ひきこもり中学生の怪文集

柳なつき

Wordに溜まっていた深夜の文章

書くことについて(前書きにかえて、高校生になってから)


 書くことは喜びである。

 防衛だっけ、適応するための機能に、昇華というものが確かあった。おそらくそれなのだろう。

 私は日常で自分の意見をあまり言えない。(致命的な欠点だと思っている。)文章でなら、自分を偽りながらでも、正直に語れる。

 だから私は書くことが好きなのだろう。何のために書いているの、と問われたら、書かないと生きていけないから、としか言いようが無い。



 人に優しくありたい。

 こう思い始めたのは、いつからだっただろう。随分昔な気がするが。

 しかし私はそのときひとりきりで、世間というものを全く知らなかった。世間を夢想するのは簡単だ。私はどんどんと偽りの「世間」を愛し始めていった。要は自己満足だ。

 そうして高校にあがり、私は世間を久しぶりに見た。実に一年半ぶり――長くブランクがあった。私が一年半も世間と関わっていなかったことなんか関係ないように私は世間に出た。(実際にはかなり関係あったが。私のコミュ力は中学時代で止まっている部分があったからだ。)

 やさぐれもした。反発もした。夢想していた世間と、実際の世間は違った。

 しかしそれでも、なぜだろう、今思うのだ。

 人に優しくありたい。

 優しさ、とは何なのかさえよくわかっていないのに。優しくできるほどの存在であるかどうかさえ疑問なのに。

 甘くはしたくない、優しくありたい。

 結局は自己満足なのかもしれない。というかおそらくそうだろう。しかし、やらない善よりやる偽善。

 優しくありたい。

 私は世界が大好きなのだ。人間の持つ曖昧さが、大好きなのだ。



 優等生なものを書けばいい。そうすれば人からは褒められ自分が素晴らしくなったような快感を味わえるだろう。

 しかしそうしないのはやはり私が優等生でないからだと思う。

 ぴったりとはまったお話なんか書けない、作り物に溢れた物語なんか書けない。

 私が書きたいのは、自己嫌悪と自己愛の狭間。倦怠。

 別に、いじめだとかを書いて喜んでいるわけではない。それは学生の現実だから。学生はその中で、自己嫌悪と自己愛に揺れ、納得していくわけだから。だから一番書きやすいのだ。私の技量不足はあるかもしれないが。(個人的に、私の中学のことが離れないのもあるかもしれない。)

 人に褒められるために書いているわけではないことを自覚するべきだ、私は。

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