ブランケットとお月様

進藤翼

at night

お部屋の電気を全て消すと真っ暗になった。その瞬間、ふつりと世界からはじき出されたような気がした。

カーテンの向こう側では、今も、眠らない町の賑やかな光景があることだろう。

私はしばらくその場に立ったまま暗闇を味わった。急激に周囲との距離が遠のいていく感覚。すっと、静けさが寄り添ってくる。消音にしたテレビをつけた。するとちかちかと目の悪くなりそうな光が室内を青白く照らし始めた。

 私は厚手の毛布を三枚ほどベッドに運んできて、そこに包まる。

 誰にも邪魔されない、特別な私だけの時間をつくるんだ。


 明日になれば、また太陽がのぼる。それを覆すことはとてもじゃないけれどできない。でも一日が始まるまでの時間を、少しだけでいいから長くしたい。


 まぶたの裏には星空が映る。星座には詳しくない。けれどあの輝くひとつひとつに名前があることは知っている。夜の静寂が満ちて、辺りには透き通る風が吹いている。研ぎ澄まされた空気が心地よい。きっと声を発したら、はるか遠くまでだって伝わるだろう。

 私は奥へ進んでいく。いつの間にか、今度は深い深い水の底だ。だから身体は妙に軽くて、自由自在。新体操のようなくるくるとした動きだって、この通り。ときおりどこからかゴボリと大きな泡が浮かんで、下から上へのぼっていく。その泡は私の意識だ。外側でなにか刺激があったから、覚醒しようとしているのかもしれない。だけれど、そんなもの邪魔なだけだ。無視してしまえばいい。

 さらに足を進めると、今度は洞窟の中だった。青白い洞窟内部は、全体が湿っていて滑りやすくなっている。でも不思議と不快感はなかった。それよりもこの空間を独り占めしている贅沢さが勝っていた。複雑な通路だけれど、一本道だから迷うことはなさそう。ときおりどこからかぴちょんぴちょんという音が聞こえてくのは、水たまりに滴が落ちている音だ。

 やがて出口が見えてきて、歩いていくと、今度はトンネルだった。自動車が往来するようなオレンジ色に染められている大きなものじゃなくて、人や自転車が通るこじんまりとしたトンネル。タイルを敷き詰められたそこは細長く、距離が長い。広い間隔で申し訳程度の白い蛍光灯がある以外、特別なところはなかった。その素っ気なさが私は気に入って、軽やかに進んでいく。壁に反響して、とおおおんとおおおんと足音が聞こえる。その間抜けさも私は気に入った。

 そしてそのトンネルを抜けると、外に出た。道路、なにかの看板、歩道橋。どこにでもあるような場所だった。そして、そこは私以外誰もいなかった。それをいいことに私は二車線道路に飛び出して、その真ん中を歩きだす。明滅する信号機。黄色、黄色。赤、赤。背の高い街灯が、私のことを上から見ている。笑っているのか、怒っているのか、それはわからなかった。だけど見ているということはわかった。だって視線を感じる。私はしばらく歩き続けた。息をするたび白くなって消えていく。でも寒くはなかった。手もかじかんでないし、足の先も冷えていない。

 街を通り過ぎると、途端に闇が近づいてきた。私のことを連れ去ろうとしているのかも。案の定足を引っ張ったり、腕を掴んだりしてきた。だけど構わず私は歩き続けた。闇はしつこく、私の髪の毛を触ったりマフラーを奪おうとしてきた。それでも気にせず進んでいった。

 ぴかぴかぴか! 突然頭上が眩しく光った。一目散に闇が逃げていく。そんなに足が速かったのかと感心するくらいの速度で去っていった。私は上を向く。あごの下の皮がぐいーんと伸びて気持ち良かった。

 月が、私を照らしていた。舞台上のスポットライトのように、その光を全て私に向けて注いでいた。

白く、温度のない光のはずなのに、私はあたたかさを感じずにはいられなかった。

 私は思わず話かけていた。

「私を助けてくれたの? お月様は優しいねえ」

 お月様は答えない。

「そういえば、お月様も、一人だねえ。私と、おんなじだねえ」

 お月様はなにも答えない。

「でもお月様は私よりずうっと長い時間、一人だねえ、すごいねえ」

 お月様はなにも答えない。

「さびしくはない? 私はねえ、実はそんなにさびしくはないんだ。強がりじゃない。ほんとに平気なの。でもたまにね、あの賑やかさがうらやましく思うこともあるよ」

 お月様はなにも答えない。

「夜はいいねえ、暗くて、落ち着くし、静かで、遠くまで穏やか。私はだから、夜はすきなんだ」

 お月様はなにも答えない。

「でも、真っ暗なのは怖いね。どこになにがあるかわからないから、ぶつかりそうになっちゃう。お月様はえらいねえ、照らしているから、みんな怪我せずに済むもんね」

 お月様は私の話を黙って聞いていたけど、やがてぱかっと口を開いて答えた。

「君が一人でいたからね、これはいけないと思って、闇を追い払ったんだ。僕は一人だけど、みんな夜になると僕を見上げるからね。僕はそんなにさびしくないんだよ。でも、君は違う。ねえ君、明かりは必要だよ。本当は誰より、君が気づいているはずだ。そうだろう? お月様には、なーんでもお見通しなんだよ」

 そうして、シルクハットを被ったお月様はニカっと笑った。


 目が覚めた。カーテンの向こう側はもう明るい。太陽が顔を出したようだった。

 青白い明かりは消えて、無音のテレビはアナウンサーの口をパクパクさせている。

 私はのそりと上体を起こして、ちょっぴり寝癖のついたまだはっきりしない頭でお月様の言葉を反芻する。

 そうかあ。私は、私にも、明かりは必要かあ。

 立ち上がって、勢いよくカーテンをスライドさせた。しゃああという音をたてて、開いた箇所から、太陽の光が私の身体を包んでくる。

 お月様、私、ちょっとだけがんばってみる。

 一日が始まる。寝癖を直さなきゃ。

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ブランケットとお月様 進藤翼 @shin-D-ou

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