第1部 勇者の役目
第1章 開かれた救いの扉
第1話 ラヴィッカの街
加藤麗佳は冷たいオレンジジュースをすすった。今は真夏なので冷たい飲み物が美味しい。
隣ではパーティリーダーで剣士のエルッキがビールを豪快に飲み干している。
「エルッキ、行儀悪いですわね」
そうからかうのは魔術師のヨヴァンカだ。その彼女は行儀よく、でも美味しそうにフルーツカクテルを口に運んでいる。金髪碧眼という令嬢らしい外見もあってか、とても様になっている。どこからどう見ても庶民の麗佳にはうらやましい事だ。
もう一人のメンバーであるハンニは席を外している。彼は人を探す魔術にたけている事でパーティメンバーの一員になっている。今は魔王についての情報を調べてくれているらしい。
「別にいいだろ。今まで何もなかったんだから」
「ええ。でも、ここは海を挟んでいるとはいえ、魔王領のすぐ隣の街ですわ。何があるのか分かりません。そんなふうにだらけた態度では……」
「わーってるよ」
そんな軽口を叩きながらもエルッキが密かに周りを警戒しているのを麗佳は知っていた。わざと敵を油断させるためにこんな気の抜けた演技をしている事も。
なにせ麗佳達がこれから戦わなければならないのは、この国——ヴィシュ王国―—を侵略しようと狙っている魔王なのだ。気など抜けない。たとえ、今まで一匹も魔物や魔族に遭遇していなくても。
麗佳は三ヶ月前にこの世界に召喚されてきた勇者だ。
召喚はテンプレ通りのものだった。友達との待ち合わせ場所に向かう途中、突然麗佳の立っていた道路が光り、魔法陣が現れ、そこに吸い込まれてしまったのだ。そして気がつくと、だだっ広い大広間の真ん中に立っていた、というわけだ。
この国を侵略しようとしている悪い魔王をやつけて来い。
そう偉そうに命令され、むっとしなかったと言えば嘘になる。この男が召喚を命じたせいで、楽しみにしていた美術展に行けなかったのだ。おまけに、彼から出た最初の言葉は『ただの小娘か』だった。
そして、王は、麗佳が『魔力を授けられただけのただの異世界の小娘』である事を知った上で、訓練もさせず、さっさと魔王討伐に行かせたのだ。
きっと使い捨てのつもりなのだろう。魔王を倒せたら儲け物。そうでなくても、異世界人の小娘一人の命などどうでもいい。そういう事だ。
だが、ヴィシュの国王は、麗佳が魔王を倒したら元の世界に返してくれると言っていた。その約束がなければ魔王討伐など断っていただろう。まあ、あのどこからどうみても『俺様』な国王の前で断れたのか、と言われれば首を傾げてしまうが。
もう一つ、麗佳が勇者を続けて来られたのは、つけられたパーティメンバーがいい人たちだったからだ。気のいいエルッキ、高飛車な口調だが心根は優しいヨヴァンカ、そして温厚なハンニ。こういうパーティメンバーに恵まれたのは幸運だったと思っている。そうでなければただの大学生である自分が旅を続けていくなど無理だっただろう。
この世界についての知識は彼らが授けてくれた。エルッキからは基本的な剣の腕を、ハンニからは文字の読み書きなどの学問を、ヨヴァンカからはこの国の礼儀作法と魔術を教わった。
本当に彼らには頭が上がらない。
この世界でも剣は昔ほどは使われていないそうだ。だが、魔族には銃が通じないと言われているので、剣と魔術で戦うより他はないらしい。
剣や魔術など、初めての事ばかりで慣れるのは大変だった。
召喚をされた人間にはチート能力があるなんていう都合のいい話は小説の世界だけしか起こらないという事を、麗佳はこの三ヶ月で嫌というほど実感した。
元の世界では無縁だった剣だこ、そして自分が着ている魔術師のローブを眺めながらそんな事を考えていると、ハンニが戻って来た。その途端、エルッキが彼に掴み掛かる。
「どうだった? おい! さっさと説明しろっ!」
「ひぃ! ちょ、ちょっと怖いですよ、エルッキ。あ、僕にはブランデーを下さい」
怯えながらも注文はしっかりとするのは慣れているからだ。ヨヴァンカなどはそんなやり取りは無視して防音の結界を張り始めている。
運ばれてきた
「気をつけてください。僕たちを攻撃しようとしている者が近づいているようです」
その言葉にヨヴァンカが小さく息を飲んだ。当たり前だ。今まで襲撃などされなかったのだから。でもここは海を挟んでいるとはいえ、魔王が住んでいる島の隣の街だ。そういう事もあるだろう。
「それって魔王がこっちに来てるって事?」
「いや、魔王ではないようですが、僕たちに敵意を持っている事はわかりました」
「……曖昧だなぁ」
エルッキが呆れたように言う。これはハンニの能力を馬鹿にしているわけではない。不安な気持ちを押し隠しているのだ。誰か分からないぶん余計に怖いという事だろう。麗佳だって同じ気持ちだ。
ついきょろきょろとあたりを見回してしまう。
「レイカ!」
ヨヴァンカが軽く注意して来た。確かに今の態度は『警戒しています』と言っているようなものだ。小声で謝罪の言葉を告げる。ヨヴァンカは小さく肩をすくめて許してくれた。
それにしても変だと思う。この街は恐ろしい所だと思っていた。魔王の直属の部下達が街を闊歩していて、住人は怯えきっていると。食料だって魔族がせしめていると。
だが、ここでは普通の生活が営まれている。道行く人たちには笑顔があふれているし、ここに来る途中に市場も見た。
そしてこの街の中心にあるこの酒場では高級なものを含め様々な種類のお酒やノンアルコールの飲み物がある。
黒板に書かれたメニューにも美味しそうなおつまみや夕食のメニューがしっかりと並んでいる。安い魚料理があるという事は海辺が全く占領されていないという事だ。
平和なのはいい事だと思う。でもこれはどういう事なのだろう。
自分たちは魔族に泳がされているのだろうか、それとも……。
ふと、嫌な可能性が浮かぶ。でもそんなはずはない。そんな事の為にわざわざ異世界人を召喚するなどという面倒くさい事をするはずがない。
そう、思いたい。
「何うじうじしてんだよ、レイカ!」
麗佳が黙ってしまったのを怖がっていると思ったのだろう。エルッキが豪快に背中を叩いた。地味に痛いのでやめて欲しい。
「大丈夫だ。そんなもん、みんなの力で倒してみせる。俺たちも協力するから。な?」
「そうですわね」
エルッキの頼もしい言葉に不安が少しだけ消える。やはり彼は素晴らしいリーダーだと思う。
「ハンニ、お前もだ! ぼけーっとしてんな!」
「『ぼけーっと』なんかしていませんよ。というかその気の抜けるような表現はやめて下さい」
「何だと? このやろう!」
「うわー!」
エルッキがハンニを締め上げる。もちろんふざけてやっているのだ。手加減していなければハンニは無事では済まないのは知っている。だから麗佳もヨヴァンカも笑っていられるのだ。
その時、店の扉を開ける音がした。この居酒屋の客だと分かってはいても、つい身を固くしてしまう。それだけ魔王の配下が怖いのだろう。
すぐにヨヴァンカが防音の魔術を外した。確かに他の客がいる前で声も出さずに喋っていたら変だ。
「おや、珍しいね、こんな明るいうちから客がいるなんて」
新たな客である青年は楽しそうに笑いながら入ってくる。
「うちも繁盛するようになったかな」
「今日だけかもしれないな」
「おいおい。やめてくれよ、恐ろしい事言うの。ていうか……あ、いや、いつもの黒ファラゴアでいいかい?」
「ああ、頼む」
マスターと軽口を叩いている男を横目で見る。失礼だとは分かっていた。でも目が離せないのだ。
麗佳と同じ黒髪黒目。だが、後ろでまとめられた長髪は絹のようにつややかで、瞳はブラックサファイアを思わせるような漆黒。どこかその美しさが人間離れしているような気がするのは気のせいだろうか。
こんな見目麗しい男を見るのは初めてだ。この国の王子も結構かっこ良かったが、この男ほどではない。もし、こんなところでなければ絵のモデルを頼みたいくらいだ。
そしてマナーもいいようだ。渡された黒ファラゴア——ブラックベリーのようなもの——のお酒を、まるで宮廷で行われる晩餐会の時のようにかしこまって飲んでいる。
「嫌みっぽいヤツだな。『俺は貴族です』を地でいくような態度だ」
麗佳達にしか聞こえない音量でエルッキがつぶやく。ヨヴァンカが眉をひそめた。彼女は侯爵家の次女なのだ。他の人の事とはいえ、そんな事を言われて気分は良くないだろう。
「それはわたくしに喧嘩を売っているのかしら? エルッキ」
「あ、いや、その……」
「売っているのね?」
怖いくらいの満面の笑顔を浮かべたヨヴァンカに詰め寄られてエルッキが焦っている。その様子を見て麗佳とハンニは笑った。これもいつもの事だからだ。もちろんヨヴァンカが本気で怒っているわけではないのが分かるから笑えるのだ。そうでなければエルッキを厳しく諌めているはずだ。それでも軽く注意はしておいたが。
「にぎやかですね」
そのエルッキの言うところの『嫌みっぽいヤツ』が話しかけてくる。
「あ、すみません。うるさかったですか?」
「いいえ。楽しそうだなと先ほどから思っていたんですよ」
男は麗佳にそう言って微笑みかけてきた。一瞬、麗佳の心臓が跳ねる。
「見かけない顔だけど。新しくここに引っ越して来た人達ですか?」
どうしてそういう考えが出るのだろう、と一瞬不思議に思う。どう見ても自分たちは家族には見えない。だが、シェアハウスという事もあるか、と思い直した。
「いや、パーティだ」
エルッキが正直に話す。
「パーティですか。何の?」
「魔王討伐だ」
麗佳達は驚きに目を見張る。エルッキは本当に隠す気がないようだ。
青年も同じように驚いた顔をしている。
「ああ、そういえば
青年は独り言のようにつぶやく。『また』という言葉を強調したように感じたのは気のせいだろうか。そんなに勇者はたくさん召喚されているのだろうか。
「何だ。兄ちゃん達は勇者様ご一行なのか?」
マスターが会話に加わってくる。エルッキは何でもない調子でうなずく。
——ちょっとエルッキったら、そんなあっさりと白状して。魔王の臣下に聞かれたらどうするんですの?
ヨヴァンカが不安そうに魔術を使って話しかける。人が大勢いる中で特定の人にだけ声を届ける魔術だ。
——あのなぁ。こそこそしていた方が魔王の配下に馬鹿にされるだろ。堂々としてろ。それにこいつ……この方は間違いなくこの近くの貴族の令息か何かだろ。魔族について何か情報を持ってるかもしれないじゃねえか。人脈は作った方がいいだろうが。
それは確かにそうかもしれない。
「それで? 君が勇者なのかい? それにしてはヴィシュ人っぽい顔立ちをしているけど」
青年がエルッキに話しかける。無理もないだろう。このパーティの中で誰が勇者っぽいかと聞かれたら十人中九人がエルッキを指差すはずだ。
だが、こそこそするのも変だとさっきエルッキも言っていた。だから麗佳はきちんと青年に向き合った。
「いいえ。私です」
その言葉にマスターと青年はぽかんと目を見開く。どうせ勇者っぽくないですよ、と拗ねたい気持ちになる。
「君が?」
「はい、お初にお目にかかります。麗佳・加藤と申します」
ヨヴァンカに教えてもらった対貴族用の挨拶をする。本当は日本語の順で『加藤麗佳』と名乗りたいが、仕方が無い。郷に入れば郷に従え、というやつだ。
「これはご丁寧に。私の名はオイヴァ・ヴェーアル。以後、お見知りおきを……『勇者殿』」
そういってオイヴァは麗佳に優しく微笑んだ。イケメンからの微笑みに慣れていない麗佳はついどぎまぎしてしまう。
だから麗佳は自分を見るオイヴァの瞳の奥がとても鋭く冷たい事も、瞳の奥の奥で金色の光が宿っていた事にも全く気がつかなかった。
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