6.捜索会議
フェスティバルから半日
遅い朝食を摂っている。皆、滞在期間中はこの島を出ることを禁じられた。その後は所在を明らかにすることが義務付けられる。本来なら解決まで出ることを許さないとするはずの警察がこのような条件を提示したのには、このホテルの客が皆半端でない身分の者たちばかりだったからだ。警察の最大の譲歩と言えるだろう。
去年までは、確かに一人の犠牲者を出した朝。皆、複雑な心境ではあったが誰もがそれを承諾して来たのだと納得していた。奇妙な雰囲気ではあったが、ここまで人々の心に重くのしかかる事はなかった。
晴天続きだった昨日までとは打って変わって雨。天候までが憂鬱な気分を増長させる。何度目になるか、数えるのも嫌になるほどジュリアンはまた溜息をついた。
「幸せが逃げるわよ」
声の主は振り向かなくても分った。昨日と同じような、それでも仕立ての違う黒いドレスを着た彼女と、クライド。
「幸せをもう掴めない人間もいる」
「そうね」
セイラは静かに隣へ座り、いつものように食事をする。
ほぼ皿の中身を片付けてしまったジュリアンはそれをじっと見ていた。
らしくない。もしダイアナが生きていたらそう言っただろう。自分でも分る。らしくない。
「ジュリアンと、ダイアナはどんな関係だったの?」
こちらの視線を感じていたのだろう、顔を上げるのでもなく尋ねてきた。食事を続けたまま、まるで何事もないかのように。
「そうだなぁ。ギブ・アンド・テイクの中かな。大人の関係」
「何それ。恋人同士ではないと思っていたけれど」
「彼女とは昔っからの知り合いでね。今回のフィーアの女神を見たいがここには二人でしか来れない。金は出すからパートナーになってくれって言われたんだよ。僕も見てみたかったからね。即了解」
「お金に苦労していない人なのね」
「それはお互い様」
「まあ、そうだけど」
他人の分まで払って見に来たフィーアの女神。二千万払って命まで獲られて、大損だ。
「ああ、そうか」
「ん?」
思わず口に出てしまい、慌ててにっこりと笑いごまかした。自分がこのようにらしくない理由が分った気がした。大損なのだ。このままでは。
「そうだ、キーラが殺された毒物が分ったよ。聞きたい?」
「もちろん」
この調子。いつも通りになってきている。
「ラ・カト・ラ・バスタ」
「?」
セイラは眉間に皺を寄せて首を傾げたが、クライドが彼にしては珍しく音を立ててフォークとナイフを置いた。
「おや、ご存知?」
顔を彼の方へ向ける。
「炎の毒」
「クライドさんは物知りだね。そう、『炎の毒』と呼ばれる毒物。暗殺家業を営む、その中でも毒物による暗殺を得意とする一族があるらしい。そいつらが扱う毒薬だ。飲み物に混ぜて使用し、何もしなければ死ぬわけではない。後で少し気分が悪くなるだけ。ただ、火に触れればそれは強力な毒薬になる。呼吸系に作用するらしい」
乾杯と共に燃え上がる花。
「まあ、あの乾杯の後のパフォーマンスは一部では有名だからね。僕も知ってたし。ということはあれに心底驚いていたセイラは容疑者から外れると」
自分の方こそ散々な顔色をしているくせに、この青年はセイラを少しでも元気付けようとわざとこういった言い回しをする。それが分るからこそ、セイラは彼のそれに乗っていかねばならなかった。
「当たり前じゃないっ! 私その毒物知らなかったもの」
「そうだね、反対にクライドさんは容疑者リストに仲間入り」
「クライドじゃないわ! 絶対」
セイラの剣幕に苦笑して右手を上げた。
「わかったって。彼女を殺そうとするなら確かに良い毒だ。刃物や、魔導によって直接彼女を殺そうとすればここの布陣が反応する。けれどあの方法なら、妨げられることはない。普通の毒薬だとね、やっぱり変化があるらしいよ。でもあれは、飲み物に混ぜた時点で特に殺傷能力はないときた」
「じゃあ結局警察は分っていないのね? 誰が毒を盛ったか」
「ぜーんぜん」
「今年も迷宮入りねー」
大きな声で彼女がそう言うと、後ろからドスの利いた声が上がった。
「なんだとぉ?!」
手に皿を三枚器用に抱えたビュッセ警部とハウベル警部補だ。
「お前たちが早く帰りたいだのなんだの言わなきゃ解決するまでここでこってり絞ってやるんだがなっ」
オブライエンの名に臆した様子もない警部と対照的にハウベル警部補はそんな上司の様子にびくびくしていた。何の断りもなく同じテーブルにどかっと座ったビュッセにクライドの眉が跳ね上がるのをジュリアンは見なかったことにする。
「ま、頑張ってください、警部。僕でお役に立てるのならお手伝いしますよ。犯人の目星はついたんですか?」
皿の中の物を恐ろしい勢いで平らげるビュッセはナプキンで口を拭くとフォークをジュリアンに向けた。
「いーや。まだだ。慎重にいかないとな。ここにいらっしゃるのは色々と面倒な方たちばかりでねえ」
「ただ単に無能なんでしょ」
どうもセイラは彼が気に食わないらしい。小娘発言からだろうが。
「馬鹿言うな! 俺はこれでも二十年やってきてるんだ。普通の殺人事件ならすぐさま解決してるさ。だがここは特殊すぎる。難しいんだよ。一人の身元を調べるのに十の提出書類がいる始末だ」
「言い訳よ、それ。警察なら現場証拠と聞き込みでびしっと犯人揚げなさいよ!」
「あのなぁー」
段々とビュッセの方が彼女のペースを飲み込めてきたようで、荒げていた声を一段下げた。
「そんなんで犯人が分ったら苦労しない」
「飲み物に毒を入れることが可能だった人物はどのくらいいるんですか?」
すっかり食事の終わったクライブが前髪に隠れた瞳を光らせる。
「それなんだ。聞いたところだと、キーラ姫に酒を渡したのはもう一人の被害者ダイアナ嬢らしいじゃないか」
それには三人が頷いた。その現場を見ているのだから。
「他には、そうだなキーラ姫と一緒に来ていたユーリーとかいう野郎。あとは酒を持ってきた給仕か。だがそいつの盆には他にもたくさんのグラスがあって、ダイアナ嬢がどれを取るかは分らなかった」
「ますます、ダイアナが怪しいってわけ?」
チラリとジュリアンの顔を見ながらセイラが言った。
「さて、それはどうかな。まだ捜査の途中でね。あんまりいろいろしゃべるわけにはいかないんだ」
もう十分内容を吐露しているのに抜け抜けとそんなことを言って彼は去っていった。
三人の間に奇妙な沈黙が訪れる。
「ねえ、ジュリアンはどう思っているの?」
「ん?」
「ダイアナがキーラを殺したと思うの?」
「さあ……理由はともかく、一番犯行がしやすいのは彼女かな」
彼のそんな態度の不満な様子でセイラは何事かを考えている。しかし、他になんと答えれば良いと言うのか。ダイアナは絶対に殺していないと、セイラがクライドをそういったように訴えれば満足するとでも言うのだろうか。
「屋上にもビデオとか設えてあったのかしら?」
「ああ、確かあったよ」
「見てみたいな……」
ポツリと漏らす言葉にすぐ反応したのはクライドだった。
「お嬢様」
珍しく厳しい言い方に思わず居住まいを正す。
「もし下手な同情や何かで行動されるのでしたら……」
「違うわ!」
全部言わせずに遮る。
「同情なんかじゃない。興味よ」
えっ、と固まるジュリアンに対して、クライドはにこりと笑った。
「でしたらお引止めはしません。気を付けてくださいね」
「わかってる。ジュリアン、行こう」
さっさと立ち上がり彼女は出口へ向かう。
「興味ならいいの?」
「ええ、同情からですと感情に邪魔され全景が見えない。けれど興味からなら大丈夫でしょう?」
そうだね、と答えていいものか迷っているうちに再度セイラの呼ぶ声がした。
謎な二人である。
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