志田一。高校二年生。現在、古典の授業中。ぼーっと黒板を眺める。

俺はごくごく平凡で、クラスに一人はいる大人しくて口数の少ない人種。心の中では饒舌だけどね。

そんな俺には一つの趣味がある。それは人間観察。でも、普通ではない。俺の人間観察は、対象の未来を観察する。

おっと、オカルト話には付き合ってられないって? なら、ここで俺の言葉が正しいことを証明してみようか。

さて、ターゲットはだれにしようか。まあ、だれでもいいんだけどね。でも、みんなに俺の素晴らしい能力を知ってもらうためには、できるだけ面白い未来を持ってそうな人がいいでしょ?

そんなこと、パッと見ただけで分かるわけないじゃないか。そう思う人もいるだろうね。まあ、そうなんだけどね。だから、じっと対象の今を観察する。

俺は目だけで周囲を見渡す。

寝ている金髪に染めたヤンキー少年、コイツはどーせ彼女とエッチしてる未来とかだろうなあ。……今度、個人的に覗いておくか。

机の死角でスマートフォンをイジるサッカー部員、コイツほどつまらない未来はないだろうな。部活の未来とか。俺はスポーツは大の嫌いだから見ても楽しくない。

それか、先生の未来でも覗いてやろうか。

ジーっと先生を見つめる。名前は溝口。苗字しか覚えていない。年齢は三十歳くらい。胸はある方かと質問されればない方と答え、胸はない方かと質問されればある方と答えてしまうくらいのサイズ。背は女にしては高い。でも男子からしたら低い。でも俺より高い。羨ましい。

ロングヘアに凛とした瞳。サラーっと伸びる白くて細い足。

……なんだろう、こうやってまじまじと見つめると、下半身のあたりが硬くなってくる。息子よ、なんだか熱いぞ風邪か?

俺は年上好きだったのか。まあ時々、街ですれ違った年上女のエッチな未来は閲覧するけど。まあ、たぶん、そーゆー性癖なのかな。元々、溝口先生のことは美人で可愛くて、初恋の一目惚れしたこともあったけど、長い時間の中でその感情は薄れていった。他人の未来を覗ける能力も手に入れたし、初恋なんて忘れていたみたいだ。ありがとう、みんなに説明する工程で自分の初恋を思い出せたよ。

よし、じゃあ話はこの辺にして、未来を覗くよ。

俺は少しの間、瞳を閉じて、勢いよく開く。そして、ジーっと溝口先生を見つめる。すると、ゆっくりと空間が歪み、意識が遠くなった。

気がつくと、俺は歩いていた。でも、立ち止まろうとしても立ち止まれない。勝手に足が動いてゆく。いつもより視線が高い。首も動かせないし、手に力を入れることもできない。

しかし、勝手に首が右に傾いた。俺の視界は右を向く。視線の先にはドーナツ屋。お腹が鳴り、首が下を向き、視線がお腹に向き、手を抑える。そして首を振り頬を軽く叩く。

「ダイエットしてる最中じゃないの!」

再び歩き出す。先生は痩せたいのか。

どうだい? なかなか凄いだろ。これこそが、溝口先生の未来だ。視線だけリンクするって感じだけどね。

信用できないってならそれでいい。俺はもう少しこの未来を覗いてみるよ。

それから、溝口先生は歩き続けた。たぶん、風景からして駅に向かっている。先生は電車で通っているのか。

駅までまだ少し時間がある。なんだか飽きてきた。他人の未来を覗くのを、意図的にはやめられない。必ず、キリのいいところまでは見続けなければならない。前は三時間も勉強している未来をみたし、二秒で転ぶ未来を見たこともあるから、溝口先生の未来はいつ見終わるかなんて見当もつかない。なんでだろうね。

以前、この現象が不思議になって、ネットや図書館で調べてみると、思春期症候群という病気だということがわかった。

なんでも、ほとんどの人がこの症状に否定的で信じていない。基本的に治す方法は症状の元になった問題を解決するしか無い。だってさ。たしかに、その能力は高校生になってから手に入れたから、思春期というワードは正しい。でも、元になった問題なんて、分かるわけないよな。それに、この能力は一日一回しか使えないけどなかなか楽しいから、失いたくないしね。

そんなことを考えていると、駅に着いた。地下鉄に乗るようだ。ここは田舎だから、ホームにいるのは溝口先生と、ほかにはひとりの男だけのようだ。俺も、そんな人気のないホームはよく体験するので違和感はなかった。電車の到着時間は、五時ジャスト。溝口先生は腕時計を見た。四時五十五分。日付は……今日か。近い未来だな。一ヶ月後の未来もあったのに。

溝口先生は、すぐにホームの席に座った。もしかして、このまま家に帰って終わり? あー、なんだよ、つまらないなあ。と、思っていると、ホームにいたひとりの男が溝口先生の隣に座った。ヒゲの生やしたジジイだ。お? なんだなんだ、痴漢か?

溝口先生は、少し離れた。身の危険を察したのだろう。すると、男は溝口先生の太ももを堂々と触りだした。溝口先生は短めのスーツスカートだったから、生足を触られることになった。未来を覗く際は、その対象の感覚を共有される。そのため、俺が痴漢を受けている感覚になる。やめろよクソジジイ! 殴ろうとしても殴れない。

溝口先生、ぶん殴れ! そう思っていると、溝口先生は男の手を押して走って階段を上る。すぐ上に登れば駅員さんがいるはずだ。

でも、溝口先生はヒールを履いていたから、すぐに男に捕まった。そして、壁に押し付けられ、ナイフを押さえつけられた。肩にかけていたカバンから取り出したようだ。

「逃げんじゃねえよ。大人しくしろよ」

でも、溝口先生は暴れて抵抗する。乱暴に押さえつけられた溝口先生だったが、必死に暴れて、大きな声をだして、駅員さんを呼ぶ。しかし、誰もこない。

男は、どんどんイライラして、ついにナイフを溝口先生の腹に振り下ろした。

「——ッ!」

気がつくと、教室にいた。クラスメイトと、溝口先生は驚いて俺を見ていた。まだ古典の授業中らしい。この能力を発動している時は現実世界の時間は進まない方が分かっているから、確実に今は古典の授業だ。

「鴨志田くん、どうしたのー? 怖い夢でも見ちゃった?」

そう、溝口先生が言うと、クラスは笑いに包まれた。俺みたいな陰キャラがこんな目立つことをすると面白がられる。まあ、誰がやってもそうなんだけど。

しかし、さっきの未来は恐ろしかった。溝口先生が痴漢に襲われ殺される。衝撃的すぎる。

感覚は共有されるのに、俺に痛みはない。ということは、刺される前がキリのいいところって感じか。でも、あの感じだと、確実に刺されてたよな……。

「助けないと」

俺はそう呟いていた。


学校が終わり、現在時刻は四時四十分。ドーナツ屋から駅まで徒歩五分、学校からドーナツ屋までは徒歩十分くらいだから、そろそろ校門で待ち伏せておかないと、間に合わない。

俺は高速で階段を降り、校門に走る。すると、ちょうど溝口先生が昇降口からでてくるところだった。俺は物陰に隠れて溝口先生の後を追うことにした。

話しかけたり、ドーナツ屋に誘ったりすると、あの変態痴漢野郎に出会えなくなる。溝口先生の死亡を、話しかけてドーナツ屋に誘うという行為で回避しても、全く別の他人が殺されるかもしれない。それだと、俺の気持ちが悪い。それに、元々は溝口先生が殺されるはずなのに、全く別の他人が身代わりに殺されていいわけない。それが俺の嫌いな人間だとしても。

尾行を続けていると、ドーナツ屋の前に着き、溝口先生は自分の頬を軽く叩いて歩き出す。そして、駅にたどり着いた。少し時間をおいて、俺もホームに向かう。

すると、地下鉄のホームから階段を駆け上がろうとする溝口先生が、男に手首を掴まれて、壁に押さえつけられて、組みを抑えられて、ナイフをカバンから取り出していた。ここから溝口先生が殺されるまでは短い。はやくしないと!

俺は階段を何段が飛ばして走り、男がナイフを振り上げたところで俺は間に合わないと察知し、飛ぶ。

そのままドロップキックの要領で、男の横腹めがけて飛び込んだ。

運良く、ナイフが溝口先生の腹に刺さるギリギリで俺のドロップキックが炸裂した。

だけど、喜ぶのもつかの間。

「クソガキがあ……」

男はゆっくりと立ち上がり、ナイフを握り直した。

俺もゆっくりと立ち上がる。地面に当たった腰が痛いけど、溝口先生に近づかせるわけにはいかない。

男が俺に向かった走り、ナイフが俺の腹に刺さった。

痛くて痛くて、仕方がなかった。

これ、ゲームオーバーか。そのまま仰向けになって倒れた。男は自分の手に付いた俺の血をみて後ずさる。溝口先生は俺を見て泣いていた。

意識が遠のいて、体に力が入らない。それでも、残りの力を振り絞り、腹に刺さったナイフを掴んで線路に投げた。溝口先生を救う方法は、それだけだった。


気がつくと、俺は病院にいて、俺の手を溝口先生が握っていた。

「目が覚めた!?」

「あ、はい」

「死んじゃったら、私どうしようかと……」

「死んでないからいいじゃないですか」

こんな状態でも、俺は冷静だった。不思議と、溝口先生の顔を見たら安心した。だって生きてるんだから。

「あのね、あの後、犯人捕まったんだよ」

溝口先生がいうには、駅員さんが駆けつけて、男を取り押さえたのだという。ニュースにもなっていて、リストラされて家族に出ていかれたからムシャクシャして犯行に及んだらしい。

まったく、物騒な話だよな。

「鴨志田くん」

溝口先生は笑いながら泣いて、

「ありがとう……!」

そういった。俺も笑った。


あれから、他人の未来を覗くことができなくなった。

理由をネットや図書館で模索していたら、俺のもしかして溝口先生の一件が、俺の思春期症候群の原因だったのかもしれないという結論に達した。

あの、初恋が、一目惚れが、俺に溝口先生を救うという未来を覗かせてくれたのかもしれない。

他人の未来を覗けなくなったのにはショックだったけど、思春期症候群は代わりに溝口先生を俺にくれた。

「鴨志田くん、お弁当作ってきたんだけど」

「マジで!? 食べていいんですか?」

「勿論、鴨志田くんのために使ったんだから!」

「じゃあ、お言葉に甘えて……美味い! 美味いですね、とかにこのトマト!」

「トマトは何も手を加えてないんだけど……。ううん、美味しいならいいの! まだまだあるからもっと食べて!」

溝口先生と俺の未来を、覗いていこうと思う。

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鴨志田少年は女教師の未来を見る 皐月七海 @MizutaniSatuki

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