フィーア島殺人事件

鈴埜

1.ようこそ神秘の島へ



 フィーア島はフィーアホテルを中心に据えたリゾートアイランドだ。ほぼ円形で半円分が白い砂浜を持つビーチ。そちらから船が行き来し、客を迎え入れる。反対方向は断崖絶壁で、潮の流れも変則的な危険区域だ。しかし、そちら側にさえ行かなければ海に人を傷つけるような生物はおらず安全で、日に三度の連絡船しかないという少し不便なところが中流階級の人間に好評だった。五年前までは客足もそこそこあり、夏、一季節のリゾートアイランドと言った点では成功していた方だ。


 五年前までは。


 ホテルが建てられ十年ほど経ち、軌道に乗り出した頃。事件は起こった。

 その日の宿泊客は五十余名。従業員を入れても七十名ほど。夏の暑い日差しの中、親子連れはパラソルを砂浜に立て子供たちと海へ潜る。若いカップルは砂浜に寝そべり愛の言葉を交わす。それは普段となんら変わりない情景だった。

 夕刻。ホールでの食事が終わり、皆自室に引き上げたり、ビリヤードに興じていた。その日はたまたま雑誌の記者が特集を組むと取材に来ていて、ホテルのオーナーであるコーウェン氏は夜のビーチで彼らのお決まりの質問に答えていた。

 その時である。

 ビーチからホテルまではほんの少しの距離。彼らはそこからホテルの全景を撮ろうとした。空からの写真は既に入手済みだが、こちらからの風景も一応手に入れておこうと思ったからだ。カメラを構え、ファインダーからホテルを望む。

 一瞬そこにあるのが何か判別つかなかった。

 ホテルは闇の中に浮き上がり、ところどころライトアップされ白い壁が青や赤に輝く。それは変わりない。

 問題はその後ろにあるもの。

 クリスタルのように七色の光を放ち、半透明で後ろの風景が透けて見える。全百室を備えるホテルよりも大きく、そして美しい形をしていた。どんな美妃も敵わない。長い髪が左右に広がり、少し伏し目がちな睫毛がかすかに動く。両手を大きく広げ、目の前にある建物を包み込む。体はホテルに邪魔され見ることが出来ないが、上半身しか地上には現れていないようだ。

 ファインダー越しに幻を見たのか、と思ったカメラマンは慌てて顔を上げる。しかし、消えることなくそれはそのまま存在した。他の人間たちも口をぽかんと開けそちらを見上げている。

 皆にも見えている、自分だけが見ている幻覚ではないと悟った彼は、とり憑かれたようにシャッターを切った。雑誌の記者もテレビカメラを持つ男を叱咤し、怒られた彼も慌ててフィルムを回す。

 突然現れたそれは、唇をすぼめると徐々に色を薄くし、やがては消えた。

 時間にして五分程度である。

 だがこの五分が多くの人間を、そしてこの島を運命付けるものとなった。



「その美しきさまを人は『フィーアの女神』と呼んだ。毎年彼女が現れる日を境にした十日間だけフィーアホテルは営業し、その日には各国から様々な人間が訪れる。ただ、一ついえることは彼らがその滞在費、一千万ヴィラを払えるだけの金持ちだと言う事だ」

 甲板には十四、五名の、自分にも持ち物にも金をかけていそうな人間たちがいた。皆好奇心を隠そうともせず前方に見える島を指差し、三日後に起こるフェスティバルに心躍らせる。

 読んでいた雑誌をパン、と閉じると右へ差し出す。彼女の側に控えていた男がそれをすかさず受け取った。夏の日差しの強い時期。しかし彼女の肌にはその影響の片鱗さえも見られない。白雪のように透明感のある肌。赤い唇と紫水晶のような瞳。そしてつややかな黒く長い髪。先ほどからちらちらと周囲の人間が彼女の顔を盗み見る。真っ向から対峙すればその美しさに屈服させられるであろうから。たかが十二、三歳でしかない彼女に。

「でも皆忘れているのよね。フィーアの女神が現れると必ず人が死ぬ事を」

 ふっくらとした赤い唇をくっ、と曲げる。

「まあ、私もその一人だけど」

 フィーアの女神が現れ、そして消えた後。そこに残ったのは人々の驚きと、一つの遺体だった。元々心臓が悪く、療養を兼ねてこのホテルに長期滞在していた初老の男性。浜辺からまるで建物を抱きかかえているように見えた彼女は、実のところかなり離れた場所に出現したらしい。部屋によってはホテル裏の森から生える彼女の胴体が見えたそうだ。そして、不幸な彼の部屋からもその姿が見えただろう。心臓に欠陥を持った人間にはそれこそ決めの一手だ。

 初めてのフィーアの女神の登場から一年間は、彼女の出現を一目見ようと多くの人間が訪れた。観光目的の者もいれば、様々な分野の研究者(特に魔導関係の)たちも、多くの計器を引っさげて押しかけている。しかし、いくら待っても女神は島に現れなかった。誰もが諦めていた。あれは偶然の一回だったのだと。そして丁度一年たった時。彼女は現れたのだ。一つの死体と共に。

「それから三年。毎年その日になると女神が現れ死体が残る。ホテル側も大改装を施し、年に十日の営業のみ、それで残りの一年を暮らせるだけの宿泊料を取る。プレミア感も増すし、働くのはこの時だけ。ホテルの経営側も中々の策士だ。そして、訪れるのは酔狂な金持ち連中。宿泊の際の契約書には命の保障はしないとの記述まである」

 真っ向から対峙する事を誰もが避ける彼女に右手を差し出したのは二十五ぐらいの優男。

「こんにちわ。ジュリアン・レノックスです」

 薄茶の髪に同じ色の目。がっしりとした体つきだが、威圧感は受けない。人好きのする顔立ちで、笑顔が似合っていた。

「セイラ。セイラ・オブライエンです」

 差し出された手を握り返すと、彼は恐ろしいまでの早業で腰をかがめ、長い手袋に包まれたセイラの手の甲にキスをした。そのまま上目遣いで彼女を見やる。

「こんな素敵なお嬢さんに出会えるとは、フィーアの女神よりも収穫があった」

 しかしセイラの方といえば、そんな扱いには慣れおり何の感慨も受けた様子がない。

「そう。……で?」

 普通の人間なら相手の容姿を褒めるところから話を展開していこうとするもので、こんな風に言い返されたら詰まってしまうが、彼は違った。興味がなさそうな彼女をものともせずに一人話し続ける。

「実は僕、歴史学者でね。ここに来たのはただの興味からだけど、職業病とも言おうか自分の行く場所にある話ってのは事前に調べないと気がすまない。この島の歴史に興味がおありのようだ。もしお暇ならば僕の知っている知識を披露させてもらおうと思ってね」

「変な人。別に必要ないわ。得られる情報は最初にもらうパンフレットで大体飲み込めたから」

「おや? 本当かな。確かに観光用の配布物で観光用の知識は得られるだろう。が、……後に残った遺体の素性まではご存知ないでしょう?」

 今まで無関心を決め込んでいたセイラの表情がピクリと動いた。好感触とジュリアンはさらに言葉を重ねる。

「隣に座っても良いかな?」

 しばらく躊躇した彼女も結局は右へ少しずれて彼の座るスペースを空ける。これはこれはもったいない、と恭しくお辞儀をしてジュリアンは優雅に腰を下ろした。

「まずはこの海域の歴史から……」

 芝居がかった調子で話を切り出すと、しかし汽笛が辺りに響き渡った。

「残念。時間切れか」

「そうみたいね」

 彼は座ったばかりの席から立ち上がり、セイラも供に手を引かれ歩き出す。

「フェスティバルまでは日にちがある、また私の話に付き合っていただけるかな?」

「ここは二人一組での招待。貴方の連れが気分を悪くするわよ?」

大人びた受け答えに笑顔を返し、またと言ってその場は別れた。



 船から降り立つ人々は、オーナーのコーウェン氏に熱烈な歓迎を受ける。湾からホテルまでは歩いて十分ほど。普段ならその距離さえ車で出迎えさせる貴族たちも今日は笑顔でその行程を楽しんでいた。現在のフィーアホテルには部屋によるランクの差はない。皆同じ作りで召使を連れている者もいなかった。旅行用の荷物は先に便で届けている者もあれば、最近は圧縮呪文をかけた良い鞄が出ているのでそれを自分で運んでいる者も多い。セイラも小さな籐で編んだ鞄を持っている。供も、彼女に白の日傘を差しもう片方の手で大き目の旅行用バックを持っていた。

「ねえ、ほら見てクライド」

 彼女の指し示した方には先ほどの自称歴史学者ジュリアン・レノックスがおり、その横には美しい女が寄り添っていた。金色の豊かに波打つ髪と緑の瞳、黒いカジュアルなスーツをしっかりと着こなしている。

「レノックス氏の彼女かしら」

「それにしてはあまり仲がよろしくないようですが」

「何故?」

「二人ともお互いあらぬ方向を向いてらっしゃいますよ」

「うん、それもそうねぇ」

 クライドの言う通り、女性はきょろきょろと辺りを見回し、ジュリアンは女性に歩調を合わすわけでもなく、ただひたすらホテルに向かっている。

「変なカップル」

「それはお互い様でしょう」

 自分たちのことを言っているのだと気付くまでに少し時間がかかる。

「……そんなに変かしら?」

「外から見た真実と内側から見た真実は違いますからね」

「もっと客観的に物を見る目を養えってことね」

 外見よりも大人びた口調にクライドは苦笑する。

「セイラ様は今のままで十分だと思いますよ」

「そうかしら……まあ、でもクライドがそう言うなら喜んでも良いかな」

「ええ」

 小さな声で話しているので二人の会話までは聞こえない。だが、凛とした美しさを持つ彼女もお付の男と話すときは可愛らしい笑顔を浮かべ、周りの者たちの興味を誘った。ホテルの宿泊客は五十組百名。その小さなコミュニティーの中で、彼女の存在が話の種になるのは時間の問題だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る