第1話
私はいたって真面目なたちなので、わざわざ電車を乗り継いでまできた大学で授業を切るようなもったいない真似は(いくら友人の窮状とはいえ)したくはなかったので、私にできることがあるとは思えないけど、助けてほしかったら昼まで待って、と言った。途端に彼は吹き付けた風にあやうく吹き飛びそうになった。慌てて捕まえた腕のその先で彼は、これでどうやって待てって言うの? と力なく言った。
そういうわけで、見られて名誉とはあまり言えない姿のことを配慮して、人があまり来ない校舎の裏手に生えた木に彼を括り付けておくことにした。まるで買い物に行っているあいだ待たせるために犬をつないでいる気分だった。
きっちり授業を終えて戻ると、彼はあんまり退屈だったのかうとうとと眠りこんでいた。頬を叩いて起こし、紐をほどいて学食の方へと引っ張っていった。
「それで、なんで骨を抜かれたのか心当たりはあるの?」
熱いラーメンを吹きながら尋ねると、学食のテーブルの向こう側に腰かけた彼は、ふにゃふにゃの手でどうやって天丼(私が買ってあげたもの)を食べようものか思案顔で、「たぶん、昨日寝た人のせいだと思うんだよね」と言った。
「昨日寝た?」
ラーメンから顔をあげた私に、彼はさらりと言ってのけた。
「うん。バイトが終わって、飲みに行こうって誘われて、それで飲んでいたら終電がなくなっちゃって、仕方なくホテルをとったんだけど、それで流れでそのまんま。で、起きたらこんなんなってた」
また麺に息を吹きかけながら、急速に真面目に話を聞いてやる気が失せていくのを感じた。
彼は背丈も顔のつくりも凡庸だが、そこらのずぼらな女子よりはずっと見てくれに手をかけていて、それがまたなかなかいいセンスをしており、きちんと自分を熟知した服装と髪型のせいで、素材の三割増しにはよく見える。そこで満足していればいいのだが、すり寄って来る女の子全員に惜しみなく親切(もちろん単に人と人の間の好意以上の意味で)を発揮するものだからいけない。
サークル内で彼にひときわ優しく、いつもそばにいたがる五、六人の女子、彼に言わせると仲のいい子たちを、私は取り巻きと呼んでいる。取り巻き連中のほとんどと交際経験、またはそれに準ずるもの、あるいはそれ以上の経験がありながら、「仲のいい子」と呼べるその神経が、私には知れない。
「それで、今度はうちの誰?」
「あ、サークルの子じゃないよ。バイト先の従業員の人」
こいつはよそでも同じことを繰り返しているのか。そこで私の気は完全にそがれた。折よくラーメンも食べ終わったのでわりばしを置き、ごちそうさまでした、と手を合わせて立ち上がる。
「え、行っちゃうの?」
心から驚いた声を出したレディーキラーに、「自業自得。同情の余地なし」とぴしゃりと冷たく言い放った。ちょっと待ってよ、と不甲斐ない声を彼は出す。
「本当に困っているんだ。だって、骨がないと日常生活もまともに送れないんだから。現にいま、お昼が食べられない。朝も食べてないから、お腹空いてるのに」
「朝食を逃すほど、いちゃいちゃしていたあんたが悪い」
「朝はいちゃいちゃしてない。目が覚めたら彼女いなかったから」
はあ? と思わず声をあげて彼に振り向いた。
開いた口がふさがらない。膝から力が抜ける。椅子に座り直した私は、彼に言った。
「なに、つまりあんたは、同じ職場の年上の女の人と成り行きで一晩過ごしたら、骨抜きにされたあげく、置き去りにされたってわけ?」
「客観的に言われると、なかなかひどい状況だよね。あ、もうひとつひどいことがあった。ホテル代は、全額自腹」
あっけらかんと笑った彼に、私は額を押さえた。それを見て彼は気楽な声を出した。
「そんな顔しなくても大丈夫だよ。悪い人じゃないから、話せば僕の骨くらいすぐに返してくれると思うんだ」
骨抜きにしてホテル代を押し付けていなくなる女をよくそこまで信用できるな、と私はため息を堪えられなかった。彼はそんなことをちらとも気にせずに、笑いながら私に頼んだ。
「とりあえず、食べさせてくれる?」
私はいよいよ頭を抱えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます