4.表と裏の結末

 古典の推理小説には様々な探偵があった。みなそれぞれに信条があり、個性があった。その中で、特に謎解きの場面に力を入れる古典がジュリアンの好きなものの一つに入っている。

 食堂に集められた関係者は固唾を飲んで彼を見守る。チェンバレンに彼女の部下の一人、マーガレット、ダイアナ、そして扉の側に座るこの列車の車掌。ジュリアンは全てが揃ったのを見て頷く。全員が椅子に腰掛けている中、彼はただ一人立っていた。

「今回の事件は、全て運が悪かったとしか言いようがありません。運です。後は推理もへったくれもない。事実を並べれば誰だって分かる。事件の糸口は一つの仮定から始まります。もし、サリスブリー氏がベッドの中で眠ったままの姿で見つかり、さらにグラッドストーン氏があんな風に姿を消していなかったら、どうなっていたと思いますか?」

 振られた車掌は少し考えると控えめに意見を述べた。

「たぶん、朝食の時に給仕係が発見して、次の駅で警察を呼んだと思います」

「そう。正しい判断ですね。しかもサリスブリー氏が指定した朝食の時間というのが、最寄り駅に着く十分前、午前八時半。これは彼が乗り込んですぐに給仕係に伝えたことらしいです。あともう一点。本当は三つ先の駅まで行くはずだったグラッドストーン氏は乗車してすぐに変更を申し出ています。一つ目の駅。午前六時に着く駅で降りるので朝食はいらないと。ここだけを見れば、どういった結果が出ますか?」

 今度はマーガレットへ茶色の双眸を向けると、彼女はぽつぽつと答えた。

「もしも、グラッドストーンさんが犯人であった場合はとりあえず警察に会う前にその場から逃げ出せますね」

「レノックスさん、忘れているわよ。サリスブリー氏はあの夜殺されたんじゃない。それどころか列車が出発する前に既に亡くなっていた可能性が高いのよ」

「ええ、そうですね。死体が列車に乗り込んだりもてなされた紅茶を飲んだり次の日の朝食の時間を指定したりするはずがない。ということは?」

 いたずらっぽい目をしてダイアナを見ると、彼女は面白そうに口をすぼめてアンを抱いた。人形の頭を二、三度撫でてはっきりと言う。

「紅茶を飲んだのはサリスブリーさんじゃないのね」

「正解。全て状況証拠で話をすることになってしまうけれど、あれはグラッドストーン氏が変装した姿だったのではないかな? シナリオはこうだ。まず、発車二十分前に乗車するグラッドストーン氏。彼は中の物を圧縮する旅行鞄を持っていた。最近よく使われているタイプのものは、お嬢様方のドレスに皺をつけることがない高性能の物が多い。彼のもそうだったんじゃないかな? その中に、サリスブリー氏の遺体を入れた。持ち物リストを見ておかしいなと思ったんだ。せっかくの鞄なのに、ほとんど物が入っていなかったようだ。なぜか――他に入れなければならない物があった。次に彼は窓から外へと飛び出す。あの駅は霧が深かったからプラットホームで窓から飛び降りる人の姿なんて少し離れてしまえば見えることはなかった。彼も十分慎重に行動しただろう。そして、次はサリスブリー氏に変装して乗車する。朝食の時間は遺体を見つけてもすでにグラッドストーン氏が遠くへ逃げているだろう午前八時三十分。彼はまさかこの時点でサリスブリー氏が警察に居所を割られているなんて思わないだろうし、自分が何度かサリスブリー氏を演じている間はあの二段ベッドの上に彼の遺体を寝かせておく。これもまたたぶん、だけどね、ダイアナが見たグラッドストーン氏は、彼があの二段ベッドを下ろすために出ようとしたところ、ダイアナが廊下にいたため慌てて引き返した姿だったんじゃないだろうか」

「ええっと、待って。なぜ彼はこの列車に遺体を持ち込んだの?」

 チェンバレンの質問はもっともで、ジュリアンは両手を上げて続けた。

「証拠が出るかはわからない。が、後で確認をとって欲しい。例えば――自分の泊まっていたホテルで突然か、毒か、サリスブリー氏が死んでしまった場合、真っ先に疑われるのはグラッドストーン氏。特にホテルなんかは客が帰ったらすぐに部屋のチェックをする。フロントにいる間に、列車が出る前に見つかったら困る。しかも彼は自分の手に入れたい物を手に入れていた後かもしれない。早く色々研究をして、試してみたいだろう。僕は支払いに関してもめてグラッドストーン氏が殺してしまったってところだと思うな。食事の時、マーガレット嬢とダイアナ嬢が部屋に帰ってからもちょっと話をしたけれど、結構カネカネうるさい御仁だったし。すでに自分の特別一等客室は予約していたんだろうけど、すぐサリスブリー氏の分も客室を予約する。僕が発車二時間ほど前に予約したときには部屋が二つ空いていたんだ。特別一等客室の隣の部屋はもう二駅先からお客さんが乗る予定だったようだし、遺体を置いておくのを考えると気味が悪くて一番遠い部屋にしたのかもしれない。まあ、そこら辺は別にこだわるところでもないよね。ああ、そうだ。警察がサリスブリー氏が乗っているとかぎつけたのはどうやって?」

「あ、はい。たれ込みが入りました。レノックスさんの推理を聞いていると、もしかしたらグラッドストーン氏はサリスブリーが持っていたカードなどで部屋を取ったのかもしれませんね。そのせいで情報が漏れたと」

「その可能性が一番高いだろうね。グラッドストーン氏はまさか警察が追ってきているとは思わず、ダイアナが寝てからまた下げればいいぐらいに思っていたんじゃないかな。さて、これにて一件落着。他に質問はない?」

 一番重要なことをすっかり忘れてそう聞くと、当たり前のように皆から同じ言葉を浴びせられた。

「グラッドストーンは!?」

「グラッドストーン氏は?」

「グラッドストーンさんは!」

 すると、ジュリアンにしては歯切れが悪く、気まずそうにぼそぼそと何かを言う。

「レノックスさん? はっきりと言ってもらえないかしら」

 チェンバレンが苛立ちを隠さず詰め寄ると諦めたようにくるりと後ろを向いた。

「えーっと、グラッドストーン氏が消えたのはもしかしたら、もしかしたら僕のせいかもしれない」

「どういうこと?」

 鼻の頭を掻いて、ジュリアンは側にあった椅子の背に手をかけた。

「いや、彼がね、あまりに熱心なもので例のイジェーパで発見された魔導器の考察をべらべら話してしまって。まさか彼がそれをサリスブリー氏から手に入れているなんて思わなくってさ、えー実は、僕が考えていたシン、パスワードをだね、いくつか話してしまったんだ。だってほら、確かめることなんてできないじゃないか。盗まれた物なんだし。そのシンの中にはいくつか、もしかしたらキンにもなり得る言葉があって、彼にはもちろん念を押して教えたんだが、その――もしかしたら、言ってしまったかもしれないかなぁなんて」

 驚きに目を丸くするチェンバレンの横で、彼女の部下がそう言えばと手を打つ。

「グラッドストーン氏の残された衣服から前例のない種類の魔導の残滓が出たそうです」

「もしかしたら、シンだったかもしれないし、残念なことにキンに当たったかもしれない。あの魔導器がどういった目的に使われるかも分かっていない今、答えは永遠の謎か、どこかでグラッドストーン氏が見つかるか……僕、逮捕されるのかな?」



 一応の調書を取られはしたが、無罪放免で列車を乗り換え目的の駅を目指すこととなった。マーガレットとダイアナは一つ目の駅で降りる予定になっていたらしい。ジュリアンは二人を見送る。

「僕の推理はいかがでしたか?」

 笑顔でそう尋ねると、ダイアナもにっこりと笑って答えずに歩き出した。小さく手を振っている。マーガレットが一歩近づいて深く息を吐いた。

「貴方が、どういった方かは存じません。ですが、随分とこちらの内情に詳しいのは分かりました。……今回のことは感謝しますが、これ以上ダイアナに近づくのは止めていただきたいわ。特に、貴方の言う【彼女】の話を、ダイアナの前でするのは絶対に。名前を言うのももってのほかです。でも……正直今回の貴方の推理は助かりました。これがなかったら――今回は本当に大変なことになりました。お話とても楽しかったですわ」

 チェンバレンが向こうからやってくるのを察すると、マーガレットは急に口調を変え笑顔で握手を求めた。反射的にジュリアンは彼女の手の甲にキスをする。彼女はそのままダイアナの元へと小走りに去っていった。

「レノックスさん、列車出てしまいますよ?」

 さすがに事件の起こった列車をそのまま使うわけにはいかず、緊急車輛が設けられた。一等車輛だけつなぎ直して行くらしい。

「あ、ああ。はい。すぐ行きます」

 答えてはいるが、視線は二人から外さない。

 と、小さなツインテールがくるりと向きを変える。

 しっかりとした口の形をとり、微かに聞こえたその台詞。

「よい旅を《ボン・ヴォワイヤージュ》!」

 ジュリアンも同じように返す。

「よい旅を《ボン・ヴォワイヤージュ》、お嬢さん《マドモアゼル》」



「ジュリアン? 聞いてるのか? おい! ジュリアン!!」

 電話の向こうで友が怒鳴る。

「っと、ごめんごめん」

「しっかりしろよ、本当に大丈夫か? それで、イジェーパの魔導器。あれが見つかったぞ? 金に糸目つけないなら俺が買い上げておくが」

「げっ! まずい。それは表沙汰になってるか?」

「いや? 例のごとく裏の裏。底の底での話さ。盗んだやつが直接ルートで情報を流してるみたいだ」

「良かった……、昨日の今日で嘘がばれちゃまずいからなぁ。俺の名前出さないで買っておいてくれないか? しばらく手元に置いてほとぼりが冷めるのを待つ」

「なんだ、不穏な話だな。まあいい。了解。それじゃ気を付けて」

「あ、ちょっと待った」

 話を切り上げようとする相手を慌てて引き留める。

「なんだ?」

「いや、また例のお前に話せない、先日のフィーア島に絡んだ話なんだが」

「あの、さあ……別に秘密の一つや二つどうでもいいから、秘密があるってことを公表するなって言ってるだろ?」

「いや、俺はお前に嘘はつかないと誓ったから。――それで、今回のイーハーで調べ物が終わったら俺ちょっとガードラント行ってくる」

「……例の【彼女】か?」

「うん。やっぱりとっても興味があるみたいだ、俺」

「止めはしないが、十三歳の小娘のケツ追っかけてるのは正直感心しないなぁ」

「ばーか、昔から言うだろう? 恋は盲目ってね」

「本気か?!」

「さて? っと、そろそろ便が出る。じゃあな」

 遠くで出発を知らせる声がする。懐中時計を取り出して時間を確認する。予定通りの出発らしい。そしてまた目を留める。蓋の裏にある小さな写真。黒髪にすみれ色の瞳の少女。

 受話器を元に戻すとジュリアンは駆け出した。

 そして物語は新たな幕開けとなる。

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イクリプス急行殺人事件 鈴埜 @suzunon

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