第14話(愛海編)


 陽菜と別れて家に帰り着いた後のことだった。

 洗面所で手洗いうがいをしていると、鏡の中からのそっとゆずるが顔を覗かせる。

「おかえり」

 そう言ってこちらを見ないまま横を通り過ぎていくのを鏡越しに見た。

「あ゛あ゛いあ゛」

 うがいしながら言ったのでそうなった。

 譲は奥でゴソゴソと何かしながら「さっきの人さ――」と話し掛けてくる。

「――すごい大きかったね」

 陽菜のことだ。

 悲しいことに我ら姉弟は成長期を迎えたにも関わらず平均身長というものから程遠い位置にいる(これを上塚家では古より続く呪いと呼称)。そのせいで逆の意味で平均から遠いところにいる陽菜はかなり大きく感じてしまう。

 譲は私よりは大きいが志穂より小さい。

 お父さんも志穂より小さい。

 なので将来的に譲が志穂を超すことはないだろうと予想される。

 そんな志穂よりも大きい陽菜が譲と並んでしまえば20センチくらいの差をつけてしまうのであって、それはつまり平均身長の男子がプロバスケの選手を見上げているのと同じことなのであった。

「180近くあるからねー」

 以前174と言っていたけどあれは嘘だろう。長身女子の逆サバあるあるだ。ハラタツ。

「バレーとかバスケやってる人?」

「いや帰宅部。でも運動神経は良いよ」

「そうなんだ」

「うん」

 そこでハッとする。

 譲の方を見ながらこいつ……もしかしてと女の勘が働く。 

「お前。私から陽菜のことを聞き出そうとしてるな?」

「え?」

 いくらメガネで好みのエロいお姉さんに似てるからとはいえ実の姉の友達を狙おうなんていい度胸だな。

 ここは強めにバシッと言ってやると「言っとくけどな――」と指を差す。

「――いやらしい目的で陽菜に近づいたら死刑だからな。お前の性癖を詳細に書いたチラシをご近所とクラスメイト達全員に配ってやる」

 私は本気だと、そんな目をする。

「……」

 だがそれとは反対に譲は目を細めて冷ややかな視線を送るだけだった。そして「はぁー」とため息だけ吐くと私を残して去って行った。

 ……ん? 違った?



 それから日が沈んだ頃に外出していたお母さんが帰ってくる。帰って早々にごはん作るのめんどくさい。愛海が作ってーとか言われたので作ることにした。専業主婦なら二日に一回くらいは起こる現象だ。

 ――さて、何があったかな。

 まずは冷蔵庫の中身を確認。お父さんは外で食べてくるので今夜は簡単なもんで済ませることにした。

 ――いけるな。

 中のものだけで済ませられると判断し早速取り掛かる。生姜焼きにお味噌汁に冷ややっこというコースでいく。

 サッと作って食べてお風呂入ったら寝る時間までお絵かきの続きでもするかと、頭の中で今夜の計画を練っていたところで台所に誰かが入ってくる。

「――何か手伝うことある?」

 譲だった。手伝いを自ら申し出てくる。

 ……なんだ珍しい。

 さっきは陽菜には興味ありませんよ的な態度とってたけど、本当は違うんじゃないか? 

「じゃあご飯炊いて」

 とりあえず顔は冷静を装いながらも手伝わせることにした。

 ――知らん顔して様子見といく。

 もし私の予想が当たって下心持って陽菜のことを聞き出そうとするものならすぐに攻撃だ。覚悟しろよと私は一番切れ味の良い包丁を取り出し、譲は炊飯器からお釜を取り出した。

「……」

「……」

 ザザザとお米を研ぐ音。トントントンと包丁を叩く音。台所内はそれらが飛び交っているだけ。

 それだけで会話はない。

 そして警戒意識を持ってしまうせいだろうか。どうにも気まずい。

 チラ見してみた譲は反して淡々とした顔プラス無言でお米を研いでいる。それが終わるとお釜を炊飯器の中に入れてボタンを押した。炊飯開始を知らせるピーヒョロロロピーという音がよく響く。

「終わったよ」

「ありがと」

「他何すればいい?」

 お前どーした? と尋ねたくなる。

 普段は手伝いなんて全然しないくせに。やはり下心か。

「じゃあお豆腐出して」

 なんかもー気まずいからお前どっかいけと言いたい気分だったが、譲の謎行動を気になる気持ちの方が勝ったのでもう少しだけ付き合うことにした。

 しかしそれから調理が終わるまで譲からは何もない。譲は無言で手を動かすだけ。こっちはいつ来るんだと無駄に構えていただけ。おかげで調理がとてつもなく長く感じた。

 ご飯食べてるときも何もない。

 食後の後片付けをしているときも何もなかった。

 譲はただ黙々と食べて黙々と手伝ってくれるだけ。我が愚弟の陽菜を狙おうとしてるんじゃないか説は私の勘違いだったということか?

 ――と思いきや、譲はまたも唐突にやってくる。

 今度は私がお風呂から上がって部屋に戻る途中のタイミングだった。二階廊下で偶然バッタリ顔を合わせたみたいな状況。

 上手くそれを作ったつもりのようだが不自然さはある。バレバレだ。

 ――やはり何かあるな。

「……」

 でも知らん顔して無言で擦れ違おうすると「ねえ――」と声を掛けられた。ようやく出してくるか。

「――最近鈴木さんとなんかあった?」

 んんん?

 陽菜じゃなくてまさかの志穂の名前が出てくる。想定外だが冷静に対処しようと頭の中で再確認する。

 志穂と何かあったか?

 いや、何もない……はず。

「なんで?」

「だって鈴木さん最近家に来なくなったし」

 ――ん、それってつまり?

「お前まさかのそういうことか? 陽菜は囮だったのか」

 この野郎と身構える。

「いやだからさ、なんでそうなるんだよ」

 握りこぶし作るなと言われ、いつの間にか両手をそうしていたことに気がつきパーにした。

「じゃあなんでそんなこと聞くのよ?」

「この前鈴木さんに偶然会ったんだ。ほら、この前母さんと買い出し行った帰り」

 私が綾と遊びに行っていた日だ。その日お母さんと譲が近所のスーパーへ買い出しに行ったのは聞いている。

 ――ん? でも帰りに志穂に会ったなんて話お母さんからは聞いてないな。

「そのときなんか様子おかしかったからさ」

「おかしかったって、どうおかしかったの?」

「母さんと二人で挨拶しただけなんだけど、なんかいつもと違ってたっていうか」

「……志穂がなんか言ってたの?」

「いや、別に『、譲くん。こんばんは』って言ってただけなんだけどさ」

 ……ん? おかあさん?

 頭の上にクエスチョンマークという花が咲く。

「……なんで志穂が私のお母さんをそう呼ぶわけ?」

「いや、それはたぶん小学生がやってしまう先生をお母さんって呼ぶ謎の現象をやらかしただけだと思う。問題はそこじゃなくて、最初はなんかボーっとしてて声掛けたら急に態度がギクシャクしだしたから、もしかして姉ちゃんとケンカでもしたのかなーって」

「全然何もない」

「じゃあ俺の勘違いってことか」と譲は腕を組む。

 ……まあ勘違いではない。志穂がおかしいのは間違いないことだ。

 でもその原因を解明しようとしてもそれはほぼ無理なことだ。志穂ワールドを理解するのは譲には荷が重く無謀な挑戦。

 そしてこれ以上そこに踏み込んでしまえば精神を崩壊させてしまうおそれがある。

 ここは譲を救うためにも勘違いだということにして、気にすることではないと言っておくことにした。

「勘違いだよ。お母さんだって特に何も言ってなかったでしょ?」

「そう……だね。気にすることないとは言ってたな」

「そうそう。ってか私的にはあんたの方が今日変だったよ。陽菜の話とかするからさ」

「ああ、それは単に印象深い人だったからってだけで――」

「それにメガネだし。大好きなエロいお姉さんに似てるしー」

「話を勝手に作って繋げるな」

「念のために言っとくけど、陽菜はとても乙女な女の子なんだからな――」

 そう言いながら今日のお昼に陽菜から笑顔でぶん殴られた記憶を回想する。

 乙女かな?

 そんな声が頭のどこかで響くが無視。

「――やらしい気持ちで近づいたら鉄拳制裁だからな」

「いや、だから違うって」

「ほんとかぁ?」

「まあ、確かにカワイイなーとは思ったけどさ。そういうのはないから」

「いやらしい意味でもマジな気持ちもないんだな?」

「……あの顔であの身長差だぞ? 俺みたいなモブが近づいていいわけねーだろ」

「……」

 その発言に驚いて、じっと譲を見る。

「……なんだよじっと見て」

「意外に謙虚なんだなと思って」

「ほんっとむかつくな」と舌打ちされた。

「でもまあ、例えば陽菜って人が俺のこと気になってるーとかだったらさ、さすがに強気ではいっちゃうけどさ」

「それもまた意外だ」

「俺だって男らしくいくときはいくって」

「てっきり身長差があって恥ずかしくて行けない。周囲の目があっていけないでござるよそれがしとか言って叫んで自滅するタイプかと思ってた」

「古いオタク設定加えるな。言っとくけどまったく気にしないぞ俺は。本人同士が好き合ってるなら周りの目なんか関係ないと思うし」

「いい考えだな。私もそう思う。だから山田と京ちゃん早くくっついて堂々としてくれないかなって思う」

「いきなり漫画の話混ぜるのやめろ。てか偉そうなこと言ってるけどさ、そっちはどうなんだよ?」

「え……」

 突然の質問にちょっと焦る。

「あーいや、私はねー」

 最近失恋したばかりとは言えない。というか知られたくない。

 ――と思っていたそのとき。

「もう失恋からは立ち直ったんだろ?」

 いきなり顔面パンチを喰らったかのような不意打ち。

 え? という言葉すら出ずにビシッと固まる。十秒ぐらいしてようやく解けてから声が出た。

「な……な、え……なぜ?」と声には98パーセントの動揺成分。

「いや、この際だから言うけど最近そうなったのとっくにバレてるから。母さんも気づいてるよ」

 こちらの動揺なんておかまいなしのスラスラとしたペースで真実が語られていく。

 聞いた途端に膝が崩れ、膝立ち状態から四つん這いへと段階を踏んで落ちていく。寒い冬の廊下の中、まるで弟の前で土下座しているみたいなかっこうとなる。

「気づいてないって思ってたんならかなりの楽天家だな」

 アッハッハと笑う譲の声がスイッチなる。

 殺意メーターが100を振り切りって「ぬあー!」っと言いながら譲の首に向かってさっき動画で視たフェニックス川口のフェニックス・ラリアットをかました。

「ぐへぇっ!」と譲が言ってる間にラリアットした腕を首に絡めて背後に回り込み、裸締めの形へと移行。


『ラリアットは布石! 狙いは裸締め!』


『これぞ! フェニックス・スリーパー・ホールド!』


 などと解説そのまんまに捉えた譲をズルズルと部屋へと引き摺り込む。

「――いつから気づいた!」

 戸と首をめながら尋ねる。声量はやや控えめ。

「しゅ、修学旅行から帰った時!」

 命が懸かっているせいかスラスラと白状する。

 あのとき。そうか……やっぱりバレてたか。

 あの余裕のないときだ。そりゃそうだ。修学旅行から帰ったというのに落ち込んだ姿してるの見ればどんな間抜けなやつでもなにかあったんだなって気づく。

 ……むしろ気づかれない方がおかしい。

 ワザワザ部屋に連れて問い詰めるまでしなくても、冷静に振り返ればわかることだった。

 プロレス技を使ったときの勢いはどこへ行ったのか。バレて当然だと思うと怒りと恥ずかしさはフッと消えていく。

「はぁ……」

 ため息と共に譲は解放してやった。

「本当にやられるかと思った」と目に涙を溜めながらホッと息を吐かれる。

「……てか姉ちゃん本当にバレてないと思ってたんだな」

「だってお母さん何も言わなかったから」

 失恋したこと親と弟にバレてるなんて恥ずかしい。

 そしてお母さんがそれに気づいていたにも関わらず今まで少しも顔に出さなかったことがまたおそろしい。

「そりゃ言えないよ」

 立ち上がった弟はよほど痛かったのか首をさすりながら答える。

「あのときは何があったかなんて聞ける雰囲気じゃなかったからさ。あのときは母さんと二人でそっとしとこうって話してたんだ」

「くっ……」

 家族に気を遣わせていたとは。

 そして今日までそれに気づかなかったとは……。

「……ご心配をおかけして申し訳ありません」

「散々首やっといて謝れらてもな」

「羞恥心と怒りで我を忘れ、気がついたら手を出してた」

「それ昔から姉ちゃんの悪いところな」

「……すいません」

 弟に謝るのは腹立つ。でも謝る。悪いのは私。

「――で、でもさあ。落ち込んで帰ってきたとはいえそれが失恋ってわかる? もしかしたら別のことで落ち込んでたかもしれないじゃん」

「……姉ちゃん昔っから失恋したときの落ち込み方同じだから」

「うぇっ!?」

「残念ながら俺でもわかるよ」

「うあ……」

「ちなみに立ち直ったタイミングもわかってたぞ」

「……お母さんといいあんたといいさ、二人供朝顔の観察日記みたいに私の事毎日記録でもしてんの?」 

 想像すると怖くなってきた。一日でも早く社会人になってこの家を出たくなる。

「それだけわかりやすいってことだよ」

「うぐっ……」

 それ真帆にも言われたな……。

「私の知らないところで二人そんなことで盛り上がってたのか」

「姉ちゃんの話題だと盛り上がるんだこれが」

 こいつら……殴りたい。

「この際だから聞くけどさ、お母さん私に関することで他に何か言ってたりした? なんかもー明日から顔合わせるの怖いんだけど」

「えー? あー……あ。あったあった。鈴木さんにはちゃんとお礼言ってるのかってやつ」

「……お礼? 志穂に?」

 なんのお礼だよ。

 唐突なことを言われても理解が追い付かない。

「だっていつもお世話になってんでしょ?」

「なんの? むしろお世話してるのは私なんだけど」

「いや、そうじゃなくて恋愛相談とかさ。いつも鈴木さんに聞いてもらってんだろ? ってこと。そのお礼だよ」

「あ……」

「その様子じゃ言ってないみたいだな」

 言ってない。

「母さんの言った通りだったな」

「うわぁ……」

「母さん言ってたぞ。愛海は猪突猛進過ぎてそういうところがだらしないって」

「うわぁー!」と叫んで譲の声を遮ろうとしたが攻撃は止まらない。調子に乗ってお母さんの口調を真似しながらスラスラと喋り出す。仕草まで真似してオネエみたいになってる。

「愛海はお母さんとはそういう恋愛相談みたいなことは全っ然しないでいっつも志穂ちゃんにだけしてるのよね。それだけ志穂ちゃんのこと大好きなのよあの子!」

「やめろー!」

「その癖散々迷惑掛けたにもかかわらず志穂ちゃんにお礼のひとつも言ってないんだわ。愛海のことだから恥ずかしくて素直にありがとうのひとつも言えてないんだと思う。志穂ちゃんカワイソ!」

「うおい!」

「小学生の頃なんて理由つけてはしょっちゅう志穂ちゃんの家に行って全っ然帰って来なかったんだから。いつまでも帰って来ないもんだからお父さんと迎えに行ったらなんて言ったと思う? 志穂ちゃんのお姉ちゃんになりたーい! ここの子供になるー! とかバカなこと言い出して志穂ちゃんのお母さんすっごい困らせてたんだから」

「出てけー!」

 オネエ口調が止まらない譲の背中を顔を真っ赤にしながら押す。そして自ら引き込んだ部屋から叩き出した。

 そして乱暴に閉めた戸に背をくっつけるとそのままずるずると落下していき、ペタンと床にお尻をつけて座り込んだ。

「……」

 真っ赤になってしまった頭を抱える。クールダウンするまでしばらくそうしていた。



「……ああ、ほんっとバカだ」

 ようやく冷静になったら出てきた独り言。

 弟から暴露されたいろんな恥ずかしさはまだ頭の中で回ってはいるけれど、そんなことよりも大事なことがある。

 今になって、志穂にありがとうを言ってなかったことに気づいた。

 綾との恋が終わった後だけじゃない。

 その前もそうだ。面と向かって言ってない。

 毎回そうだ。心の中で感謝してるだけ。

 口に出して言わなきゃいけないことなのに、後回しにして結局忘れている。

 なんでこう……大事なことは後から気づくことが多いのだろうか。

「……」

 それでも志穂は私の傍にずっといたのだ。

 私が恋する度にずっと背中を叩いて、励ましてくれて。

 それなのに――。

「バカだ」

 もう一度つぶやく。譲に言われてようやく気づくなんてアホすぎる。

 ――言わないとな。

 そう思ってベッドの上に置いてあるスマホを見る。でもそれは違うと首を横に振る。そういうことは面と向かってハッキリと言うべき。

 ただでさえ弟には情けないところばかり見せてしまっているのだ。ちゃんとしっかりしなければと、志穂と二人きりになるタイミングを作る計画を練る。

 ――よし。志穂と二人で遊びに行こう。

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