イデアの親 ※フィクションです

 イデアの親がいればいいのに。


真美まみ!」

 怒鳴りたてる母親。私はびくっとする。

「返事しなさい!」

 母親は茶碗を投げてきた。もろに頭に当たる。痛いがいつものことだ。又か、とぼんやり思う。

「こんな子産まなければ良かった。こんな子産まなければ良かった。こんな子……」

 ぶつぶつと繰り返す母親。そしてまた私をぶつ。

「あんたなんか、いらないのよ! 出てけ! この家から、出てけ!」

 酔っているのだ。母親も、つらいのだ。よくわかっている。だから反撃できない。そういうとき、私はただぼんやり思う。

 あーあ、また私が損なわれた。


 子供を守りましょう、とかってよく聞くけど、私はあんなの信じない。

 子供は損なわれるべきものだ、と私は思う。完全な親がこの世に存在しない以上、子供は傷つけられ損なわれるのが当然だ。そしてそれをトラウマとして、一生生きていくのだ。

 だから。だから、イデアの親が存在するといい。

 イデアっていうのは、昔のギリシャの哲学者、プラトンが唱えたもの。例えば、リンゴがあるとする。それを私たちは「リンゴ」と認識する。次に違うリンゴを見る。これも「リンゴ」と認識する。でも、このリンゴとさっきのリンゴは形が違う。だとしたら、何故これを「リンゴ」と言い切れるのか。プラトンはそう考えた。そして、「イデア」という概念を作り出した。イデアのリンゴこそ完璧なリンゴで、それはこの世には存在しない。この世に存在するリンゴは、全てイデアのリンゴが不完全に現れたものだ、ってそういう考え方。

 イデアの親は、何もかもが完璧だ。子供を損なうことなく育てられる、唯一の人間だ。


 母親はすっかり寝入っている。その寝顔を見て、やっぱり私はこの人のこと嫌いになりきれないんだなぁとしみじみ思う。いくら損なわれても。子供も人間なのだから、傷つけられて当然なのかもしれない。

 イデアのお母さん。見てますか。

 これが私のお母さんです。

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