第13話(陽菜編 後編)
ガァー! ガァー! ガァー!
一時間後に目覚ましが鳴る。
「……うん」
初めてアラーム音をアヒルの声で設定してみたけどなかなか良い目覚めだ。
起き上がったと同時にコンコンとドアをノックされたので返事すると母さんが入って来た。何かと思えば今日は用事で父さんと出かけるからとお金を渡された。つまり晩御飯はアタシ一人というわけだ。
「――え? こんなにいらないよ」
受け取ったお金の半分を返そうとするといいと言われる。
「また食欲増したから」
そう言って母さんはいきなり背伸びをする(母は170センチ)とアタシの頭の上に手を置く。瞬間ちょっと背を縮めてみたがもう遅かった。
「お父さんより高い」
「……気のせいだよ」
「お父さんは同じだって言い張ってたけど」
「だから気のせいだって」
もー勘弁してよと、背を丸めながらそそくさと母さんから離れる。これ以上の追及から逃げる為にさっさと行ってしまおうと台所に置いてある箱から全て取り出し、ビニール袋に入れてからリュックに仕舞った。
「いってきまーす」
自転車は必要ない。綾の新居はアタシの家からかなり近くなった。散歩感覚で行けてしまうほどの距離。
「――あ」
「あれ」
そしてマンションのエントランスホール前でバッタリ綾と会う。近所を散歩していたようだ。
「ほい持ってきたよ」とリュックの中から袋を取り出して手渡すと去年と同じやったーとありがとうを言われる。梨好きの綾にお裾分けするのは毎年の恒例行事みたいなものだ。
「それじゃあ――」
無事渡せたし帰るかとひき返そうとした瞬間、綾から手をガシっと掴まれる。
「うちでお茶してかない?」
「え?」
一瞬時が止まる。
……なんか強引な提案に思えるのは気のせいか?
『綾はクロだ』
愛海の顔を思い浮かべてしまい、いやいやいやいやと即否定。たぶん愛海に洗脳されかかってるだけ。綾がアタシを家に誘うのに深い意味はない。
自身の心へそう言い聞かせながら「じゃあちょっとだけお邪魔するわ」と言ってついていく。
たとえ本当にクロだとしてもたかが雪合戦。殺されるわけではない。大丈夫だ。
「……」
でもアタシの腕を掴む綾の手をみながら、ちょっとだけ引っ掛かかることはあった。
それは雪合戦には絶対関係のないこと。
アタシが勝手に思ったこと。
だから愛海には何も報告せず、そっと胸の内にしまっておくことにする。
「――あれ?」
綾の部屋の丸テーブルの上にある雑誌に目が行く。チョコブラウニーの作り方を載せたページが開いていた。
そういえばもうすぐバレンタインだ。愛海と交換すると言っていたのを思い出す。
「例のやつ?」
「そ。陽菜の分もあるからね」
「それは楽しみ」
愛海も手作りで全員分作ると聞いたので尚更楽しみ。
綾のチョコに愛海のチョコ。おまけに洋ナシタルトまで確保できたわけだから今月はスイーツに困ることはない。
「陽菜はどんなチョコ食べたい?」
そう言われ、二人でひとつの本を囲んでページを捲っていく。これいいあれだめとか話しているとちょっとお邪魔する予定だった時間は大分過ぎてしまった。
「――淹れ直してくるね」
「ありがと」
二人分のティーカップを載せたお盆を持って、綾が部屋から出て行く。
そしてパタンとドアが閉まった音を聞いたせいだろうか。
ページを捲ろうとしていた指が止まる。
「……」
シーンとなった部屋をなんとなく見渡す。
自然とホッと一息吐く。だらーっと仰向けになりたい気分に襲われ始める。
不思議なくらい暖かいんだよな。
それは暖房が効いているからってだけじゃない。
新しい綾の部屋は毎回そんなことを思わせてくれる。それぐらい何度も眠気に襲われ、その度に綾と一緒に昼寝した。
綾がいるからか。それともこの部屋自体がそう感じさせるのか。
まだハッキリとしない。
でもアタシの癒し空間は今日もアタシを癒してくれている。
「――え、今日一人ごはんなの?」
下まで見送られる途中のエレベーターの中でのことだった。
「だったらうちで一緒に食べようよ」
また綾にガッと腕を掴まれる。
「いや、いいよ悪いし」
「全然いいって、食卓増えて困ることなんてない。あと梨のお礼もしたいし」
「そんなのいいって」
「いやだめ。帰させない」
エレベーターが一階へ着いたと同時に両手を広げた綾が扉の前に立って通せんぼしだした。そして伸ばした左手で閉めるボタンを連打。ドアはすぐにガコンと閉まり、再びアタシは上へと運ばれてしまう。
そしてまたグイグイ引っ張られて榎本家にリターン。
……なんだろうな。
先ほど綾の家に入るときとまた同じことを今も思った。
雪合戦とは関係のない、アタシが勝手に思ったこと。
「……」
――まあその、なんていうかその……。
なんか以前よりも綾が可愛くなってる気がした。
「――おかえり」
玄関でさっき挨拶したばかりのおじさんとまた会う。
「陽菜もごはん一緒に食べるから」
綾がそう勝手に決めてしまう。おじさんは「うん」と頷くだけだった。
「アタシも何か手伝うよ」
「いいからいいから」と綾にされるがままに食卓テーブルに着かされる。
「それ陽菜用の椅子ね」と用意された椅子に座る。新しく食卓用の椅子を買ったと言っていたけどまさかのアタシ専用かよ。
――いや絶対違うだろ。おそらく来客用だ。
綾は食卓テーブルにアタシを残し、台所に立つおじさんの隣へと並ぶ。慣れた感じでおじさんを手伝う彼女の姿をすぐ近くでアタシは見ている形となった。
「……」
ぼんやりと、親子二人の背中を見つめる。
手を動かしながら小話をして、綾が微笑みながらおじさんを見上げて、おじさんがそれに頷いている。
前の――あの冷たかった家にはなかった光景だ。
あの家も心残りも捨て、新しい家で肩を並べている二人の姿はまるであんな過去なんてなかったかのように思わせる。
同じような背中をこちらに向け、同じように微笑む横顔。
それはアタシを安心させてくれる。
「――ね、陽菜」
何か話していた綾がこっちを向く。
「ん? うん」
なんて話してたかわからないけど、とりあえず頷いておく。おじさんは「そうなんだ?」と驚いている。
「……」
ボーっとしていたせいだろうか。
二人の隣にアタシが立つ姿を想像してしまった。
なんでそんな想像を始めたのか?
そうしたいと思ったのだろうか?
……わからん。
でもその想像の中のアタシは二人と同じように笑い合って、楽しそうに一緒に料理をしている。
まるで家族の一人になったかのようだ。
あ、ダメだこれと思って慌ててそれを捨てる。
自分でもわかるくらいに顔がニヤけていた。
二人に気づかれないように、そっとそれを隠した。
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