第61話・何気ない日々の中で

 由梨ちゃんの提案で開催された花見が始まってから約一時間。

 うたげはサクラを中心にして大いに盛り上がっていた。

 ほぼ葉桜となった桜の木の下では、別に酒を飲んでいるわけでもないのに酔っているおっちゃんの様にテンション高く騒ぐサクラと、それに巻き込まれるプリムラちゃん、そしてそんな二人を楽しそうに見ている由梨ちゃんと明日香の姿がある。

 そんな中で琴美はサクラの暴走に巻き込まれない様にその動きを見ているみたいだったけど、それでもその表情はとても楽しそうに見えた。


「涼太君。僕はちょっとトイレに行って来るよ」

「あっ、はい。分かりました」


 その時に見た拓海さんの顔は、俺にはどこか浮かない感じに見えた。ここに来た時もそうだったが、なんだかいつもの拓海さんとは様子が違う気がする。


「……琴美。俺もちょっとトイレに行って来る」


 そんな拓海さんの様子が気になった俺は、二分ほど経ってから拓海さんのあとを追いかけ始めた。


「――どこに行ったんだろ?」


 丘を下りた所にある公園の公衆トイレに行ってみたけど、そこには既に拓海さんの姿はなかった。

 ここへ向かう途中ですれ違ったわけでもないので、みんなが居る場所に戻っているという事はまずないだろう。だから俺は公園の中を少し歩きながら、拓海さんが別の場所に居ないかを確かめて回る事にした。


「――あっ、拓海さーん!」


 公衆トイレから離れて公園内を見て回っていると、公園にいくつかあるベンチの一つに座っている拓海さんを見つけ、俺は声を掛けながら走り寄った。


「あっ、涼太君。どうしたんだい?」

「拓海さんこそどうしたんですか? こんな所に座り込んで」

「うん。ちょっとね……」


 そう言って拓海さんは青く広がる空を見上げた。

 そしてその表情はどこかうれいを感じさせ、やはりいつもと何かが違うという事を感じさせる。


「何かあったんんですか?」

「うん…………涼太君。由梨の事なんだけどさ……どう思う?」


 俺の質問に対して少し考える様な素振りを見せたあと、拓海さんはポツリとそんな事を聞いてきた。


「どう思うとは?」

「いや……今年の二月に入ったくらいからだけど、なんだか由梨の様子がおかしく感じるんだ」

「おかしいって、どういう風にですか?」

「どういう風にと言われると困るけど、なんだかやたらに色々な事をやりたがるし、妙に明るい事が多いし……」

「色々な事に興味を持つのはいい事じゃないですか?」

「うん……確かにそうなんだけど、なんだか由梨の場合は違う気がするんだよね。なんて言うかこう、無理やり楽しい思い出を作ろうとしている――みたいに感じるんだよ」

「無理やり、ですか?」


 その言葉に拓海さんは大きく頷いた。

 それを見た俺は何かおかしな事があったかなと考えを巡らせ始めた。


 ――人が無理やりにでも楽しい思い出を作ろうとするのはどんな時だ? 何か嫌な事があった時? 落ち込んだ時か? それとも……もしかしたら……。


 色々な可能性を考えていたその時、俺は一つの可能性に行き当たった。それは俺も決して無関係な事ではなく、そして何よりも考えたくない可能性だ。


「……拓海さん。もしかして由梨ちゃんは――」

「うん。別れが近いのかもしれない……」


 全てを口にする事ができなかった俺の代わりに、拓海さんはそう言った。


「でも、由梨ちゃんがそう言ったわけじゃないんでしょ? 単に考え過ぎって事は?」

「うん。もちろんそうかもしれない。いや、そうだと思いたい。でも、幸せな毎日で忘れそうになってしまうけど、由梨とはそう長く一緒に居られないのは確かだと思うんだ。あの子はあくまでも幽霊という存在であって、現実に生きている人間じゃない。今は一時的に与えられた肉体で活動して、この世に再び生まれ出る為のプロセスを通過しているに過ぎないんだ。だからそのプロセスを通過したら、由梨は明日にでも居なくなってしまう存在なんだ」

「…………」


 そんな拓海さんの話を聞いて、『そんな事はありませんよ!』と言えたらどれだけ良かったか。拓海さんが話した内容は、そっくりそのまま俺にも言えること。

 明日香と過ごす日々は今の俺には当たり前になり過ぎていて、明日香が幽天子だという事を綺麗さっぱりと失念するくらいだ。

 でも、別れの時は必ずやって来る。それは拓海さんの言う様に、明日なのかもしれない。そう考えるととても落ち着かない気持ちになる。


「由梨ちゃんには聞かないんですか? そのあたりの事を」

「……うん。僕は聞かないつもりだよ」


 しばらく目を閉じて思いをめぐらせる様にしたあと、拓海さんははっきりとそう答えた。


「それでいいんですか?」

「うん。もしも由梨にその事を聞いたら、由梨は多分、本当の事を話してくれると思う。でも、代わりにその事ばかりが気になってしまって、お互いにいつもの日常を送れなくなるかもしれない。それだけは絶対に嫌なんだ。だからもし由梨が明日消えてしまうとしても、僕からは由梨に何も聞かない」


 拓海さんにとっての幸せ、それは由梨ちゃんと過ごす何気ない日々。それを壊さない為に何も聞かないというその覚悟。

 果たして俺が同じ立場になった時、俺はどんな考えを巡らせ、どんな決断を下すのだろうか。


「話せて少しスッキリしたよ。ありがとう、涼太君。さあ、そろそろ戻ろう。みんなが心配するからね」

「そうですね」


 そう言ってスッとベンチから立ち上がり、晴れやかな表情を見せる拓海さん。全てを飲み込めたとは思わないけど、俺に話した事で少しでも気が晴れたのなら良かったと思う。

 それから花見へと戻った俺は、公園のベンチで話した事を忘れたかの様に騒いだ。拓海さんはどうか分からないけど、俺はそうしないと不安で仕方なかった。

 そしてこの花見を始まりに夏を迎えるまでの間、俺達は度々由梨ちゃんが提案するイベントに誘われ、その度にみんなで思いっきり楽しんで思い出を作った。

 こうして七夕が過ぎ、もう少しで夏休みを迎えようという頃。唐突にその出来事は起こった。

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