ロボの超映画ビュワー

ロボ

未来のミライについて。

 ここ最近観た映画の中じゃ、ダントツで評価をつけ難い一作。あの「時をかける少女」「サマーウォーズ」を作った監督。という色眼鏡が今作品の評価を難しくしている印象。聞くところによると上記二つは携わった脚本家の功績が大きく、「おおかみこども」以降は細田守監修という名目で横槍を刺されまくったとか。兎にも角にも賛否両論別れる監督論争の中、この夏公開された「未来のミライ」はその真価が問われる一作となった。


 率直に申すと。この映画に高評価をつけるのは熱心なファンか、純度の低いオタク達だけだろう。良くも悪くも大衆ウケしないと言うのが私が下した評論だ。ただ、それが厳しい評価かと問われれば決してそうではない。映画を包括してみると、心象風景に焦点をあてた作品は珍しい訳ではなく。論争の種になったストーリー性という観点においては、この作品に望むべからずを暗黙の了解として敷いておかねばならない。それを聞きまだ癇癪を起こすようなら、まず観客のリテラシーを問いただすことから始めよう。


 そもそも論を提唱すると。この作品は高い感受性を持って臨まなければならない。一挙手一投足、舐めるように作品の意味について考えて見なければ一時間半を苦痛に変えてしまうことになる。構成。挙動。他にもみる観点は有るだろうが私が思いつく限りはこれだけだ。要するに私は苦痛であった。閑話休題


 細田守はこの作品をどういう思いで手掛けたのだろう。恐らく相当な思入れがあって手掛けているのに違いない。フィルムの中からその情熱とフェチズムだけは伝わって来た。昨今の「君の名は」で台頭してきた新海誠には少なからず危機感を覚えただろう。衰退した宮崎駿の席に座るのは自分だと思い描いていた矢先にとんでもないセンスを持った男が現れたのだ。それが日本のアニメ映画への執着に火を点けたのだ。泣く泣く書いた作品が支離滅裂な育児スペクタクル超大作(笑)ともなれば非難囂々も頷ける。加えて近年問題視されていた極私的な箇所が今作ではダイレクトで描かれていたのだ。もう細田ワールドでは通用しない段階まで来ているのだ。


 何も監督を批判したいが為にこの文章を打っている訳ではない。心の教材ビデオとしてみるなら価値はあったし、何より福山雅治はカッコよかったからそれだけで私が『未来のミライ』を見に行く意味はあったと思うのだ。うん?じゃあ次の監督の作品は見に行くかって?それは『未来のオレ』に聞いてみないとわからない。




 

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