雑文

 難解な本を読んで偉くなったような気になっているのは手に負えない。本は確かに人間を高めるが、読んでいるから頭がよい、読んでないから馬鹿というわけではないと思う。

 自分は馬鹿だと知っている人が、きっと賢い。何にでも謙虚な姿勢で望めるからだ。剃刀にも哲学はある、その通りだと思う。


 やはり自分に小説を書く才能は無いのだと痛感する。決定的なものが欠けているからだ。

 それは人間を観察する能力。人の心をわかる想像力だ。

 これが無いから、いつも詰まる。詰まって、現実には有り得ないような言動や行動をとらせてしまう。

 その上、私には説明能力が欠如している。これでは作家になんてなり得ない。

 それでも小説を書いてしまうのは何故だろう。

 きっと何かを形にしたいのだと思う。絵がうまければ絵で、音楽の才能があれば作曲でよかったのだ。文章自体は誰にでも書けるからと、小説を選んだだけなのだ。

 とても悔しい事実である。しかし仕方がない。他の道を探すしかない。

 できれば作家になりたかった。


 自分は馬鹿なのだと思う。人に物事を説明するのが苦手だし、同じ言葉を何回も繰り返してしまう。空気が読めないし、勉強をしていると頭が痛くなってくる。

 賢くなりたい。そう思うこと自体が馬鹿なのだろうか。

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