第7話 我がまま娘がもたらしたもの

「ああ! 麗ちゃん! 麗ちゃん! 麗ちゃん!」


 その言葉と共に小柄な女性が麗佳に向かって飛びかかって来た。麗佳はよける事も出来ず受け止めてしまう。まあ、オイヴァがすぐに風魔法で支えてくれたから、こける事は避けられた。


 異世界間移動の空間から『はっや!』という姉の声が聞こえてくる。確かに、と麗佳は思った。空間が開くか開かないかのところで飛び込んで来たのだから。

 おかげできちんと未来の王妃らしく迎える事も出来ずじまいだった。


「お、おばあちゃん?」

「麗ちゃんだわ! 本当に麗ちゃんだわ! 無事だったのね! よかった!」


 思い切り抱きしめられ頬ずりをされる。老年にさしかかっているとはいえ、今でも活発に飛び回っている祖母の力は強い。


 ちょっとどころでなく苦しいので、そう言おうとした。でも、その言葉は肩に落ちた水に止められる。

 ゆっくりと顔を上げると、祖母の目からいつもは流れない大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「あ……えっと……」

「麗佳!」

「は、はい!」


 いきなり雷が落ちた。つい姿勢を正す。


「みんなどれだけ心配したと思ってるの!? 別の世界に行くんだったらちゃんと書き置きを残してから行きなさい!」

「いや、母さん。それは絶対無理だから」


 麗佳の思った事を懐かしい声が代弁する。恐る恐るそちらを見ると、予想通りの人物が立っていた。


「お父さん……」


 まるで夢を見ているようだ。近くを見ると、母も姉も祖父も立っている。姉の横にちゃっかりと彼女の恋人である幼なじみまでがいたのには心の中でちょっと苦笑したのだが。


 ちゃんと挨拶したいのだが、祖母が離してくれない。他の家族が近づこうとすると何故か威嚇してくるのだ。祖母はいつから猫になったのだろう。


「順番待ちがいるんだよ。譲ってあげたらどうだい?」


 たまりかねたのか祖父が祖母を止めてくれる。祖母はしぶしぶというように麗佳から手を離した。



***


 思い切り再会を喜び、改めて未来の王妃らしい歓迎の挨拶をしてから、麗佳達はサロンに移動した。今回は麗佳の客人なので王妃の間の中にある麗佳のサロンだ。


 茶会にはエルッキ達も参加している。家族が、麗佳が旅に出ている間にお世話になった仲間達にも挨拶がしたいと言ったからだ。


 最初はがちがちに緊張していたエルッキ達だったが、参加理由を知ってからは少しだけだが、肩の力を抜いてくれている。

 まあ、無理もない。エルッキは騎士見習いで、ヨヴァンカとハンニは魔術師見習い。みんな魔王家に仕えている。


 そして、ラヒカイネン家はこちらで男爵位を——親魔族の一家だったからだ——もらっているが、あとの二人の身分は平民。普通はめったに王族と一緒の席に着く事はないのだ。前はそんな事はあまり気にしていなかったが、多分魔族の仲間達にいろいろ言われているのだろう。


 加えて三人はこちらではめずらしい『人間』なので、遠慮もあるのだろう。まあ、これに関しては麗佳も一緒だから何も問題はないのだが。


 いじめなどはないようだ。どうやら、麗佳付きである騎士や侍女達が彼らの味方になってくれているらしい。いい事だと思う。


 今、みんなはこの世界の魔術について話している。どうやらこの部屋を照らしている魔法の灯りが珍しいようだ。というより、電灯とそう変わらないように見えるのだろう。麗佳も今は慣れているが、最初ヴィシュの王宮で電灯ならぬ魔術灯を見たときは、家族と同じような反応をしたのをよく覚えている。


 ちなみにこの世界にも一応電気はある。この世界の人間の全員が魔力を持っているわけではないからだ。ヴィシュのある程度大きな街なら結構電化製品がそろっていた。大きな街と街の間には電車もあった。


 魔道具の類は貴族が独占しているからこれは仕方がないのかもしれない。


 そう説明した。


「レイカの世界ではそんなに電気が発達していましたの?」


 ヨヴァンカが不思議そうに尋ねる。生粋の貴族である彼女には驚く事なのだろうか。


「私たちの世界には魔力がありませんから」


 母が答える。


「そうそう。あったとしても覚醒してないしね」


 母の言葉にうなずきながらも訂正するべきところはきちんと訂正しておく。それをしなければ麗佳が魔力持ちである事の説明がつかない。


 そんな世界があるのかと、その場にいたこの世界の人間と魔族は思ったのだろう。みんながみんな興味深そうな表情をしている。


「それにしても」


 姉がぽつりとつぶやいた。何か疑問点でもあったのだろうか。


「何? お姉ちゃん」

「電車が走ってるのに、どうして麗佳達の旅は三ヶ月もかかったの? ヴィシュ王国ってそんなに広いの?」

「そういえば遅かったよな。私は勇者がまた召喚されたって知らせが来てからずっとラヴィッカで待ち構えていたのに。全然来ないから恐れおののいて逃げたのかと思ってたよ」


 オイヴァまでそんな事を言う。どうして分からないのだろう、と元勇者パーティメンバーは顔を見合わせた。


「お前達は一体、三ヶ月間も何してたんだ?」

「レイカを鍛えてたんです!」


 オイヴァの疑問に三人が同時に答える。麗佳もうなずいて同意した。


 そんな話題が出るという事は、今までの勇者は何の準備もせずにオイヴァに挑んだという事だ。だったら負けた理由がよく分かる。


 とうか、すぐにラヴィッカに着いていたという事は、彼らは各主要都市の見回りすらしなかったという事だ。

 今までの歴代の勇者パーティメンバーは何をやっていたのだと頭を抱えたくなる。


「その割にはラヴィッカに着くまで私たち魔族の事は話していなかったじゃないか。敵の情報は真っ先に共有すべき事だと思うけどな」


 意地悪そうな顔であの時の事を蒸し返される。麗佳は違う意味で頭を抱えたくなった。エルッキとヨバンカはオイヴァが盗み聞きをした事を知らないので『何で知っているんだ!』と驚いていたが。


 ちなみにハンニは何も反応しなかったのでとっくに知っていたようだ。魔術の練習の時にでもオイヴァに聞いたのだろうか。


「それにしてもよく特訓出来たわねぇ」


 何故か母がひどい事を言っている。


「ちょっとお母さん! それどういう意味!」

「だってあんたやりたくない事は頑としてやらないじゃない。訓練とか大変そうだし、戦いなんて知らないでしょう。だから嫌がらなかったのかしら、と思って」

「私そんな我が儘じゃないよ!」


 かなりひどい言い草だ。麗佳は思い切り頬を膨らませて抗議をする。オイヴァに吹き出されたのが余計に腹立つ。


 おまけにエルッキ達まで納得した、というような表情をしている。


「麗佳、本当にみんなに迷惑かけてないか?」


 その表情を見たせいだろう。父まで不安そうにそんな事を言って来た。何となくいたたまれない。


「かけてないよ。……多分」

「多分ってなぁに?」


 小さい声で言った言葉を母はきちんと拾っていた。


 両親に責められ、麗佳はしゅんとうつむく。だから視界に入らないところで、オイヴァがさっとエルッキ達と目配せをしていた事に全く気づかなかった。


「あの……レイカ様のお母様」


 最初に口を開いたのはヨヴァンカだった。麗佳はそっと視線だけをあげる。隣でオイヴァが小さく笑いながら頭をぽんぽんと軽く叩いて来た。


「はい。何でしょうか」

「レイカ様をあまり責めないで下さいませ。もし、レイカ様がそういう性格をしていなければ、わたくし達は今頃生きていなかったかもしれませんわ」

「それはどういう意味でしょうか?」

「今だからわかるんですが、レイカは……レイカ様は、『命』を奪う事を極端に嫌がってました。魔王討伐には確かに向かない性質だったんだと思うんです。だからおれたちはこうして新しい魔王……陛下に保護をしてもらってるんです」


 エルッキが補足してくれる。


「それでも特訓はしたんだな」

「オイヴァも言ってたじゃない。私はあの頃魔族の外見も何も知らなかったの。もし話を聞かずに襲ってくる種族だったら迎え撃つしかないでしょ。でなきゃみんな殺されるんだから。私だってそれくらいの覚悟くらいはしてたよ」


 きっぱりと言う。命は大事だ。でも見知らぬ敵の命より、その時、近くにいる味方の命の方が大事なのだ。それは今でも変わらない。


 オイヴァが労るような表情を向けてくる。いつも子供を見るような目を向けてくるのでどうしたらいいのかわからずどぎまぎしてしまった。


「そんな風なので、安心して下さい、義父上ちちうえ義母上ははうえ。レイカはこの世界で立派に生きています。この私が保証します」


 そしてそうやって締めくくる。麗佳はほっと息をついた。両親も納得してくれたようなので安心する。


 その後も和やかに談話してその日の茶会は終わった。


 家族達は、今日はしっかりと結界魔法がかかった部屋に泊まるのだ。おまけに魔法をかけたのは魔王本人。明日からの魔王妃の家族なので警戒が厳重なのだ。本当にありがたい。ただ、オイヴァの魔力負担が大変そうだが。


 麗佳はそのオイヴァに連れられ自室書斎に戻る。これから晩餐までは自由時間なのだ。


「レイカ」


 ドアのところでオイヴァが声をかけて来た。麗佳はしっかりと顔を上げてオイヴァの目を見る。


「はい、陛下」

「婚儀は明日だからな」

「分かっています、『魔王陛下』」


 よくわかっている。これは『明日は頑張ろう』というメッセージなのだ。


「お前が味方になってくれてよかったよ、『勇者殿』」


 そう言いながら麗佳のおでこに触れる。そうして目を覗き込み安心したように一つうなずく。

 意味深な笑みだけ残し、オイヴァは自室に帰っていった。


「『婚儀は明日』、か……」


 先ほどのオイヴァの言葉を復唱する。


 そう。気を引き締めていかなければいかない。


 婚儀、つまりヴィシュへの宣戦布告の日は明日に迫っていたのだから。

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