第51話・聖夜の奇跡

 お風呂から上がったあと、俺は猫の小雪を捜して家の中を歩き回っていた。

 そして小雪を捜し回る最中、明日香の部屋からは楽しく騒いでいる声が聞こえていたけど、それも日付が変わる前には物音一つ聞こえてこなくなっていた。おそらく三人とも寝てしまったんだろう。

 しかし琴美にサクラ、プリムラちゃんが居るリビングからは、未だに騒がしく話し声が聞こえてくる。まあ騒がしいとは言っても、聞こえてくるのはほとんどサクラの声だけど。


 ――やれやれ。余計な事を喋ってなければいいけど……。


 お風呂に入る前、サクラには余計な事を琴美に話すなよと釘を刺しておきたかったんだけど、そうする前に起こった出来事でそれも叶わず、俺はサクラを野放しにせざるを得なくなった。

 猫の小雪を捜してリビング横の廊下を通る度に、サクラの黄色い声が中から聞こえてくる。そしてその声を聞く度に、俺の中に不安が広がっていく。


 ――琴美を困らせてなけりゃいいけどな……。


「涼太君。さっきからどうしたの? 何か探してるのかい?」


 そんな事を思いながら小雪を捜している時、階段の途中に居た拓海さんが廊下の方へと顔を出して下に居る俺へと話し掛けてきた。

 みんなが心配しない様に内緒で小雪を捜していたけど、この際だから拓海さんには聞いてみようと思った。


「拓海さん。どこかで猫の小雪を見ませんでしたか? 今日帰って来てから一度も見てないんですよ。出してた餌を食べた様子もないし……」

「なるほど。それで部屋に戻らずに家の中を捜し回ってたのか」

「はい。どこかで見ませんでしたか?」

「いや。僕も猫の小雪ちゃんの姿は見てないけど、一緒に捜そうか?」

「あっ、いえ。見てないならいいんです。それにもう時間も遅いですし、拓海さんは先に部屋で休んでて下さい」

「そっか、分かったよ。でも多分、そこまで心配しなくていいと思うけどね」


 拓海さんは優し気な表情でそう言うと、そのまま階段を上がって部屋へと戻って行った。それにしても、心配しなくていいと思う――ってのは、いったいどういう事だろうか。

 それから更に三十分ほど小雪を捜してみたけど、俺はとうとうその姿を見つける事はできなかった。いったいどこに居るのか心配だけど、これ以上家の中をうろつくとみんなに気付かれてしまうかもしれないので、今日はこれくらいにして明日の朝にまた捜す事にした。

 こうして小雪の捜索を中断して自室へと戻った時、壁にある掛け時計は午前一時過ぎを指し示していたが、部屋の明かりは点いたままの状態だった。そしてそんな明るい室内で、拓海さんは既に小さく寝息を立てている。おそらく俺の為に気を利かせてくれたんだろう。


「ありがとうございます」


 俺は寝ている拓海さんに向かって小さくお礼を言い、部屋の電気を消してからベッドの中へと入った。

 そしてベッドの中の冷たさが消えるまで我慢して目を閉じると、パーティーで騒ぎ疲れていたからか、眠りの波が俺を包むのにそれほど時間はかからなかった。


「――んんっ……」


 眠りについてしばらく経った頃。俺は不意に扉の外の廊下をスリッパを履いて歩く音で目を覚まし、扉の方へと寝返りを打った。そして俺がスリッパのパタパタという音を聞きながら扉の方をぼーっと見ていると、その音は階段部分の位置でピタリと止まった。

 それからしばらく音が止まった階段部分へ意識を向けていると、かすかにサクラの声が聞こえてきた。

 こんな時間に誰と話してるんだろうと思った俺はそっとベッドを抜け出し、部屋を出て声がする階段の方へと向かった。


「なんだ……サクラと小雪ちゃんだったのか」


 階段の中央からやや上の階に近い場所で二人が並んで座っている姿を見た俺は、その二人に向かって話し掛けた。


「あっ、お兄ちゃん」

「あらら。起こしちゃった?」

「話し声が聞こえたんで誰だろうと思ってさ」

「そうだったんだ。ごめんね、涼太君」

「それはいいけど、それよりもどうしたんだ? こんな所で」

「えっとね、サクラお姉ちゃんにお礼を言ってたの」


 サクラに対しての問い掛けに答えたのは、サクラではなく小雪ちゃんだった。

 我が家に小雪ちゃんを連れて来たのはサクラだから、サクラに対して小雪ちゃんがお礼を言うのは分かる。だけど、わざわざこんな時間にこんな場所で言う必要はないと思う。


「そっか。まあ、今度はいつでもいいから遊びに来てね。明日香も喜ぶし」

「ありがとう、お兄ちゃん。でもね、それはできないの」

「えっ? どうして? 住んでる家が遠いとか?」

「それは……」


 小雪ちゃんはその問い掛けに対し、答え辛そうに顔を俯かせた。


「……涼太君。小雪はね、実は人間じゃないの」

「はっ?」


 サクラから出た言葉を聞いた俺は、ついつい間抜けな声を出してしまった。だって目の前にいる小雪ちゃんは、どう見たって人間なんだから。


「急にこんな事を言っても信じられないか。ねえ、涼太君。今日、猫の小雪の姿を見た?」

「いや、見てないけど……えっ!? もしかして小雪ちゃんて――」

「うん。私はお兄ちゃんと明日香お姉ちゃんに飼われてる猫の小雪だよ」


 そんな馬鹿な事があるとは思えず先の言葉を口にしなかった俺に対し、顔を俯かせていた小雪ちゃんが俺を見てはっきりとそう言った。


「で、でも、どう見たって小雪ちゃんは人間じゃないか」

「それはね、サクラお姉ちゃんの力を借りてるからなの」

「えっ? どういう事だ? サクラ」

「実はね、小雪は前世での記憶を思い出していたの」

「前世の記憶って……それじゃあもしかして、あの時の事も?」

「うん。だから明日香お姉ちゃんに、生まれ変わったら一緒に遊ぼうね――って言われてた事も思い出したの」

「マジか……」

「小雪が前世の記憶を取り戻したのは、ちょうど風邪をひいた頃の事らしいの。それでそのあと、小雪から『人間になって明日香お姉ちゃんと一緒に遊んでみたい』ってお願いされてたから、今回ちょうどいい機会だと思ってそれを実行したってわけ」

「なるほど。そういう事だったのか」

「ごめんね、お兄ちゃん。黙ってこんな事をして……」

「いや、謝らなくていいよ。明日香も『可愛い妹ができた』って言って凄く嬉しそうにしてたし」

「本当は涼太君には話しておくべきだったのかもしれないけど、自然に遊んでほしかったから」

「気にするなよ、サクラ。小雪ちゃんや明日香の為に気を遣ってくれたんだろ? ありがとな」


 俺はサクラに向かって軽く頭を下げた。

 するとサクラは笑顔を浮かべて嬉しそうにしていた。


「あっ、そろそろ時間みたい……」

「時間? どういう事?」


 小雪ちゃんに向かってそう問い掛けると、小雪ちゃんの身体が突然淡く白い光に包まれ始めた。


「お、おい……」

「お兄ちゃん。これ、私の代わりに持っててもらえないかな?」


 そう言うと小雪ちゃんは、明日香からのクリスマスプレゼントのネックレスを差し出してきた。

 そして白い光に包まれた小雪ちゃんは、少しずつ身体が小さくなっていく。俺はそんな小雪ちゃんからネックレスを受け取った。


「分かった。大事に預かっておくよ」

「ありがとう。それともう一つ、明日香お姉ちゃんに『一緒に遊べて凄く楽しかった。ありがとう』って伝えてもらえないかな?」

「うん。ちゃんと伝えておくよ」

「ありがとう。涼太お兄ちゃん」


 可愛らしい笑顔でそう言うと、小雪ちゃんは一層眩しい光に包まれた。

 そしてその眩しい光が収まったあと、そこには小さな寝息を立てて眠っている猫の小雪の姿があった。


「涼太お兄ちゃん――か」


 静かに寝息を立てる猫の小雪を抱え上げ、その頭を撫でながら俺は微笑んだ。


「可愛い妹が増えたね、涼太君」

「そうだな。サクラ、色々ありがとな」

「ううん。お礼なんていいよ」


 クリスマスに起こった奇跡。

 それはとても素敵なプレゼント。その素敵な思い出を作る切っ掛けをくれたのは、サンタさんではなくお調子者の優しい妖精だった。

 こうして新しい妹が増えた喜びを感じながら、俺は小雪を専用の寝床へと連れて行った。

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