第22話(真帆編 修学旅行編 一日目)


 朝早くから始まった移動を無事に終え、ようやくホテルに着く。

「あっという間だったなー!」

「……ようやく着いた」

 太陽のように輝く郁美と違って陰鬱で酷く疲れた。

 生まれて初めて飛行機に乗ったのが最大の原因である。アレは二度と乗りたくないと思うほどに最悪だった。

 あの離陸時のGを浴びるのが特に嫌。

 郁美が「うひょー!」とか男子みたいなこと言っている隣で私は口から一滴の血を垂らして干からびていた。

 異様に長く感じた空の旅を無事に終え、空港から離れるバスの中で誓った。大人になったらどんなに時間かかってもいいから旅行は全て船か新幹線で行こう。飛行機でしか行けない海外旅行は絶対に行かない。日本最高。

 飛行機に乗っただけでまさかここまで体力を奪われるとは思わなかった。

 夜には枕投げとか恋バナとか参加したくない厄介なイベントが行われる。これからすぐに体力回復に努めなければ死ぬぞと、荷物を置いた私はすぐにベッドに横にな――るのを阻まれた。

「行くぞ真帆」と、郁美に腕を掴まれ無理矢理引き起こされる。なんで邪魔する?

「じゃあ広場行くよー」と同じ部屋の班リーダーの声。はーいとみんな素直に従ってゾロゾロ動いていく。

 そっか……これから学年全体で観光地巡りか。

「ほら、遅刻厳禁だぞ」と普段より陽気な郁美が私の腕を引っ張って離さない。

 誰か助けて……。



 いろんな意味合いを持ったポーズを取って座る祈念像を見上げている。歴史の教科書でよく見る巨大な彼は天気のせいか実物は随分と青白く見えた。

「こっちは暑いな」

 日差しキチィと郁美が言っている。確かに今年は寒くなるのが早いとか言っていたけど、ここは国木と違って気温は高い。

 こっちに来てからずっと快晴のせいもあると、手でひさしを作りながら空に堂々と居座る太陽を睨みつける。インドア女子のガン飛ばしなんて屁でもないと言った具合にギンギンと私達を照らしている。

「――ほら、チャッチャと並びなさい」

 お怒り気味の担任に押される。これから巨大な彼の前で集合写真を撮るからさっさと並べとかなんとか。

「何? そんなの聞いてねーぞ」と郁美。ちゃんとしおりに書いてあるよ。

 クラス全員チャッチャと並んだものの、担任とカメラマンからのあそこダメそこもダメという長い入れ替え指示が続きなかなか撮影が始まらない。ウンザリしていた私の隣でさっきからつま先立ちに全力をかけていた郁美の努力の甲斐も虚しく、目を光らせ続ける担任の命によって彼女は最前列へと移動させられてしまった。郁美のブーイングをBGMに私も後ろへと押されてしまい。私達は離れ離れとなった。

 ――あら。一番上になった。

 クラスには背の高い女の子がいないせいか平均身長の私が後列となる。一番上の段になるのなんて小学生振りだと思いながら、他のクラスの子達をボンヤリと眺める。

「もうちょっと待っててねー」と、カメラマンの声が聞こえたので暇つぶしにここから志穂達を捜すことにした。

 ――まずは志穂発見。

 背が高いから彼女はすぐに見つかる。その隣に愛海がいて、あともう一人の女の子(顔は知ってるけど名前がわからない)と三人で話をしている。

 愛海は告白を明後日に控えてるわけだけど、見た感じ普通にしている。緊張で今にも倒れてしまいそうな顔をしているとかじゃない。

 もう彼女は決意を固めている。

 明後日の本番も問題はなさそうだ。

 さて、志穂はどうだろうかと昨日のことを思い返しながら見てみる。

 うーん……見た目はいつも通りに見えるけど、でもまだ完全には戻れてはいないような気がする。

 昨日の夜、みんなで飛行機不安だわーのやりとりが行われる前のこと。

 実は彼女から私と郁美に報告が来た。

 私と欲羽山で別れた後、二人はバッティングセンターへ行っていたというのだが、そこで志穂は愛海の決意を聞いて気持ちが溢れてしまったのだという。

 やはり好きという気持ちは隠しきれなかったのだ。


『――でも愛海の邪魔をしようって気持ちも本当にない』


『――愛海が勝つのを見届けたい』


 それが素直な気持ちだと言っていた。

 愛海の恋が終わるまでは何もしない。

 それが彼女の決めたことだった。

 ……つまりそれは、明後日の告白の結果で志穂のこれからが決まるということでもある。


 愛海の恋が叶えば志穂の恋が終わり、愛海の恋が終われば志穂が動く。


 明後日の告白の結果で二人のこれからが決まる。

 その答えに私も郁美も何も言わなかった。悩んだ末に自分でそう選んだのだから、そこに後悔はないんだと思う。

 みんなで明後日の結末を見守ろう。そういうことになった。

「……」

 ――さてと。

 視線を外し今度は陽菜を捜してみる。

 いた。志穂よりも背が高いせいかもっと見つけやすい。

 案の定すぐに見つかって隣にいる綾も発見。こちらも同じクラスの女の子と三人でお喋りをしている。

 ――あの子は五木いつきさんか。

 あまり話したことはない。でも見た目完全な外国人な彼女は印象深いので憶えている。

 こっちも楽しそうにしてるなと綾の方に視線を集中させる。こちらの視線には気づかないだろうと思ってジッと見続けた。

「……」

 彼女も至って普通。映画館で見かけたあのときの彼女は少しも見えてこない。

 当たり前か。そもそもあのときとは状況が大分違うわけだし。

 でももし、今ここでいきなり見知らぬ人が近づいて綾に声を掛けたとしたらどうなるだろうか?

 多分、あのときと同じことが起こるだろう。

 周囲にもハッキリと伝わるあの異様な嫌悪感を出して、好きを向けてくる人を追い払おうとする。

 それは相手が女であっても関係ないんじゃないか。

 当初は異性が嫌いなのかと思っていたけれど、中学の頃を振り返ってみるとそうとは言えないものがあった。


『綾が――たまにちょっと怖いんだ』


『榎本さんって近づきにくいんだよな』


 中学の頃、男の子からも女の子からもそんな話を聞いたことがあった。

 男の子は同じクラスの子。女の子はよく綾や陽菜と一緒にいた子だった。

 今になってようやくその意味がわかる。


 綾は恋というものに嫌悪感を抱いているんじゃないか。


 いくら見知らぬ男に近寄られたからとはいえ、あそこまでの嫌悪感を見せたりはしない。異常とも言える彼女のそれは昔はなかったことだと思う。

 おそらく彼女の母親のことが原因でそうなってしまったんじゃないか。

 それだけに。私の中で生まれた嫌な予感はなかなか消えない。


 明後日の愛海の告白。

 勇気を出して全てを打ち明けた愛海。

 それにあなたは――映画館であの男に向けたものと同じものを向けるのかなって。


 ……なーんてね。

 そんなことが起こるんじゃないかと、少し前まで本気で考えていた。

 自分を殴りたくなるなんて思ったのは生まれた初めてだ。

 そう思うほどに自分をバカだと思った。

 そんなこと……起こるわけない。少し前のことを振り返ればわかることだ。

 これまでに綾が愛海に嫌悪感を向けたことなんてただの一度だってない。

 花火大会のときも二人きりで遊んでいたときもそうだ。愛海はそんな話をしたことはないし私達もそんな現場を見たことがない。

 綾は私が気づくずっと前から愛海の好意に気づいている。

 そうするのならもっと早くからやってる。

 綾は……愛海を傷つけるようなことはしない。

 最後まで愛海と正面から向かい合ってくれる。

 私の浮かべたくだらない妄想なんて、少しもいらないことだった。全部いらないって言えるほど不要なものだった。

 口に出して誰かに言わなくて良かった。

 もし言っていたら混乱を招いて最悪崩壊させてしまったかもしれない。

 そもそも私のやることってそういうことじゃない。

 私の――私達のやることは簡単なことだ。


 愛海の恋が叶えばおめでとうと祝福する。

 終わってしまえば、よく頑張ったねと愛海を慰めて二人を温かく迎える。


 それまで二人を信じて見守る。

 それだけでいいんだ。

 それ以上の余計な考えなんていらない。

 この恋が終わるまで、二人を信じて見守るだけでいいのだ。



 ***



 ようやく愛海の姿が見えた。

「――綾は?」

 私と目が合って、息を切らして最初に尋ねた言葉はそれだった。慌てなくても大丈夫なのに走ってきてしまったようだ。

 志穂が無言で高台の方を見る。愛海がそれを目で追って、視線の先に綾と陽菜がいるのを確認する。ホッとしたような顔。

 その安心感の後、彼女から笑みがこぼれる。

「ありがと――」

 そう言って愛海は私達の間を縫って歩く。

 目の前を通った彼女の息はまだ少し荒い。

 フワッと長い髪を浮かせ颯爽と歩いていても、横顔からは緊張が窺える。

 通り過ぎて私達から離れていく背中に向かって、少し落ち着いてからにしたらと声を掛けようとしたが、その前に彼女は足を止めた。

「……」

「……」

「……」

 誰一人、何も言わずに愛海の背中を見つめる。

 突然、彼女の背中がスゥーっと息を吸い込み、ハァーっと吐いた。こちらに背中を向けたままジッとして、焦らずに落ち着くまでを待っている。

 自分のことは彼女自身が一番よくわかっていることだった。

 もうここまで来れば、私が何か言う必要はない。


「――行ってくるね」


 少しの静寂を挟んで、愛海は真っ直ぐに歩いて行く。

 そんな彼女の背中を今度は不安な眼差しで見ることはなかった。

「――行ってこい」

 彼女の背中に向かって最初に郁美がエールを送る。

「待ってるからね」と続けて私が。

「……」

 でも志穂だけは何も言わなかった。

 最後まで黙って彼女の背中を見守るだけだった。

 愛海は気にした様子も見せず、一度も振り返ることなく綾のいる場所へと向かって歩いていく。

 一歩ずつ離れていく彼女の姿を見送っている途中、少しだけ目を閉じてみた。

 自分の中に、まだ悪いものがあるだろうかと体の中を探る。

「……」

 ――うん。大丈夫。

 硬さも、余計な考えもない。

 悪いものは郁美のおかげで完全に抜け切っている。

 後は見守るだけだと、目を開ける。

 頑張れ。愛海。

 一切の不安を持たず、前を歩く愛海の背中を温かい気持ちで見送った。

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