人と人外

犬と猫

人と人外

 異世界からやって来た私を匿ってくれた、優しい人外がいた。モデルは人なのに、硬そうな尻尾と翼と爪を持つ、まるでドラゴンと人間を混ぜたような容姿の人外だった。



 彼はグリーゲーニーと言った。

 グリーゲーニーは森の小屋の側で縮こまる私を怪しんでいたが、決してきつく当たったり傷付けようとはしなかった。

 「体調が悪いのか」と聞かれ、「頭が痛い」と答えると、彼は薬草を採ってきて、急いだ様子で小屋を掃除し、看病してくれた。

「名前は?」

「………ユリ」

「ユリ、旅の者か? ここは隠れ里だ。迷い込んだのなら、即刻立ち去った方がいい」

「………ごめんなさい」

「もちろん治ってからでいい。何日食べてない」

「二日、くらい」

 彼は舌打ちしてからその場を離れ、ものの五分で帰って来ると、その手にはたくさんの野菜があった。

「作る。待ってろ」

 そう言って何か呪文を唱える。すると、火が発生した。緑色の、不思議な炎だった。それで枝を燃やし、鉄製の椀で野菜を煮て、スープを作ってくれた。

「少しずつでいい。食べるんだ」

「………ごめんなさい」

「やはり言葉に差異があるな。こういう時はありがとうと言うんだ」

「あり、がと………」

 この言葉を発したのはいつ以来だろう。幼稚園か、小学校低学年か。少なくとも中学、高校では言っていない。言う相手がいなかった。

 そのせいだろうか。涙が出てくるのは。

 こんな自分が、『ありがとう』と言えたことが堪らなく嬉しい。

 私は泣きながら野菜スープを頬張る。感情が高ぶってるせいか味はわからなかった。でも、私は手を止めなかった。

 食べ終えるまで、彼は何も言ってこなかった。


「ねぇ、グリィ。どうしてこの里のヒトたちは隠れてるの?」

 彼の付きっきりの看病もあり、私は三日で元気になった。恐らく異世界の空気に耐性がなく、体調を崩してしまっただけだろう。

 そして、今日が彼とお別れの日だ。元気になったら立ち去る。そういう約束なのだから。

「外の世界では、我々の肉を食べれば不死になれると信じられている。だから逃げるしかなかった」

 それを聞いて、私は一つの恩返しを思い付いた。我ながら、とてもいい案だ。

「………グリィのお肉、食べさせて」

「間違いだからな」

「わかってるよ。ほら、その使えない翼のほんの一部でいいから」

「興味本意か? 別に構わんが」

「あ、いいんだ」

「翼と尻尾は再生する」

 彼はそう言って、自分の翼の一部をもいだ。予想より多いが、それに越したことはない。

「ありがと」

「何に使うんだ」

 私は答えない。霧が深くなるなかを二人で黙って進む。ある地点まで来ると彼は立ち止まった。ここが、隠れ里と外の境界なのだろう。

「グリィは、ここから出れないんだよね?」

「ああ」

 私の目の前に彼がいて、彼の目の前に私がいる。それでもここには、破ってはいけない壁がある。

「なら、さっきの質問、もう一回して」

「何に、俺の肉を使うんだ」

「私が皆の前でこれを食べて、自殺する。それで私が死ねば、グリィたちは隠れなくて済む」

 じゃね、と私は言い残して、霧の深い森を真っ直ぐ走る。

 友達も恋人も仲間もいなかった私に、初めて『ありがとう』を教えてくれたヒト。

 彼のために死ぬ。それができるなら、きっと、私は自分の人生に胸を張れる。

 無価値だった私の人生が、初めて色をまとう。

「勝手な女でごめんね」

 色を持った人生の終演は、私にどんな景色を見せてくれるだろうか。

「全くだ。命を粗末にするな」

「えっ? グリィ?」

 飛べないと言っていた彼が、飛んでやってきた。

 そのことに驚いたのも束の間、所謂いわゆるお姫様抱っこされて、飛んだまま来た道を戻っていく。

「ちょっと、早い! 恐い!」

「すまない」

 彼は減速して、そっと私を地面に置く。ジェットコースターから降りたのような感覚だ。フラフラして、思わずしりもちを付いた。

「飛べないとか、境界からは出れないとか言ってなかったっけ?」

「我々の一族は、三つの嘘を経てから真実を語る。許してくれ」

 変な習慣だ。だが嘘は二つ出た。あと一つ。

「一族は、俺以外にもいる」

 これが嘘。

 正直、何となく察していた。でないと、私に付きっきりで看病などできないだろう。

「一緒に居てほしい」

 これが、真実─────。



 異世界からやって来た私を匿ってくれた、優しい人外がいた。モデルは人なのに、硬そうな尻尾と翼と爪を持つ、まるでドラゴンと人間を混ぜたような容姿の人外だった。

 そんな彼の腕の中で、私は二十五歳の誕生日を迎える。

 環境の激変で、私の体は限界だった。もう生きていられない。

 私たちは種が違う。子供はできなかった。

 私たちは種が違う。彼のはまだまだ生きる。

 私たちは種が違う。それでも、心は一緒だ。

 もしあの時逃げ切ってあれば、違う世界が私を受け入れてくれたかもしれない。彼が私に「一緒に居てほしい」と言ったのは、ただ寂しくて誰でも良かったのかもしれない。

 それでも私は、彼と一緒に居る道を選んだ。

 そして、居れて幸せだった。

「嫌い………」

 私はその言葉を三回繰り返してから、彼にこう言う。

「大好き」

 人生の終演が私に見せてくれた景色は、好きなヒトと出会った場所で、好きなヒトが泣き笑う姿だった。

 私はその光景を目に焼き付け、そっと瞑る。最後に、言いたい言葉があった。

 私たちを繋ぐ、架け橋のような言葉────。



 ────ありがとう。

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