第28話(綾編 修学旅行編 最終日)


 ホテルで目を覚ましてから国木に辿り着くまでがあっという間だった。重い荷物を背負って陽菜やシュワちゃんと会話しながら空港へ向かって、気づけば飛行機を降りて国木へ戻るバスの中にいた。

 車内は行きのときと違って静まり返っている。

 聴こえてくる声は僅かで、隣に座る陽菜も含めてほとんどの人達が寝息を立てていた。みんな疲れが残っていたようだ。

「……」

 私もそのはずなのに、どういうわけか疲労感はない。

 このバスが欲羽山へ向かっているから眠れないとか落ち着きがないというわけではなかった。逆に昨日のことが頭の中で何度も再生されて、ボンヤリとしている


『――明日、待っててね』


 あの庭園で、一度私から離れた後に愛海はそう言った。

 落ちた日の中で微笑む顔。

 その瞳の中にあった――あの赤い光。

 昨日から、ずっとそれが頭の中に漂っている。



 欲羽山の広場で最終点呼が終わるとすぐに解散の声が鳴った。ザワザワと帰りの声が飛び交っている中、陽菜と一緒に愛海の姿を探す。

 他の生徒は迎えに来た家族と合流したり、並んで話をしながら帰る人達が大半だった。まだ人気は多い。これからどうするのだろうかと思っていたところで「陽菜、綾――」と声を掛けられる。振り返った先で志穂が手招きしていた。

「こっち来て」

 彼女に言われ後をついていくと「――荷物はあそこに置いといて」と言われ、指差さした場所を見る。真帆と一緒に見覚えのある人が腕を組んで立っていた。

「――千明さんだ」と陽菜が驚いた声を出す。笑顔で手を振る彼女と顔を合わせるのは中学の頃以来だ。

「二人供久しぶりだな」

「お久しぶりです」

「そんでもっていい感じになってるなー。目をつけていただけのことはある」

「へ?」と陽菜と声が揃って出る。相変わらず突然の不意打ちが多い。

「どれどれ」と千明さんは私達の周囲をぐるっと一周し始める。なんか居心地が悪くなってきたせいか、陽菜と一緒に固まる。

「――綾は予想通りだな。どうか一生そのまんまの見た目でいくてれ。頼むから変で濃いーメイクなんてするなよ?」

「あ、はい……」

 一周し終えた途端に謎のお願いをされた。困惑していたせいかうっかりはいと言ってしまった。一生このままなんて無理なのに……。

「陽菜はちょっと予想外だったな。昔は小さかったのに」

「あー……ははは。なんかほんと不思議なことに伸びましたよ」

 そこは触れてほしくなかったのか苦笑い。その隣で千明さんは背筋を伸ばした。

「……これは20センチ以上の差あるな」

「いやいや、そこまでありませんって」

 焦る陽菜を見て絶対あると心の中で思った。

 目測でも千明さんより大きい私と並んでも10センチ以上の差がある。多分陽菜のおじさんも超えちゃってるんじゃないかな……。

「ちーちゃん」と、割って入ったのは真帆の声。

「おお、そうだった」と千明さんは私達をくるっと回して背中を軽く押した。

「邪魔してごめんね。荷物番してるから行ってきな」

「……」

 どうやら知っているみたいだ。

 お願いしますと言って、陽菜と一緒に先を歩く真帆と志穂の後ろをついて行く。

 それにしても愛海がいないのはどうしてだろう? これから向かう場所で待っているのだろうか?



 連れて行かれた場所は、欲羽山の北側にある景色のいい見晴らし台だった。

「――こんなところあったんだね」と少し驚く陽菜。小さい頃に欲羽山で陽菜と遊んだことは何度かあったけど、この場所は知らなかった。

「あたしと真帆の秘密基地だ」と、待っていたのは得意げな顔をした郁美だった。なぜか愛海だけがいない。

「ごめん綾。愛海のやつ運の悪いことに先生に呼び出しくらっちゃったんだ。だからちょっと遅れる」

 先にあそこで待っててと、そう言って志穂は高台の方を指差す。そこを見ながら「わかった」と言ってそっちを目指そうと歩く。

「陽菜――」

 でも、少しだけ確認したいことがあった。

「――ちょっとだけお願い」

 予想外のことに少し驚いた顔をする陽菜を連れ、一緒に高台の方へと歩いていく。志穂達は誰一人としてこちらには来なかった。



「――綾、アタシはいない方がいいんじゃないの?」と、後ろを歩く彼女は三人から大分距離を離してから尋ねる。

「ちょっとだけでいいの」

 不安だから陽菜にいてほしいとか、そういう意味ではない。

 確かめたいことがあった。

 高台へと辿り着いて、柵の向こうにある河川敷や山を見る。のどかな景色の横を音を立てない風が流れている。浮かんだ日はもう山の中へ入る距離まで近づいていた。

 背中に視線を感じて、後ろを振り返る。

「……」

 志穂達のいる場所に愛海が姿を現した。

 遠く離れた彼女の視線とぶつかり合う。


「あるときからね――」


 それをジッと繋げたまま、陽菜に話しかける。彼女も同じようにして愛海の方を見ている。


「――恋って、本当は汚いものなんだって思うようになったの」

「……」

「そんなことないって、思うようにしていたときもあったんだ。でもいつまで経っても、それが頭から離れてくれなかった」


 恋をしたと言って家族を捨てたあの女を見たときから、ずっとそれに囚われていた。


「――でも、そうじゃないって愛海がわからせてくれた」


『――明日、待っててね』


 昨日の夜も、さっきのバスの中でも何度も振り返ったあの光景。

 あのとき、私と同じものを見ていた陽菜はこう言っていた。


『……綺麗だったね』


 陽菜にはずっと前からアレが視えていた。

 陽菜だけじゃなく、志穂も郁美も真帆も……みんなにも視えるものだった。

 私だけが視えていなかった。

 汚かったんじゃなくて、私の目が濁っていた……。

 それがようやくわかった。

「うん……ホントだね、陽菜」

 ずっと求めてきたものを見ながら、陽菜の言ったことに頷く。

 電車の中で彼女と一緒に眺めた夕日のように、その強い光は真っ直ぐに私の目の奥にまで届いてくる。

 目に掛かっていた濁りを散らし、あの夕焼けのような色を瞳の奥に灯してくる。


「恋って、あんなに綺麗なんだね」

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