第20話(真帆編)
「――大分なくなったね」
あー? とこちらを見ないまま郁美が返事する。『何が?』って言っている。
「雪」
「あー」
同じ言葉で今度は『そうだな』と言う。
郁美の部屋にいる。藤沼邸じゃない方の郁美の家。ぬくぬくと暖房の効いた室内で私はさっきからずっと窓の外を眺めている。
見える景色はもう暗い。さっきまで遠くの空に滲んでいたオレンジはもうどこにもなくて、お隣の屋根と暗い空と道路が僅かに見えるだけの殺風景となっている。
雪合戦の日の翌日から始まった四月上旬並みの気温と晴天は思ったよりも長く続いた。道を歩けばどこにでもあった雪の塊も今では探さなければ見つからないほどになっている。バレンタインデーの今日は久々に寒さが舞い戻ってきたとはいえ、雪を取り返すほどの気温ではなかった。
ただ、午後になってから強くなってきた北風のせいですごく寒く感じる。今もヒューヒューと窓の外で面倒な声を上げているせいで、家が近くてもなかなか帰る気になれない。
去年も一昨年もその前も、バレンタインの日は郁美の部屋でこうして過ごしていた。日が沈み出す頃にここへ来て、沈んで暗くなっても時間を気にせずのんびりしていた。
会話は少ない。どちらかといえば黙っている方が多い。
去年も今年も私は今みたいにぼんやりと窓の外や天井を見ているだけ。
郁美は去年は仰向けになってスイッチをやっていたけれど、今年は愛海と綾からもらったチョコを食べ終わるとすぐ机に座ってA4ぐらいの大きさの紙束に目を走らせていた。もうすぐ開催される梅の宿のスケジュール確認なのだという。
「――お、戸田さんも招待されてる」
そして今は招待客のリストを眺めている。
「戸田さんって?」
お互い顔を合わせず見たい方を見ながら話す。郁美は紙に向かって話し掛け、私は窓に向かって返事をしている。
「ほら。秋にバッティングセンターで話したゴリラみたいな人だよ」
「ああ――」と記憶を振り返る。志穂のおじさんの元同級生だとか言ってた人だ。顔や体型は記憶にあったけど名前はすっかり忘れていた。
それから郁美は志穂と真央さんの名前を読み上げる。
――当然そこに彼女の実の姉であるちーちゃんの名前はない。
やはり郁美のおばあちゃんと絶縁した彼女を招待することは難しかった。
なので招待客ではなくそのお連れ様という形でいこうとなったわけなのだが、当日会場の受付で名前は書かなければならない決まりがある。受付は郁美の親族がやるからちーちゃんの顔は一発でバレる。そこをどう切り抜けるかということでつい先日まで郁美と二人あーだこーだと試行錯誤をしていたが有効な解決策は見つからなかった。
どうしようか。本気で頭を抱えていたところでいきなりちーちゃん本人が登場。
『――大丈夫だ。偽名を使うし顔は絶対にバレない方法がある』
そう自信満々に言って心配はないとは言われたものの、私達は疑いの眼差しを向けた。
でももうそれに賭けるしかない(正直これ以上考えるのがめんどくさいのもある)。だからかなりの不安を感じながらもそれに賭けることにした。
「ねえ郁美。ちーちゃん本当に大丈夫かな?」
「その件はもうちーちゃんを信じるしかないよ」
「……当日郁美のおばあちゃんに見つかったら大変なことになりそうだね」
「どうだろなー。他のお客さんもいるわけだから大騒動にはならないとは思うんだけどね」
「でも表面上穏やかではないんでしょ?」
「だな。二人供周囲に殺気をばら撒くのは間違いない」
「せっかくのお花見ムードが台無しになるね」
「せめてどっちかが大人な対応してくれればいーんだけどなー。婆ちゃんもちーちゃんも気強いから絶対譲らねーよ」
「……怒られるから絶対言えないけど。あの二人似てるよね」
「それだけに反発するんだろうな。同族嫌悪ってやつ。でもだからって実の孫と本気でぶつからなくたっていーのにな」
「郁美のおばあちゃんってほんと元気だよね。半分ぐらいうちのおばあちゃんにもわけてほしいよ」
そう言いながら半年前から県病で入院している母方の祖母の顔を思い出す。人生で初の長期入院なせいか、見舞いの際にみた表情は祖母らしくない元気のなさだった。
「そういえば真帆は知らないか。あれでも婆ちゃん昔入院したことがあるんだよ」
「そうなの?」
「あたしらが小学校低学年の頃の話なんだけどな」
「全然知らなかった」
「大したことなかったから言わなかったんだ。婆ちゃんの
「そうなんだ」
「でもそれをキッカケに婆ちゃんちょっと丸くなったんだよ。なんでもそのとき一緒に入院してたお友達が亡くなったらしくてさ。それからちょっと落ち着いて厳しさも和らいだんだ」
「お友達って郁美の知ってる人?」
「いや知らない。たぶん面識もない。婆ちゃんその人の名前すら教えてくれなかったから。でもその人が婆ちゃんにとってすごく大事な人だったってのはあの頃のあたしでもわかったな。びっくりするぐらい穏やかになったし」
入院前のばーちゃんはかなり怖かったと郁美が苦笑いする。今でも十分怖いのに昔はどんだけ怖かったのだろうか。
「っていうか真帆――」と郁美がこちらに顔を向ける。
「ん?」と私もそちらを向いて目を合わせる。久々に顔を合わせたような気がした。
「――本当に来ないのか?」
梅の宿。その夜の部に郁美は私も来ると思っていた。
「……私はいいかな」
その日は朝から家の用事と祖母の見舞いがある。
「夕方には帰ってこれるから梅の宿には間に合うとは思うけどね。でもすごい疲れてると思うから」
おまけに寒いの苦手だしと付け足す。
「ちぇー」とさびしそうな声が返ってきた。
それを聞いても、やっぱ行こうかなとは思わない。
「せっかく綺麗になった志穂が見れるのに。残念だな」
言われてほんだねと微笑む。
そしてまた窓の方に顔を向ける。暗い窓に僅かに私の顔が映り出す。郁美に向けたはずの微笑みは彼女から逸れるとすぐに消えていた。
「……」
そのまま無言でじっと自分を見つめているとスマホが鳴った。うおっと郁美の声がするけど私のだ。
そして画面を見て、心臓が小さくドキリと鳴る。
「志穂だ」と言ってすぐに電話を取る。いきなり『郁美いる?』と言われた。声が慌ててるなと思いながら「いるけど?」と、郁美を見て答える。おそらく郁美のスマホを鳴らしても出なかったら私にかけたのだろう。
『招待状持ってる人は友達連れていけるであってるか聞いて!!』
いきなりすごい大きな声で言われて受話器から耳を遠ざける。声は郁美にも届いていたようで目を丸くしていた。
「何かあったの?」と尋ねながらハンズフリー通話に切り替えると愛海を梅の宿に連れて行きたいと言い出した。
ついさっきまで志穂は愛海とペロンモールにいたのだという。
そこで愛海とちょっとしたやりとりがあったらしく、それがキッカケで愛海に告白する決心がついたらしいのだ。
そして志穂は咄嗟の閃きで梅の宿と言ってしまったのだという。
――つまり。梅の宿で志穂は愛海に告白するわけだ。
いいことだと思った。
年明けに愛海が恋愛から距離を置く状態になっているから告白できない。それがなくなるまで様子見すると志穂から聞いていたけれど、ようやくそれが解除されたというわけか。
二人の間でどんなやりとりがあったのか気になるところではあるけれど、聞くのはダメかなと思ったので何も聞かないでおく。
話を聞いていた郁美は「いいんじゃないか」と即答。
「丁度ちーちゃんにおめかししてもらう日なわけだし。どうせなら全力全開の志穂で言っちまった方がいいだろ」
そう笑う郁美に私も頷く(全力全開って聞くとバトル漫画みたいに聞こえちゃうな)。
あまり様子見が長引くのは良くないと思っていた頃だったし、志穂がそう決断できたのならすぐにでもそうした方がいい。
「でもそれならさ――」と言って郁美の目を見る。彼女もわかっているから頷いて言ってくれる。
「――会場で愛海と会うようにセッティングした方がいいよな」
同じ考えを言ってくれた。
告白の舞台に上がる前から告白する側とされる側が会うのは違う。
「愛海の招待状用意しとくから、明日ウチに取りに来なよ」
『……いいの?』
「そのかわりちゃんと自分の手で渡せよ」
わかった、と真剣な声。彼女の緊張は離れている私達にも伝わったせいか、通話を切った後の郁美は当日楽しみだなとはしゃぐ。
「告白できる場所ってあるの?」
「関係者以外立ち入り禁止にしてる区域があるからそこに二人を連れてく。喧騒から離れているしそこも梅いっぱい咲いてる綺麗な所だから場所的になんら不備はない」
「ならいいけど。肝心の愛海の招待状は? 本当に今から準備できるの?」
「真帆用に作っといたやつがあるからそれを使うよ」
既に準備してたんだよと、机の引き出しからそれを取り出す。
「後は愛海用に必要な物を同封して婆ちゃん達に報告するだけだ。今夜中にできる」
「頼もしいなぁ」
招待状の準備に当日は家の用事もあるしで郁美は色々と大変だなと思った。
そしてまた「なあ――」と郁美が私を呼ぶ。
なんとなく何を言うかはわかっていた。
「本当に来ないのか?」
だって……お前も来てくれよって顔してるから。
それはお手伝いがほしいとかそういう意味ではない。
志穂の恋を一緒に見ないかって誘っている。
どうしようか。一瞬迷う。
「……私はいいよ」
でもそれを拒む。
家の用事もおばあちゃんの見舞いもある。
「……」
でも梅の宿に行けなくなるほどの疲労はないだろう。
冷え性で寒いのが苦手なのは本当だけど、厚着してつま先用ホッカイロを持ってけば余裕で行ける。
本当の理由は疲労とか寒さじゃない。
行きたくない理由。
見たくない理由。
それは――
『綺麗になった志穂』
郁美の声が頭の中で鳴った。
それに誘発されて、あの夏のキャンプ場でのことを思い返す。
ひとつのシュラフで二人。手を繋いだ夜。
音のない空間。柔らかくて薄い闇。
私に伸ばした手。それを取ったときの内側の熱さ。
垣間見えた瞳の奥の――赤い綺麗な光。
あれが……。
美しいと初めてそう思えたあれがいろんな人に見られてしまう。
郁美達ならいい。でも今回は梅の宿に集まる赤の他人があれを見る。
志穂のことを全く知らない人達。会場にはいろんな大人もやってくる。その全員は間違いなくあれに惹かれるだろう。
「……」
想像するだけで不快に感じている。
これは恋ではない。それぐらい自分でもわかる。
恋ではなく。そうじゃなくて。昔郁美と一緒に見つけた私と郁美だけの秘密基地を知らない誰かに踏み荒らされてしまったかのような……。
そんな光景を見たくない。
すごく自分勝手な気持ちだ。
わかっているから表に出すことは避けた。
そうした願望を押し付けることは許されない。
だから心の中だけで願う。
志穂の綺麗を見ていいのは、志穂のことを知る人だけでいてほしいと。
そしてこうも願っている。
そんな志穂に近づいていいのも。
触れていいのも。
求めていいのも。
彼女が想いを寄せる愛海だけであってほしいことを。
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