イクリプス急行殺人事件

鈴埜

1.魔導機関車

 吐く息が白く染まる。プラットホームに着いている定期便を横目で見ながら駅に備え付けられた公衆電話の前に立った。しっかりとコートを着込んでいてもやはり寒い。番号を押すために手袋を脱いだ右手が痛いと悲鳴を上げていた。

「やぁ、ようやくギレイヌ国へ着いたよ。こっちは寒いねぇ。君のいる方は真夏だってのに、少しはそちらの暖気を分けてくれ」

 相手が受話器を取り、耳元へ持っていった気配を感じると一方的に話し出す。まるで口を動かすのを止めてしまったら凍り付いてしまうといった風だ。

「ははは、無茶言う。それにてもずいぶんと遅いじゃないか、ジュリアン。何かあったのか?」

 こちらへ到着したら一番に電話をすると言ってあったので心配していたのだろう。確かに目的地への定期便ぎりぎりの時間だ。

「ああ、ごたごたに巻き込まれてねぇ。でも大丈夫。イーハーへの予約便には間に合ったよ。あそこの予約はなかなか取れないから、逃したら痛手だった」

 横目で夕闇に映えるイーハーの姿を眺める。世界十大美景の一つに数えられるそれは見るものを魅了した。

「今度お前も来たらいい。一度見ておいて損はない」

「いや、あそこは本サマサマだからな。人に優しい仕組みにない。足の悪い俺には無理だ。俺の替わりにしっかり約束の文献を調べて来てくれよ。……それより大丈夫なのか? 事故にでもあったのか?」

 電話の向こうで心配そうに聞く彼に苦笑し、視線を落とす。

「困ったことには違いないが、別に身の危険は感じなかったよ」

 また増えてしまった。

 困ったこと。

 でもジュリアンはその困ったことを好ましくも思っているのだ。



 自称歴史学者ジュリアン・レノックスは少し開いたドアを見て、そこに間違いないとチケットを確認もせずにそれを引いた。しかし、中にあったのは驚いた四つの瞳――いや、六つ。普段の彼には考えられない失敗だ。

「あ、と……失礼しました。僕の客室コンパートメントは、もう一つ隣ですね。いや、本当に失礼しました」

 そう詫びると、六つのうちの二つがぎこちなく微笑む。

「いいえ、こちらも鍵をかけ忘れていたようですね」

 黒髪の二十四、五歳の女性。青い瞳が深い海の底を思わせた。その隣に座っているのが七、八歳の少女。こちらもまた艶やかな黒い髪をツインテールに結い上げ、将来が楽しみな目鼻立ちをしていた。最後の二つの瞳はビスクドール。彼女は背中まである長い髪を垂らし、すみれ色の瞳が入っている。

「大丈夫よアン。お部屋を間違えただけですって」

 少女が人形に語りかけるのを見て、ジュリアンは片膝をつくとその人形の手を取った。

「驚かせて申し訳ないアン嬢。どうか許してください」

 芝居がかった台詞に少女と女性はクスリと笑った。

 それではと部屋を出てジュリアンは今度こそ自分の客室コンパートメントへ移動する。この魔導機関車イクリプス急行は五輛編成で一番前が一等客室ファーストクラスコンパートメント、二輛目は食堂車。次の二輛が二等客室セカンドクラスコンパートメントで、一番後ろが機関室だった。一等客室の中でも一番前は見晴らしよく作られていて特別一等客室スペシャルファーストクラスコンパートメントと呼ばれ、このイクリプス急行の売りである。丸一日かかる旅を快適に過ごしたいと思って、今回は一等客室を取った。もし空いていたら特別一等客室でもいいかと思っていたのだが、予約をしたときには、残念なことにすでにふさがっていた。まず突き当たりを陣取って、特別一等客室がある。次に進行方向に向かって左側に人が二人ぎりぎりすれ違える程度の通路。右側に一等客室が四つ並んでいる。ジュリアンのそれは先頭から三つ目で、間違えてしまった彼女たちは二つ目の部屋だった。

 チケットを確認して部屋へ入る。もちろん中には誰もおらず、備え付けられた小さなテーブルの上に『ジュリアン・レノックス様』と書かれたメッセージカードと、チョコレートが三つほど籠へ盛ってあった。きっと外で見ていたのだろう、絶妙のタイミングで客室係がノックをする。どうぞと答えるとワゴンを押して飲み物を持ってきた。

 これだから一等客室はやめられない。

「珈琲を頼む」

 同時に熱いお絞りを渡されて、ゆっくりと手を拭う。その間に客室係は慣れた手つきでジュリアンの前にソーサーを準備し、湯気が立っている珈琲を注いだ。

「ご朝食の時間はいつ頃にしましょう?」

「えーっと、確か着くのが八時四十分だったよね。八時にお願いできるかな?」

「了解致しました。あと十分ほどで発車致します。その際少しだけ揺れると思いますのでお気をつけください。何かありましたらこちらのベルでお呼びください」

 入り口横の壁にある呼び鈴を指すと彼は深くお辞儀をして出て行った。

 香りを堪能してから少しだけ口にする。そして、入って直ぐに脱ぎ散らかしたコートや荷物を簡単に整理するとベッド兼ソファーの上にごろりと横になった。これは二段ベッドで、ジュリアンは天井でなく上の段の底を見る形となる。本来は二人用の客室なのだ。けれど今回は一人旅なので上の段に寝るなどという奇特なことはしない。ここまで乗り換えに次ぐ乗り換えで、結構な強行軍だった。体の中に溜まった疲労が少しずつしみ出していく。このまま目を閉じてしまいたい衝動に駆られる。まあ、それでも良いのだが後一時間ほどで始まる夕食の時間に遅れるのはいただけない。イクリプス急行の食事は旨いので有名だった。

 懐中時計を取り出し開く。蓋の内側にはめられた写真に一瞬目を留め、時間を確認した。午後四時二分前。もうすぐ列車の発車時刻だ。夕食は午後五時半。

「一時間半か」

 仮眠を摂るには十分だ。

 ネクタイを緩め、そのままごろりと横になる。列車が出る前には深い眠りへと落ちていた。


 目覚ましがなくとも決めた時間に起きることができるという特技を持つジュリアンは、五時半ちょうどには動きだし、身なりを整え食堂車へと向かった。

 自分の容姿には自信がある。甘いマスクとまでは行かずとも、十人中八人までは好んでくれる顔だ。それに加え立派な体格とけれど威圧感を与えない柔らかな物腰。相手によって使い分けるがお嬢さん達が喜ぶ気障な対応。

 けれど最近――どうもお子さまに人気があるようだ。

 黒髪にツインテールのお嬢さんが、食堂車に入った途端笑顔で手招きをする。こちらも悪い気はしないのでにこにこと微笑んで近づいた。

「もし宜しかったらご一緒しませんか?」

 とはその隣の女性の言葉。そう、彼女たちは机を挟んで座っているのではなく、二人並んで腰掛けていた。きっちりセッティングされたものが三つ。ジュリアンを最初から待っていたようだ。これに答えなければ男じゃない。

「喜んで。美しいお嬢さんマドモアゼルと食事ができるなんて光栄です」

 胸に手を当て言うと二人はおかしそうにくすくすと笑う。給仕は三人揃ったのを見て料理を運んできた。ジュリアンの前にシャンパンを、二人にはミネラルウォーターが用意された。軽く目の前にグラスをかかげて一口飲む。仮眠をとってすっきりとした後のアルコールはまた格別だった。

「自己紹介がまだでしたね。僕はジュリアン・レノックス。歴史学者です。といっても今はどこの大学に属しているわけでもないんですけれど」

「私はマーガレット・ウィルキンソン。この子は姪のダイアナ・ウィルキンソン」

 瞳を除けば確かに全体の色は共通だった。けれど、顔の造作が似ているとは思えない。少女の父親か母親か、どちらかがずいぶんと整った顔立ちをしていたのだろう。だが、それよりも『ダイアナ』という名前に驚く。その動揺が表情にも出てしまったのだろう。マーガレットが怪訝な瞳でこちらを窺う。

「いや、僕の友人にもダイアナがいて、最近会ったばかりなんですよ。偶然とはあるものですね」

 咄嗟についた嘘に彼女は一応納得して頷く。そのままジュリアンは話を終わらせるようにダイアナが抱く人形へ視線を走らせる。

「それで、こちらは?」

 先ほどアンと呼ばれたビスクドールをダイアナはテーブルの上に持ち上げてお辞儀をさせた。

「アン・オブライエンです。宜しくね、レノックスさん」

 ちょこんと差し出された小さな堅い手に、ジュリアンは指先で応えて握手をする。

「こちらこそ。でもレノックスさんは残念だな。ジュリアンとお呼びください」

「それでは私もアンと呼んでね。eをつけて綴るんです」

「宜しく、アン」

 とeを強調して答える。ダイアナは満足そうに頷き、横に置いてあった本を見せた。何度も読み返しているのだろう、装丁がすり切れている。

「大好きな本なの。主人公がアンで、その友達がダイアナなのよ」

 ジュリアンも趣味で古典を読むが、ほとんどが推理モノで彼女が見せた小説は知らなかった。けれど話を合わせることにかけては一流だ。

「素晴らしいね! けれど題名を見るとこちらの黒髪のアンとは少し様子が違うようだ」

「ええ、そうなの。このビスクドールのアンはね、本当に同じような子がいるの。私がその子に似せて作ってもらったの。この本のアンとダイアナのように私たちは大親友なのよ」

 外見よりもずっとしっかりとした話し方で、どのように扱えばいいか少々困る。そんな既視感デジャヴの先に思い当たり、内心頷く。話の主導権が微妙にダイアナにあるところなどもその感覚を後押ししていた。

 極めつけはこのビスクドールである。

 黒髪に紫の瞳、お嬢様然とした服装が先日出会った【彼女】を思わせた。

「僕もそのアンとそっくりな子を知っていますよ。名前はアンではなく――」

「歴史学者というと、先日イジェーパで盗難に遭った魔導器のことはご存じですかな?」

 突然、通路を挟んだ向こう側から四十代半ばの男性が話しかけてきた。三人は揃ってそちらを振り返る。やせ形でアルコールが入っているのか青白い顔に鼻の頭と頬だけがほんのり赤かった。

「いや、申し訳ない。お話の途中邪魔してしまって。けれど昔から気になることを言わずにはいられない性格でね。グレース・グラッドストーンです」

 手を差し出されては返さないわけにもいかず、ジュリアンが代表して応える。

「僕はジュリアン・レノックスです。こちらがマーガレット嬢にダイアナ嬢」

 グラッドストーンは赤ワインの入ったグラスをかかげて軽く頭を下げる。

「イジェーパで盗掘されたというと、あの五十年用途が分からずに展示されていたという?」

 マーガレットも気を悪くした様子なく彼の話にのった。

 この世界には魔導という不思議な力があった。それは列車を走らせたり炎を生み出したりできる。一般的に広がっているのは小さな場所に大きな物を詰める魔導で、ジュリアンの旅行用鞄にもその仕掛けが施してあった。そうやって魔導の力が宿った物を魔導器とも言う。

「あれはとても興味深い品ですよね。僕も何度か見たことがありますが、今回は本当に腹が立ちましたよ。ああいった遺産を盗み出す不届きな輩がいるとは!」

「そうですなぁ」

 にこにことグラッドストーンが頷く。気は良い人のようだ。

「でも同時に羨ましくもありますね。もし自分の手元にあったらいくつか試してみたい。一応研究もしたんですよ、昔ね。ただ、それがシンであるかは分からない。もしかしたらキンかもしれない。もしキンであったときのことを考えるとうかつなことはできませんね」

 魔導器には色々と役目がある。そして、その目的に使用するためにはシンと呼ばれる呪文のような、発動のためのキーワードが必要だった。簡単な魔導器は簡単な誰でも分かるようなキーワードになっている。側面にそのまま記してある物もあった。けれど、その魔導器が重要なものであればあるほど、キンと呼ばれるダミーのパスワードを仕込んである。それを誤って唱えてしまえば大体が死んでしまう。魔導器にはそのシンを探す手がかりがその器のどこかに残っているのが常だった。公表されている写真からいくつかジュリアンも候補を出している。

「ほうほう! それは素晴らしいですな。是非ご教授願いたい」

「いやぁ、滅多なことは言えませんよ。それに盗まれてしまってはもう試すこともできませんしね」

 話している間にも次々と料理が並べられていく。最初の一品はアスパラガスが色鮮やかなスープ。食事が出てきたせいか、それとも興味がないのか、ダイアナは急に静かになって黙々と目の前の皿を片付けてゆく。カニとほうれん草のラザーニャ。牛のマディラ酒煮込み、黒トリュフソースがけ。大人がなかなかに満足できる量をダイアナも平然と平らげていった。そう言えば、【彼女】も大人顔負けの食事量だったな、と思い出す。そんなところまで、ダイアナと【彼女】は似ている。

 ジュリアンとグラッドストーン、マーガレットの三人は食事をしながらも和やかに話し続けた。彼女も歴史的遺産に興味があるらしく、結構な知識を持っていた。今回の盗難から進んで、過去にあったそういった例をいくつか挙げる。そこにはジュリアンも知らないような話まで出てきて大いに楽しんだ。時折ジュリアンがダイアナに話しかけるも、彼女は食べる方に夢中で返事も曖昧なものになる。食事中はそれに集中するタイプのようだ。

 最後のデザートと共に紅茶を口にするとダイアナの瞼が重くなっているようだ。

 それを見てマーガレットは口元に笑みを上らせながらナプキンを畳む。

「こちらからお誘いしていて申し訳ありませんけれど、お先に失礼させていただきます。お二人のお話、とても興味深かったですわ」

「いえいえ、こちらこそ楽しいひとときをありがとうございました。お食事に割り込んでしまって申し訳ない」

 グラッドストーンは席を立ち軽く礼をする。彼もまたダイアナが静かに食事をしていたのが気になってはいたのだろう。

「おやすみ、ダイアナ。良い夢を」

「おやすみなさい、ジュリアン。おやすみなさい、グラッドストーンさん」

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