5-3
卒業式が行われている間、僕は音楽室で一人ピアノを前にしていた。ピアノを弾くわけでもなく、昔のことを思い出すわけでもなく、ただ茫然と聞こえて来る音に耳を傾けていた。
卒業式の様子は分からないけれど、音がすべてを伝えてくれる。音楽室の窓ガラスを開けていると、体育館の方から色々な音が音楽室にやって来るのだ。
国歌斉唱。校長先生からの祝辞。来賓者からの挨拶。卒業証書授与。卒業式に相応しい歌声に、卒業生の言葉。卒業するのは小学六年生が二人と中学三年生が一人だと聞いている。言うまでもなく中学三年生というのは立花さんのことで、旅立つ少女の言葉がここまで届いてきていた。
「この学校は無くなってしまいます。しかし、立ち止まる訳にはいきません」少女は力強くそう言っていた。
少女が口にする数々の言葉は、卒業式の言葉として、どこにでもあるようなありきたりな言葉だ。でも、その言葉を何かとても大きなものにでも宣言するかのように語る少女の声は、そんな在り来りな言葉を少女の言葉としていた。
卒業式なんてあっという間だ。この学校で過ごしたのは九年間だけど、卒業式なんて二、三時間程度で終わってしまう。その短い時間で、少女達は九年間分の記憶に区切りをつけ、卒業しなければならない。
ピアノの音が聞こえて来る。きっと、弾いているのは北川先生だろう。本当、時間はあっという間に過ぎ去って行って、ピアノの音と拍手が消えると言うのは、書き溜めたノートが真っ白になって行くようだ。
卒業式の音が消えて、気が付けばまた波の音だけがこの音楽室に届いている。
思えば、あの日もこんな風に一人音楽室で波の音を聞いていた。卒業式が終わった後、僕は今と同じように一人でこの場所に居たのだ。
あの日彼女と鳴海に向けて弾くことが出来なかった曲。その楽譜が今目の前にある。これから音としてこの世界を走るために、ここにある。
足音が聞こえる。それはこの音楽室に向かってきているようで、少しばかりゆったりとした規則正しい音を響かせている。
それから、カシャリというシャッター音が僕の思考を切り取った。
「呼びに来た」
旅立つ少女は花束とカメラを抱え、何ら憂いのない晴れ晴れとした笑みを浮かべている。
「卒業おめでとう」と、そう言おうとしたところで、しかし僕はその言葉を飲み込んだ。言葉では無くて、もっと僕にふさわしい伝え方がある。
「ありがとう。じゃあ行こうか」
楽譜を持って、立ち上がり、この音楽室の扉を出た時、ずっと止まっていた時間が動き出すような気がしたのだった。
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