第6話(志穂編)


『志穂の家にバットある?』


 祝日の昼。のんびりしていると愛海から急に連絡が来た。

 すぐに返信するのはちょっと抵抗があるので、あえて30分ほど経過させてから『あるけど』と返信すると、いきなり着信が来て焦る。

 コケコッコーを連発するスマホを前に目を瞑って祈るようなポーズで自分を落ち着かせる。

 落ち着け。大丈夫だ。電話の対応は何度もリハーサルしたんだから。


 ――お前ならやれる!

 

 心の中の自分に言われ、目をカッと開いてから電話ボタンをタップする。


『――今空いてる? ちょっと家に行っていい?』

 いきなりかよ!

 ドキドキしながら『どーぞ』と嚙まないよう慎重に、気だるい風を装って応える。

『今から誕生日プレゼント持ってく。そしてしばらくバット貸してくれ! 大事にする!』

 そう言うと切られてしまった。

 こちらが何か言う前に切られた電話は10秒以内で終わった。

 話した言葉は『どーぞ』だけ。たった三文字だけで終わる電話は生まれて初めてだ。

 はて? と、愛海の言っていたことを頭の中で再生させる。

 ……大事にするってどういう意味?

 ウチに置いてあるバット愛海のなんだけど……。

 私の家に五年くらいずっと置きっぱなしだってこと忘れてんのかな?

 そこでハッとする。よくわからんが愛海がバットを取りに来るのだ。借りたものなんだから私が返しに行かなければならんのにと、急いで電話をするが反応なし。どうやらこっちに向かっていて気づいていないようだ。

 ……ダメだ反応なし。このまま待つしかない。本人が来たらあやまらないと。

 それにしても急にバットってなんなんだろう。また何か凝り出したのかな?

 野球……いや、愛海は団体競技嫌いだから違うか……。

 ――ってオイ! そんな悠長なこと考えてる場合じゃないよ! 今すぐメイクしないと!

 郁美シスターことちーちゃんからまだ教わってないけど、今やれることだけはやっておかねばと慌てて化粧台へと向かう。こんなことになるなら一昨日無理矢理にでも教えてもらえばよかったと後悔する。

 実は三連休初日の土曜日にちーちゃんと郁美に会っていた。



 30分後。自転車で愛海は家にやってきた。

「オイーッス」

 気を付けの姿勢から右手を斜め上に挙げた挨拶。まるで選手宣誓をしているかのようなポーズで挨拶をする。いずれ『んちゃ!』とか言い出しそうなポーズでも私の心は酷く慌ててしまう。

 以前はどんなポーズとろうとなんとも思わなかったはずなのに……。

 おそらく今は『しぇー』だろうがあくびだろうが鼻をほじっていようがなんでも動揺してしまうだろう。

「――ありゃ? 珍しくメイクしてるね。出かけてたの?」

「あ……うん。まあそんな感じ」

 私の顔をじっと見る愛海に少しだけ心臓の鼓動が早くなるものの、なんとか耐えて彼女を見る。

「ほいこれ」

 私の気持ちなど微塵も気づかない愛海はピンクの袋に入ったものをポンと渡してくれた。さっき言ってた今年の誕生日プレゼントのようだ。

 嬉しい――はずなのだが、過去の愛海チョイスを振り返るとその気持ちは少し下がり気味になる。去年はニワトリの鳴き声だったことを思い出すと期待はできない。今年はなんの鳴き声だろ……ポケモンのルージェラかな。

 まあ、それでもちゃんと大事にするけどさ……。

 そして開けてびっくり。まさかの女子っぽいプレゼントだった。

「……こんな素敵で高価な物を……」

「去年のと比べるんじゃない。いっとくけど千円ぐらいだよ」

「まさか髪留めとは思わなかった」

「髪大分長くなったからさー」と愛海は私の頭を見た途端、変な顔をしだす。

「んんん?」

 そして近づいてジロジロと見始める。

「な、なに……」

「なんか髪質変わってない?」

「えっ?」

「ツヤツヤサラサラしてるんだけど」

「う……そ、そう見える?」

「うん。しかもよく見たら綺麗に整ってる。美容院行ったの?」

「――な、まあそんな感じ」

 危ない。うっかり話しそうになった。

 一昨日の土曜ちーちゃんから連絡が来た。時間あるなら表出ろと言われ、外に出ると郁美とちーちゃんが腕を組んで玄関前で仁王立ちしていた。

 わけがわからないまま、ちーちゃんの車に乗せられた私は『close』の札が下げられたとある美容院へと運ばれたのだ。そしてそこの美容師さんらしき女性に髪を手入れされたのである。

 切ったと言っても長さは大して変わっていない。綺麗に整えて手入れするのが目的だったらしい。

 そしてこれからメイク講座が始まるのかと思いきや、変な争いが始まった。ちーちゃんの同級生と名乗るその美容師さんとちーちゃんが謎の口論を始めたのである。

 イスに座った私を間にし、この子の方向性はどーするみたいなことを話し出すとすぐに意見の不一致が起こり、そこから不穏な空気が室内に充満した。少し前までの穏やかなムードは一瞬で消え去り、私を置いてきぼりにして二人だけの怒声が店内へ響くようになった。


「――だからシンプルイズザベストって言ってんだろ!! わっかんねーかな!?」

「この子にしかない魅力を引き出すのがウチらの仕事でしょ!! 違う!?」


 ギャーギャーと言い合う二人の間に口を挟める余地は感じられなかった。

 助けを求めるようにして目の前の鏡の端に映る郁美に視線を送る。ボディーガードとしてついてきたはずの和服姿の彼女はよだれを垂らして寝ていた。なにしに来たアイツ。

 結局話し合いは解決せずに時間だけが過ぎていき、メイクの修行は次回へと持ち越しとなってしまった。

 そして更に話は続く。

 昨日の夕方、家に帰るとポストに紙袋が入っていた。恐る恐る中を開けてみるとちーちゃんからだった。中にはよくわからない液体が入ったボトルやスプレーとメモに新品のくしまで入っていた。


『今日から使え。なくなったらすぐに言え』


 メモにはご丁寧にそれらの詳細な使用方法が書かれてあった。

 早速昨日の夜、お風呂に入ったときとその後にそれらを使ってみた。なんかすごい高そうな商品なんだけどいいのだろうかと使ってみた結果、今愛海に指摘された通りの状態になったのである。

「いつもと全然違うねー」と言って愛海は私の髪に触れてくる。

「――ちょ、近い近い」

「ああ、ごめん。つい」

 ついってなんだよついって。

「志穂もついにオシャレ女子になったかー」

 私から離れると腕を組んで一人うんうんと頷く。

「これだけでオシャレ女子にはならんでしょ」

「いや、もう十分なってるよ。髪のお手入れひとつするだけで全然違うんだからさ」

 そして次はそれをつけろと、ゴルゴみたいな顔をしながら私の手にある髪留めを指さす。言われてギョっとした。

「――え? ここで?」

「ん? 場所選ばなきゃいけないものなの?」

 愛海が何言ってんだ? みたいな顔をする。そりゃそーだと、慌てて髪留めを装着した。

「――ど、どう?」と、横向きにしてポニテのまとめ部分につけた髪留めを見せる。

「おーいいね。後ろ向いてみてよ」

「こう?」

 言われた通りに背中を見せる。うんうんと頷く愛海の声がする。

「いいね! 合ってる! かわいいよ」

「うぇえぇいえぃ……」と、自然に変な声が出て愛海が驚く。

「なにそのリアクション?」

「いや……だって、そんなこと普段言わないから」

 一度も言ったことないんじゃないかってレベルだぞ。

 そうだったっけ? っと、すっとぼけた顔をする。こっちの気も知らずにこんな顔されるとパンチしたくなった。

「これってここら辺で売ってるものじゃないよね? 街までわざわざ買ってきてくれたの?」

「うん。昨日綾と遊んだときに買った。私一人じゃなんだから綾にも一緒に選んでもらった」

 数秒前の仄かな幸せオーラは一瞬で消え去り、グサッと強烈なクギが胸に一本刺さる。バット並みの、ふとくて、つめたくておっもいクギが。

 昨日のデートのときに買ったものなのか……。

 胸が痛むと同時にすっごいテンションが下がりそうになる。しかしここは踏ん張りどころだ。なんとしても顔に出さないようにする。

「あー、あの駅ビルのとこね……」

 平然を装う為にどうでもよさそうな声を出す。しかし選んだ言葉は既に突き刺さっていたクギを回して体の内側をえぐることとなった。

「へ? なんで駅ビルってわかったの?」

 一気に背筋が粟立つと、それで終わらずにつま先から頭のてっぺんまでが一気にピキピキと凍りついた。

 しかし体の内側まではまだ完全に凍結していなかったせいか脳はフル回転を起こす。一瞬の間に回避手段を求めた結果、なぜか頭に浮かんだイメージ画像は美容室で眠っていた郁美の間抜けな顔。

 そこから導き出された結論は違和感のない打開策を得て表皮を覆っている氷を一瞬で溶かす!

「いや、郁美から駅ビルで愛海と会ったって聞いたから……さ」

 恐る恐るといった感じの声に愛海は「あ、そうなんだ」と何とも思ってなさそうな顔で返す。

 あっぶねー!

「――ところでなんでバット貸してなんて言い出したの?」

 話題を変える為にと脳のフル回転は止まらない。ぐるぐる回る。コインランドリーの乾燥機並みに早い! もっと回れ! boom! boom! boom!

 愛海はリベンジの為だと両目をたぎらせる。聞けば綾とバッティングセンターへ行ってボロボロにされたらしい。怪我したと腰と腕に貼っている湿布を見せる。

 ほんと負けず嫌いだなぁ。

 機械相手だろうと負けたままにはしたくないらしい。

「――愛海のバットなら五年前からずっと納戸にあるよ」

 ついて来いとサンダルを履いて玄関を出ると家の裏手に回る。

「ん? どういうこと?」

「ウチにあるの愛海のバットだよ」

「えっ!? そうなの!?」

「ほんとに憶えてなかったの?」

「……ピクリとも憶えてない。なんで志穂の家に持ってきたんだっけ?」

「父さんが愛海から貸りたんだよ」

 愛海は腕を組んで記憶を振り返っている。そして首を傾げた。貸した本人がその理由を憶えていなかった。とはいえ私も愛海に連絡貰うまで彼女のバットが家に置いてあることを綺麗サッパリ忘れていた。

「バッティングセンター用に使ってた父さんのマイバットが誰かに盗まれたんだよ。それでしばらく愛海のを借りてたってやつ」

「そうだ、今思い出した! そのときにおじさんとバッティングセンターの話してた!」

 砂羽バッティングセンターとオアシスハウス望月の経営者が同じ人なのに、なんで店名が望月か砂羽に統一されてないんだろうと愛海が言っているが、それは私にもわからん(そういう話は例え聞いたとしても忘れている)。父さんに聞かなければわからない。

「――でも確か父さんの同級生だったはず」

「女の人?」

 バッティングセンターでそれっぽいすごい人を見たと愛海は言う。どうだったかな?

「いや、ちょっと憶えてない……」

 ――ってか、すごいって何がすごいんだ?

 男の人だったような気がすると納戸の引き戸を開ける。水色に鈍く光る金属バットはわかりやすいところにあった。

「――はい。今までありがとね」

 おかえりーと受け取った愛海。

「ウチの父さんが申し訳ない。借りたまんま返さないなんて、ホント何考えてんのかあの人は」

「全然いいよ。バッティングセンター行ってなかったら多分永久に使わないものだったと思うし」

「ありがと――にしても、娘の友達から物借りる親ってウチの父さんぐらいなんだろうなぁ……」

 なんだか情けなくてため息が出た。借りパクは絶対にしたらダメだぞと小さい頃父さんに言われた気がしたんだけどなぁ……。

「まあ、確かになかなかのレアケースだよね。でも勝手に共犯にされたとはいえ私もおじさんのバイク乗っちゃったわけだし」

「あ、そういえばあれ完全にバレてた」

「やっぱりね。ゲンコツ貰った?」

「いや、まさかの風呂掃除一週間で済んだ」

「ありゃ。おじさんにしては刑が軽いね」

「機嫌がいいからじゃないかな。なーんか最近ご機嫌なんだよね」

「昔っから思ってたんだけど、おじさんの機嫌がいいときと悪い時の差が全然わかんない。私からだといっつも上機嫌に見える」

「いや、一目でわかるでしょ?」

「わかんないよ。会話だってにゃむにゃむにゃむで成立してるときあったし、そんなのわかるわけないって」

「まあ、父さん変わってるって言われるしね」

「……自分は普通だと思ってない?」

「違うの?」

 真面目に聞くと愛海が青ざめた顔をした。

「……」

「なぜ黙る?」

「あー……いや、別に……」

 ……なんじゃ?



「――それじゃあね」

 裸のバットを持った愛海を外まで見送る。

「そのまま持って帰るの? これから殴り込みに行くみたいだよ」

 自転車を漕ぎながら片手でバットを振り回す愛海を想像する。全然コワくない。

「こうするのさ」と、愛海はバットを服と背中の間に差し込む。忍者みたいになった。

「うひゃー冷たー!」

「懐かしい光景だねー。幼稚園児の頃に似たようなことやった」

「とりあえず帰りはこれでいくから大丈夫」

 じゃねーと言って、背中にバットを差したまま愛海は自転車を漕いで去って行った。

「気ぃつけてー」と手を振った私は愛海が消えたのを見送ると、ハァーっと深いため息をついて肩を落とした。

 あー……緊張した。学校ではもう慣れたと思ってたのにな……。

 家で二人きりってのがまずかった。

 しかもうっかり駅ビルにいたことも話しそうになったし……あぶなかった。


 昨日の日曜日。愛海と綾が二人で遊んでいた日の帰り。二人は駅の改札口で郁美と真帆と偶然会ったということになっているが……。

 実はあのとき私もいた。

 昨日は郁美と真帆に誘われて三人で遊んでいたのである。

 そして帰りに愛海と綾のデート現場を目撃してしまったわけで……。

「――志穂。先に帰りな」

 駅の改札口付近で二人を目撃し、固まっていた私を助ける為にポンと肩を叩いた郁美がそう言った。そして真帆と顔を合わせて二人で頷くと愛海と綾に近づいていった。二人の気を逸らしとくから、その隙に先に帰れとフォローされたのである。

 正直、有難かった。

 あの状態で二人に見つかれば、動揺が隠せずにバレてしまった可能性は高い。

 夏休み最後の日から、顔に出さないようにしようと決意したにも関わらず、突然の状況には対処できないでいた。

 愛海と同じだ。フリーズしてしまう。郁美と真帆がいてくれたから良かったけど、あのとき一人だったらと思うと想像するだけで怖い。

 やっぱ無理か……。

 決めたことを実行しようとしても、内心はそれをオーケーしてくれない。自分を誤魔化すとか抑え込むっていうのは難しいというか、無理なんだと悟る。

 でも――

 もうそこにいない愛海の後ろ姿を思い浮かべる。忍者みたいにバットを背中に差して、せっせと自転車を漕いでいった愛海。

 でもだからと言って、二人の恋路を邪魔するような性格ではない。

 最後までしっかり応援する。

 そう……決めたのだから。

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