第42話(郁美編 梅の宿編)


 ――やっちまった。

 まーちゃんの運転する車の中で軽く頭を抱える。

 今頃になって志穂の家にスマホ忘れたことに気づいた。


『――郁美ぃースマホ貸して。愛海と連絡取ろうと思ったんだけど家に忘れてきたー』


 さっき志穂がそんな能天気な声を出したから「なにやってんだよー」って言いながらあたしのを貸そうとしたら、あたしも持ってなかったことが判明。

 ――多分あそこだ。

 過去を振り返って思い出す。お財布と一緒に志穂の部屋の机の上に置いたのが最後の記憶。おそらく今もそこでじっとあたしの帰りを待っているに違いない。

 ――まずいな。首藤さんに連絡取らないといけないのに……。

 ちーちゃんのスマホ借りようかと思ったけど、ちーちゃんが藤沼家の人と連絡先なんて交換してるわけがない。これはもう藤沼邸へ直接電話するしか方法がない。

 ――いや、まて。

 寸前のところで思い留まる。イベント中は繋がらないことが多いんだった。たとえ繋がったとしてもみんなバタバタしてるから、電話に出た人が首藤さんを掴まえられるかどうかあやしい。

 それに最悪婆ちゃんが電話を取ってしまう可能性だってある。それが一番YA・BA・I。

「混んでるわね」

 運転するまーちゃんの声に「だな」と助手席にいるちーちゃんが返す。今ちーちゃんは小さな明かりを使って変装中だ。

 現在あたしらは梅の宿へ向かっている途中の渋滞に掴まっている。おかげで予定していた時間より大分遅れてしまった。

 とはいえ、もうここまで来れたのなら藤沼邸までは目と鼻の先。このまま車で行くより走った方がはるかに早い。

 というわけで先に行くと言ってあたしだけ車を降りることに。

 ――と、その前に助手席側の窓をコンコン。ガーッとまーちゃんが開けてくれた窓の向こうにいるちーちゃんに「志穂のこと任せたよ」と一言。

「あいよ」と返事しながらギュッと深目に帽子を被る。ちょうど変装が終わったようだ。

「それでいけそう?」

「いけるだろ」とこちらに自信満々な顔を向ける。

 キャスケットに丸メガネ。長めの髪を帽子の中へ隠すように小さくまとめてショート風に見せている。そしていつもと違うメイクと服装で自らを彩っていた。

 ――正直、納得ではある。

 当初は90年代のギャルメイクである黒ギャルの亜種(?)のヤマンバメイクとかいうやつにするつもりだったらしいのだが、かなりの悪目立ちだからダメだとまーちゃんから却下されたらしい。一体どんなメイクだったんだ?

「ま、よーく見るとバレるかもしんないけど、パッと見なら大丈夫だろ。お前が手配してくれた首藤さんもいるし、それに――」

 後部座席の志穂をチラッと見る。

「――大きな壁もいるしな」

 聞いた本人が「へー」と能天気な顔。いや、お前のことだからな。

 まだよくわかってないみたいだと、軽くため息を吐きながらさっきのことを思い出す。

 ちーちゃんに彩られ、まーちゃんに髪をセットされ、あたしに着物を着せられて完成した志穂のこと。

 ――本当に驚かされるな。

 正直今でもまだ見慣れない。話せば志穂なんだけど、じっとしていると知らない誰かな気がしてならなかった。

「……まーちゃんもフォローお願いね」

「わかったから早く行きなさい」

「あとちーちゃんまーちゃんもスマホの電源は入れといてね。切ったままなんだろ?」

「着いたらそうするわ」

「ほーい」

 それじゃあまた後でと言ってようやく離れる。正直この二人に志穂を託すのは不安だ。さっさと用事を済ませて戻ってやらねばと小走りで藤沼邸を目指す。

 ホッホッホッと走りながら吐く息が白い。

 出してすぐに夜の闇に吸い込まれるそれを見ながら、三月の夜もよく冷えると思った。

 それだけに今はいい運動だ。体もあったまるし丁度いいと思いながら、渋滞の光を横に大門までの道を走って行く。

「――うわっ」

 思わず声が出る。渋滞のせいで遅れてやってきたお客さん達が多いせいか大門前の受付がかなり混み合っていた。スタッフのみんながあたふたしている。

 ――いた!

 その中で首藤さんを発見。お願いした時間通りに受付に回ってくれていたようだ。悪いことしたなと思いながら声をかける。

「ごめん首藤さん」

「あらおかえり。どこ行ってたの?」

「渋滞に掴まっちゃったのとスマホを志穂の家に忘れてきた」

「やっちゃったね。それより真帆ちゃん達来てるよ」

「うぇっ!?」

 聞けばあたしと連絡が取れないから入場できず、今は小座敷に待機させているという。

 やっぱり真帆から連絡来てたか。悪いことしちまったな。

「――っていうか真帆達って? 他に誰かいるの?」

「雪合戦の日にいた子。ほら、背の高い子と――」

「――陽菜と綾か」

「そうそう。こっちはいいから先にあの子達のところへ行ってあげて」

「ありがと。ちーちゃん達もう少しでくるからそのときはお願いね」

 わかったと頷く首藤さんに背を向け、受付から参加証を三つくすねて小座敷へと向かう。

 ――が、聞いた通りの小座敷を覗いたが誰もいなかった。隣の小座敷も覗いてみるも人のいた気配すらない。

「まさかアイツら……」

 見回りの時間じゃないからって会場内を出歩いてるんじゃないだろうなと、慌てて屋敷を出て会場の方へと向かう。

「郁美」

 そして大門と庭を繋ぐ小道を走っているところで声を掛けられる。

 後ろから。それも焦っているあたしの頭にスッと入る声でわかる。婆ちゃんだ!

 ピタッと足を止め、落ち着けここは冷静にと自分に言い聞かせてから「へい」っと返事して振り返る。

「何してる」

 ちょいとドキドキしながら「今受付混んでるからさ――」と嘘をつく。バレたらヤバイバレたらヤバイバレたらヤバイ。

「――手の空いてそうな人に応援を頼みに行ってたところ」

「必要ない。お前があたしを追い越す前にもう頼んでおいた」

 セーフ。焦ってる言い訳はなんとか通った。

「さすが婆ちゃん」

「お前は大広間へ行きな。お客さんへの挨拶」

 婆ちゃんは庭の方にいるお客さん達に挨拶をしてくるという。庭に真帆がいたらやばい。

「了解なりよ」

 スーパーダッシュで行きたい気分だが、婆ちゃんの目の前でそんなことすれば怪しまれる。

「行くよ」と言って歩く婆ちゃんの横に並び、超我慢してゆっくり歩いて行く。

「――お客さんに失礼のないようにね」

「ほい」

 そして庭に入ったところで婆ちゃんと別れる。

 ――ここにはいないよな。

 頼むからいないでくれよと、大広間に向かいながら周囲に目を配らせる。

 でも見つからない。真っ暗ではないとはいえ、こんなに人が多い庭の中で真帆を探すのは難しい。

 そしていないことを祈って大広間へと入るとすぐ周囲に目を光らせた。庭と違ってだいぶ明るいとはいえ、夕飯時なせいか人が多い。なかなか見つからないぞとギロギロ見回しながら歩き回る。

「――あの子背高いね」

 そして偶々近くにいた女の人の声にピタッと足が止まる。

「スポーツやってる子かな? 足長っ」と今度は別の声。

 それに首が回る。声を発したのはコンパニオンの女性二人。まさかと思って彼女達の視線を追うと陽菜にぶつかる。

 そして隣の真帆と綾も流れるように発見。三人供肉を載せたお皿を手に持っている。合わせたわけではないだろうに真帆、綾、陽菜の順に並んだ三人がニコニコしながら同じタイミングで肉にソースをかけていた。

 ――あきれるぐらいの堂々っぷりだな。

 そこからウルトラダッシュで三人のもとへ参加証を渡しに行った。婆ちゃんや他の人には見つかってないみたいでホッとする。

「お前ら。部屋で大人しくしてろって言われたろ?」

「おー郁美」と陽菜。今気づいたけど他の二人と比べて陽菜だけ異常に肉の量が多い。

「よかった郁美。ようやく見つかった」と、肉の載った皿を持ちながらすげーホッとした顔をする真帆。

「全然返事なかったからどうしたのかと思った」

「ほんっとごめん。志穂の家にスマホ忘れてきちゃったんだ」

「いや急に来るって言い出したの私だから。こっちがごめんだよ」

 私もこれ食べたら手伝うからと言ってくれる。参戦助かる。

 そして今気づいたが三人が座るテーブルには二人の大人がいる。一人は望月さんだ。以前バッティングセンターで会ったときと違って服装がアレなので一目見ただけではわからなかった。

 もう一人は見知らぬ女性。二人供戸田さんのお友達ということで出席しているのだと真帆から説明を貰う。

 そしてある人物のことを聞いて驚かされた。

「――え、志穂のおじさんがいるの?」

「うん。さっきばったり会ったんだよ」

 そしておじさん達の援護のおかげでここで堂々と食べることができたのだと話す。おかしいな。おじさん志穂の家にいたはずなのに……。

 車の中で志穂が「父さんがいきなり消えた」とかわけわからんことを言っていたのを思い出す。もしかして自分の娘が心配で先回りしてきたってやつか? 

 ――ってか志穂はもう着いたのかな。

 さすがにまだ渋滞中ってわけではないだろう。真帆達に参加証は渡したのでこの場はもういい。他のお客さん達への挨拶回りをさっさと済ませ、急いで志穂のところへ戻ってやらねば。

「真帆頼みがある。スマホでまーちゃん達に今どこにいるのかきいてくれないか?」

「二人にもさっき連絡したけど繋がらなかったよ」

「電源切ってたんだ。今はもう大丈夫」

「なら使って」と真帆のスマホをほいっと渡される。

「え?」

「貸す」

「い、いいの?」

「そっちの方がいいでしょ非常事態だし。パスコードは全部7」

「そのパスまじか」

「早く行って。その間に私これ食べてるから」と真帆がお皿に乗っかった肉に箸をつける。お皿に盛ったからには全部食べると顔が言っている。

「終わったらふぐへつだうからモグモグ」

「ゆっくり噛んでくれ」と言ってその場を離れ、急いで大広間の中をあっちいったりこっちいったりして挨拶を済ませていく。

 それから一旦庭にいる婆ちゃんの所へ終わった報告をしに戻った。すぐに見つかった婆ちゃんはタイミング良くお偉いさんと会話をしている。邪魔しちゃ悪いと理由をつけ、後回しにして受付の方へと向かいながらまーちゃんに電話をかける。すぐ繋がった。

『――もしもし? ごめんなさい真帆。電源切ってて気づかなかったの』

「真帆じゃない。あたしだよまーちゃん」

『あら。ドロボー?』

「ちげーよ借りたんだよ。いまどこ?」

『受付にいるわ。急いで来れる?』

「了解。すぐ行く」

 切ってからスーパーダッシュ。

 そして辿り着いたと同時に受付を済ませている志穂を発見。

「……」

 それを見たら体が止まって、ちょっとあ然としてしまった。

「はは……」

 遅れて硬直していた体からそんな声が出る。素直にすげぇって思った。

 受付全体を見渡せるこの位置からだとほんとわかりやすい。

 ちーちゃんは視界の隅。ちゃんと首藤さんのところで受付を済ませている。藤沼の人達が疑ってる様子は微塵もないっていうか、その存在に気づいてすらいない。


『――大きな壁もいるしな』


 ちーちゃんの言う通りだ。

 大きな壁は実に機能し過ぎている。

 首藤さんが対応しているとはいえ、出禁喰らったうちの要注意人物があんなに近くにいるというのに、だーれもちーちゃんの存在に気づかない。

 ――みんな別の方を見てる。

 そうしてちーちゃんは問題なく通過。バレることなく堂々と正面からちーちゃんは会場入りした。梅の宿に入る為の策はちゃんと考えてあると言っていたちーちゃんの目論見は見事に成功したのである。

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