第19話(愛海編 後編)
「――チョコ渡すぜ」
お昼休みのお弁当をつつき終わったタイミングで鞄の中から取り出す。
「待ってましたー」と喜ぶ郁美から順に赤いリボンのついた透明な袋を手渡していく。
「オランジェット?」
受け取った真帆に言われて「そ」と頷く。
「オレンジとチョコ? やばそうな組み合わせだな」と志穂がまずそうなもの来たみたいな顔をした。知らないのかよーい。
「――やっぱりすごいの作ってた」
突然、私達の間にその声が割って入る。えっ? と全員が私の真横を見た。
「いつの間に来てたの!?」
本当にいつの間にか綾が私の隣にいた。漫画に出てくる忍みたいにスッと出てきた。周囲をよく見ている真帆ですら気づかなかったらしく、真帆が珍しく驚いた顔をしている。
「放課後まで待てないんだってさ」と陽菜が教室の入り口から身を守るようなポーズで入ってくる。
「廊下冷凍庫だよ。さっぶい」と志穂と真帆の間に座ると二人の首に腕を回して引き寄せ「あったけー」とほっこり。寒いから離れろと二人から文句を言われている。
珍しい。お昼休みに二人が教室へやって来るのは多分初めて。
「それじゃあ私の愛を受け取りな」と綾と陽菜にも同じ物を手渡す。
「愛海の愛貰ったー」と、綾は真上の電灯に当てるようにして掲げた。バンザイしているように見える。
「――綺麗だね」
そう言ってうっとりした顔をする。光に輝く宝石でも眺めているかのように。
フフフフ。まあ喜ぶのは当然。実は綾の袋にだけ一番出来の良いのを入れてあるのだ(一番形の悪いのは志穂の袋に入れた)。
「店で売ってるのにしか見えないな」と陽菜。
「そう言ってくれると嬉しい。作るの大変だったからさー」
正直に言えば侮っていた。温度調節が特に。でも転写シート使ってプリント入りのを作ったりアーモンドとかナッツのトッピングをお店で売ってるのっぽくふりかけたりと楽しくはあった。
「じゃあ今度は――」
そう言って綾が横からズイッと顔を近づけてきた(いきなりだったのでビビった)。
「――私の愛受け取って」と、綾チョコが目の前に差し出される。
私と同じような透明な袋。ピンクのリボンで口をラッピングされている。袋の表面にはピンクのペンで『一生よろしく♪』と書いてある。強い愛を感じた。
……そしてなんかものすごいキラキラとした笑顔を真っ直ぐに私に向けてくるのは気のせいだろうか?
以前の私だったら間違いなくこの顔だけで撃沈してるなと思いながらありがとうと受け取る。
中身は白い雪のような粉(パウダーシュガー)をのせた結構大き目のチョコブラウニーが二切れも入っている。
「三人の分もちゃんとあるからねー」と綾が他のメンバーにも渡していく。陽菜はもう貰ったみたいだ。
「あーこれ好き」と私の次に受け取った志穂が喜ぶ。
「今食べて言い?」
「どうぞ」と綾に言われ、志穂は私のを後回しにして先に綾のから食べ始める。コノヤロウ。
志穂がチョコブラウニー好きなのは知っている。コンビニで売っているのをおやつにムシャムシャしてるのを過去に何度も見ているから。
そしてモグモグしながらおいしそうな顔をする志穂に釣られ「私も食べよ」と封を開けて一口齧ってみる。
――ぐっ。
見た目からおいしそうなオーラを感じていたけれど、思った以上だ。
正直、私が作ったのよりいい……。
思わず隣でニコニコと私を見ている綾を見る。
……初めて綾に悔しさを感じた。
それから数時間後の放課後。ついにそのときがやってくる。
予定通り志穂は私に付き合ってくれたので、一緒に学校を出る。連休前とあってみんなが浮足立つのに倣うようにしてショッピングモールを目指した。
一番の目的はもちろん遊ぶことではない。お礼を言うことだ。
学校を出る前にどこ行くのと聞かれてペロンモールと言ったのは、寒いし近所の公園とかよりも屋内がいいと思ったから。人はいるけど周囲の雑音があれば私達の会話なんて聞かれないだろうし。
「――何か買うの?」
自転車を駐輪場に止めながら志穂が尋ねる。
「すごいの買うよ」
ワザとそう言ってみるけど志穂は「そっすか」と言うだけ。
……どうにも二人きりになるとこの子は態度が小さくなるというか大人しいというか。悪く言えば冷たい。
まあいいと冷たい志穂を連れて店内へ入る。
同じ国木の制服を着た生徒をすぐに発見。これは誰かに遭遇するかもしれないな。
まあそのときはそのときだ。腹くくってみんなの前でもいいから言ってしまおうと決意。なんせ地球がかかっているのだ。何がなんでも絶対に言う。
それからこの冷たい志穂を連れて本屋に寄って漫画を買ったり適当にぶらぶらした。その間志穂は口数が少なく、じっと彼女の方を見つめてみたりすると、視線を逸らしてどこか遠くを見始めたりする。
……何があったかは知らん。でも私は言うからな。
よし、と心の中で気合を入れる。もういいかげん言うぞと、歩き回った際に目を付けていた喫茶店へと志穂を誘った。
――うん。いい感じの雑音具合。
落ち着いた店内ってわけではなくあえて雑音の多いところを選んだ。そしてベストな席を見つけて確保する。
これで最適な環境は揃った。これなら言えると対面へ座る志穂に「店内でも寒いねー」と少し大きめの声で言ってから周囲を見てみる。他の人達には聞こえてないっぽい。
「そだね」
私に比べて頷く志穂の声は小さい。
「……」
少しドキドキしながら向かい合って志穂を見る。片手に顎を乗せた志穂は視線を店外へと向けてモール内を歩く人達を見ていた。
深呼吸してから切り出す「志穂。あのさ――」と。
志穂がこちらを向いて、目が合って少し萎縮する。
引っ込みそうになるが、それでも自分に鞭を打って打ち明けた。
「今まで……ありがとね」
言った。確かに言った。
心の中でじゃない。本当に言った。声も小さくない。絶対聞こえたはず。
「……」
言った途端恥ずかしくなる。顔が見えなくなって俯く。
寒いなと思っていた足先が急にそうならなくなった。机の下に隠すようにして組んだ両手がもじもじとせわしなく動く。
……体が変な感じだ。
好きな人に想いを伝えたかのように落ち着きがない。こんな心情で志穂の反応を待つというのはなんとも不思議な気分だった。
「――どこ行くの!?」
そして予想だにしない反応が返ってきて「へ?」と顔を上げる。
いつの間にか志穂がイスから立ち上がってこちらを見下ろしている。なんかすごい高い皿でも割っちゃったみたいな顔だ。
「どこ……行くの?」
おそるおそるといった、なにか信じられないことが起こったみたいな声。
「え、どこ行くって、なんで?」
「だってそんなこというから……転校?」
瞬きひとつしないでじっとこっちを見ている。大丈夫か?
「いや、どこも行かないけど……」
「は? じゃあなんで?」
「いや、ほらその……恋愛相談いままで何回も乗ってもらってたのに、まだ一回もお礼言ってなかったから……それで」
「……」
志穂はぼーぜんとした顔を数秒見せると、いきなり空気の抜けた浮き輪みたいに脱力し吸い込まれるように椅子に座った。
「なにもう……意味わかんない」
目の前で頭を抱えられる。まあ……確かに言葉足らずだった。
「ごめん。なんかすっごい緊張したから言葉足りなかった。でも一度もお礼言ってなかったからさ、まずはありがとうからかなって思って」
そういうと志穂は「えー?」と言いながら腕を組む。目線を斜め上に向けながら小首を傾げていた。頭の上に『???』が浮かんでいるのがなんとなくわかる。
「お礼言われてなかったっけ?」
「そっちも憶えてないのかよ!」
なんだよそれ。今度はこっちが崩れそうになる。
「あのさ。なかったの? 私あんなに協力してやったのに愛海からお礼ないのってこれおかしくねー? みたいなの」
「ピクリともなかった」
「そうですか……」
今度は重い脱力感に襲われる。礼などいらぬ状態だったというわけか。
「じゃあこれを作る必要はなかったのか」と言って鞄の中から昨日作ったものを取り出して差し出す。
お昼に渡したものとは別のチョコ。今までのお礼にと昨日オランジェットとは別にかなり丁寧に作った。
「……」
志穂は目の前に差し出されたチョコを見てぼーぜんとしている。なぜ受け取らない?
く……腕がぷるぷるしてきた。
「なにこれ?」
「志穂専用チョコ」
「シャア専用ザクみたいな言い方」
「早く受け取れ!」と無理矢理押し渡す。開けてさっさと食えと言うとガサゴソと包みを開けた。
「お、おお。チョコブラウニー」
「味わって食えよ」
言葉通りの志穂の為に作ったものだ。昼食べた感じだと綾のよりはおいしくないかもしれない。でもおいしいかまずいかで言えば絶対においしいの枠に入っている……はずだ。
「……私専用? 私の為だけ?」
「今言ったじゃん」
「おお……」と言って嬉しそうにジッとチョコを見る。すぐ食べるかと思いきや包装紙ごど鞄の中に丁寧に入れ出した。考えてみればもう夕飯が近い。
「ま、家で味わってくれ」
そう言ってココアを一口飲んでふぅーっと息を吐く。無駄に緊張したけどなんとか言えてなんとか渡せた。
もうこれで良し。地球は救われた。
そう思った後、志穂を見た私は少し狼狽える。
今度は志穂がもじもじとしだした。
「私も――」と言っておそるおそる手をあげる。何が起こるんだ?
「……許可しよう。申せ」
偉そうに言ってみる。でも志穂は何もツッコまずでゴソゴソと鞄の中から何かを取り出すと私の前に差し出した。
「――え?」
綺麗にラッピングされたのは誰もが知っている有名なチョコレート店の箱。
「これ私に?」
俯く志穂がコクコクと目をつむりながら頷く。
「どしたの急に?」
作るよりも食べる派。あげるよりももらう派の志穂から生まれて初めてもらった。
「昔オムライス作ってくれたから、そのお礼言いたくて」
――むかし?
そう聞いて先月の話かと思ったが「小学生の頃――」と言われ、すぐに思い出す。
……おばさんが死んで、志穂がすごい泣いたときのことだった。
「……」
正直困った。
困って固まった。
固まって頭の中が少し真っ白になった。
……あんな昔の話をいきなもり持ってこられて、なんていえばいいのかわかんない。
わかんなさすぎて……慌てる。
「慰めてもらったから――」
こっちの動揺も気にせず、俯く志穂は小さくそっと自分の内を伝えてくる。
「――あれで……私母さんのことで泣かなくなった」
「え……あの……マズイって言われた記憶があるんですが……」
つい場の空気に押され敬語になる。
「それでも救われたんだ……」
でも志穂は何もつっこまない。俯いたままで続ける。
「だから次の日もいつも通り学校行くことできた。もうあまり記憶にないんだけど、きっとその頃は愛海のしてくれたことが嬉しくて、マズくても笑ってたんだと思う。私そのことずっと忘れてて」
「……」
真っ直ぐ見ることができなくなってしまい、同じように俯く。
スカートの上に組んだ両手がまたもじもじと自分の意志とは関係なく動く。頭の中でうわぁーと自分の声が響いている。
「初めて作ってもらったときのこと愛海に言われて、その後父さんにも言われて。それで……ようやく少し思い出して」
恥ずかしさに顔が赤でいっぱいになる。
でも、それでも志穂の言葉を遮ろうとはしない。
周囲の雑音も心の叫びもあるのに一言一句を聞き逃さない。ぼそぼそと話す全てを耳に入れようと集中している。
「お礼言わなきゃってずっと思ってて。でもなかなか言い出せなくて……今日まで伸ばしてその……ごめん」
あ、ああああ謝った。志穂が。
「それはその……お互い様なわけでさ……」
なんとかそう言えたけど、どうしよう。
これ以上をなんて言ってあげればいいのかわからない。
志穂の行動が今までおかしかったことをようやく理解して。同時に自分が志穂を救っていたことを今さら知る。
あれは……マズイって言われたから。
ずっと失敗したんだと思ってた。
ずっと志穂を救えなかったんだと思ってた。
……私が助けたんじゃなくて、あのときの志穂は自分で立ち直ったんだと。
「……」
「……」
互いに静かでいられるのは表面上だけだ。私もきっと志穂だって今頭の中は『ああー!』とか言って荒れに荒れている。
互いに俯いた顔が上げられなくて、下を向いたままの時間が流れる。
でも、不思議といずらくはない。
矛盾している。
頭の中は荒れていて、体も熱くなっているというのに。でも少しも気分は悪くなくむしろその逆で。
なんていうか……心地良いくすぐったさを持つ。
少ししてから勇気を出してゆっくりと顔を上げてみる。
志穂と向き合ってみたいと思った。
「……」
志穂はまだ俯いたままでいる。
じっと見つめてみた。
でも私の視線に気づいていても顔は上げてくれない。
だったら上げてくれるまで待とうと思った。
急かそうとするつもりも、腕を掴んで無理矢理なんてこともしない。
黙って、志穂が私と向かい合うまで待ってみようと思った。
……何時間でも待てる気がした。
それから20分ぐらい経ったけど、まだ志穂は顔を上げない。
構うもんか。いくらでも待ってやる。
しかしその決意も虚しく、私のスマホが鳴ってしまう。
『帰りにネギ買ってきて』
お母さんからだ。続いて早く帰ってこいと着た。
「……」
お母さんは怖いのでここらが限界だ。できれば志穂が自分で顔を上げてくれるまで待ちたかったけど仕方ない。
ネギがこの世に存在していることと連絡してきたお母さんに複雑な気持ちでありながらも、立ち上がって志穂を外へ連れ出す。
食品売り場でネギ一束を買ってショッピングモールを出た。途中まで一緒に帰るけど、喫茶店での余韻がまだ残っているせいで帰り道も会話はない。
頭の中で志穂の言葉が何度も繰り返されていた。
思い出す度、手のひらからじんわりと何かが滲み出てくるのを感じる。嬉しさからか頭がほわほわとした。
熱い顔を切る冬の風が、とても心地良い。
帰り着くまで収まりそうにないと思った。
「じゃあ――」
火照った顔のまま、別れ道で志穂に手を振る。
「……」
でも志穂は手を振り返さない。
じっと黙ってこっちを見ていたが、急に何もない方に顔をむけると目をつむり出した。
視界の中、横顔を見せる彼女が静かに深呼吸しているのを捉える。
スッと静かに目を開け、もう一度吐き出す息の後、自転車のサイドスタンドを立てた彼女はまたこちらを向いた。
カチッと、繋げるかのように目が合う。
そのままこちらへ歩み寄って来た。
視線は繋げたままで、真っ直ぐにやってくる。
予期せぬ不意打ちになんだなんだと身構えている私の前で止まると、いきなりサッと手を伸ばしては私の左手を掴む。
「な、なに……?」
私の手を覆うような彼女の大きな手は熱かった。
見上げた志穂の顔は何かを堪えている。
泣きそうに見えて、そうじゃない。
恥ずかしさを押し隠そうとしていたのでもない。
そうじゃなくて――別の何かを堪えている。
「今度さ――」
頭の上でぽつりとした声が降る。
「――自信がつく」
聞き漏らしそうになるほどの小さくてはっきりとしない言葉。
「夜の……梅の宿」
いつもの声でもなく。いつもの表情でもない。
「そのとき……会って」
それでも、瞳だけは真っ直ぐ私に向けている。
「……」
……ほんと意味わかんない。
ほんとこの幼馴染は変だ。
いつもわけわかんないことを言ったり、やったりして……私をウンザリさせて怒らせてくる。
ハッキリ言ってやりたい。
言葉が全然足りてないよ。
わかんないことばかりだよ。
なにが自信なのか。なんで梅の宿なのか……さっぱりわかんないよ。
「……」
俯いて私を掴む彼女の手を見る。
それに反応し、掴む力が緩む。
強く握ってしまったのかと遠慮して、手を離そうとする。
でも、思い留まる。
わずかな力だけを残して、私と繋がったままを選んだ。
振り払ってしまえば簡単に解けてしまうほどの繋がりだけど、その手は熱くて、その熱は少しも衰えなくて……。
そんなものが彼女の手から私の指先と体の中心へ向かって流れてくる。
顔を上げて目を合わせてみたのは確かめようと思ったから。
そうして瞳の奥を見つめ続ける。
もしここで志穂が逃げてしまっていたら。
そのまま今日をバイバイしていたら。
これだけできっと終わっていただろう。
終わって、お互いに何もなかったことにしていただろう。
「……」
さっきのように、逸らしたままではダメだと思ったようだ。
志穂はもう私の瞳から逃げない。グッと堪えて私に決意を示している。
必死で自分の背中を押して。
必死で向かい合って。
必死で、私の返事だけを待っている。
……ああ。
だから見つけてしまう。
見つけてしまった。
それだけで全てをわかってしまった。
「……」
何も言わないまま頷く。
私もいつもの声が出なかった。だからそうやって志穂のお願いを約束するしかできなかった。
「ありがとう」
見上げた彼女。ホッとしたように微笑んでいる。
それにまたおばさんが重なって視えて、心臓がドキリとした。
「じゃあ!」
志穂は手を離すと、そそくさと急に慌て出す。走るように自転車に戻ると物凄い速さで去って行ってしまう。
「……」
残された私はじっと志穂の背中を見ていた。
すぐに消えて、何も見えなくなって、代わりに闇だけがこちらを向く。
「……」
それでも消えた彼女の影を追い求めるようにじっとその方を見つめていた。
何かを求めるように、触れられた手に残る感触だけを意識する。
冷気に触れられているはずのそこに、まだ彼女の温度が残っている。
「ねえ志穂――」
その温度の残滓を確認しながら、向かい合う闇へ問いかけてみた。彼女を前にして投げられなかったものは今になってあっさりと口から出ていく。
「――いつからなの?」
愚かな私はようやく気づいたのだった。
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