第7話(戸田自転車商会編)


 店内の壁に掛けてある時計を見上げると、午後四時を過ぎたばかりだった。今日やるべき仕事はもうない。後は女房に任せることにするかとサボりを決行する。

 ――晩飯までまだ二時間以上はあるな。

 どう過ごすか。考えたところですぐに答えが出たので女房に一言。

「――砂羽さわの所行ってくる」

「はーい」

 今日はもう終わりだという意味も込めてそう言うと、女房はこちらを一度も見ることなくテレビに釘付けで返事した。人気芸人がやらかした闇賭博関与のニュースから目が離せないらしい。朝からどのテレビ局も同じことをずっと流しているだけだというのに、飽きもせずによくもまあ眺めていられるもんだ。

「夕飯までには帰ってきなさいよ」

 そう付け足され、ウーイと返事しながらお前は俺のかーちゃんかと心の中で突っ込む(決して口には出さない)。

 小銭入れとスマホを持って外へ出ようとすると、店頭で客が座り込んでいるのを目にする。ヤンキー座りで店頭に置いてある小型バイクを眺めているようだ。

 ……変な奴っぽいな。

 逆光でよく見えない影に近づくと思いがけない人物だったので、体がビクッとなるほど驚いた。

 ――なんで鈴木がいるんだよ。

 娘の方じゃなく父親の方だ。

 俺の視線を感じたのか鈴木孝宏すずきたかひろがこっちを向く。立ち上がって「よっ」と言いながら右手を挙げた。

 いきなりの旧友との久々の再会となった。

 どれくらいかというと、こいつの女房だった富岡の葬式があった日から10年近い空白があった。

 ――にもかかわらず、軽くて少しも硬くない。

 暗い雰囲気での再会にはなりそうにない。そんなものはカケラもないって感じで、まるでご近所さんに挨拶しに行くみたいな軽さだ。

 こいつの中では硬さなんて少しもなかったらしい。

 昔のような柔らかい動きを当たり前のようにみせてくる。

 ずっと気にして動けずにいた俺なんかアホ以外の何者でもなかったと感じさせられた。

「久し振りだな」と挨拶する。声は少し震えていたかもしれない。

 店頭には今の鈴木の愛車であるホンダのPCXが停めてあった。

「――パンクでもしたか?」と黒い車体を見ながら尋ねる。

「俺のバイクは特に問題なし。最近娘が世話になってることだし、少し顔出しとこうと思ってな」

 鈴木の娘がウチでバイクを買ったのは二か月くらい前。ウチでは未成年がバイクを買う際は親の承諾が必要になるのだが、その手のことは全て女房に任せていたので俺は鈴木と顔も声も合わせていない(正直に言えば避けていた)。

「世話してるってほどじゃねーよ。この前初回のオイル交換してやったぐらいだ」

「そうなのか? 破格の値段で譲ってもらったって聞いたぞ?」

 しかも新品のグローブまでくれたらしいなと言われ、説明するのが面倒だなと頭を掻く。

「値段は前の持ち主の息子さんがそうしてくれって言ったからだよ。グローブはウチにあった何年も前の売れ残りだ」

 グローブの件はウソだ。

 親子でお揃いにしてやろうと鈴木が自分の娘と同い年くらいの頃に愛用していたメーカーもので似たようなデザインをワザワザ注文してやったのだ。

「――守屋さんって憶えてるだろ? 前の持ち主はあの人だったんだ」

 鈴木は守屋さんが死んだことを知らなかったらしく、驚いた顔をしていた。

「そっか……あのおっちゃん死んだのか」

「ああ」

 鈴木は近所にある日田商店のある方を親指で差す。

「アイスでも食わねーか?」

 どうせ今日はサボるんだろ? と見透かされる。相変わらず勘が鋭い。

 学生時代を思い返すように40代のおっさん二人が並んでアイスボリボリ食うのも悪くはない――が、あそこのやつとはこの前客とケンカ騒ぎ起こした際に迷惑をかけてしまったから顔を合わせたくはない(あれから二か月くらい経つのにまだ引き摺っている)。

「――砂羽の所でいいか? 今から行こうと思ってたところなんだ」

 あいつの所には10年前から最低でも月一で通うという約束になっている。今週行かなければ来月は二回行かなければならない。

「いいぞー」と言った鈴木はバイクで、俺は軽トラでそれぞれお砂羽バッティングセンターへと向かった。



「――お前相変わらず砂羽のこと大好きなんだな」

 目的地に着いてヘルメットを脱いだ鈴木は開口一番そう言った。

「周りに勘違いを生みそうな言い方するな」

「愛する女房からはなんも言われねーのか?」

「その言い方やめろ。学生時代からの付き合いなんだから女房もなんもいわねーよ。ここ来る前にはちゃんと一言言ってるしな」

「でも普通は男女の間に友情なんて成立しないはずだぞ?」

「俺はあると思ってるよ」

 やましいことなんて一切ないと付け足す。

 例えそんな気持ちがあったとしても実行しようとは思わない。そんなことするやつはいくらでもいるかもしれないが、俺はそんな気にはなれない。

「お前そういうところ昔から変わんないよな。見た目イカツイくせして全然似合わねーぞ」

「似合うとか似合わねーの問題じゃねーだろ」

 余計な話はしたくないのでほら行くぞと鈴木を後ろにして歩いていく。砂羽との関係については色々とこっぱずかしいこともあるのであまり話したくはない。

「……」

 それにしても。本当に硬さを感じられない会話だった。

 10年20年経っても学生時代の感覚は確かに俺達の間に残ってる。

 それに少しばかり嬉しさが湧いてくる。

「――うおっ!!」

 バッティングセンター入り口のドアを開けると、驚いた顔でこっちを見ているジーンズにタンクトップの女がいる。

「二人セットなんて何年振りだ?」

 こいつこそがこのバッティングセンターとオアシスハウス望月の経営者である望月砂羽もちづきさわだ(ちなみにもう一つ構えている店がある)。

「アイスだけ食いに来た」と鈴木。

「打ってけよ!」と当然のツッコミを鈴木に送る砂羽は俺達の同級生でもあり悪友でもあり、富岡の親友だった。

 学生時代は金に染めていた髪を今は茶色に染めているヤンキーっぽい見た目。一見すると背が高そうに見えるがあまり上背うわぜいはない。

 学生時代は彼女と富岡ともう一人。美容師をやっているいずみさやの三人でいつも一緒につるんでいた。

 そのときの光景は鈴木も含め今でも頭に焼き付いて離れない。

「コエー顔すんなよ。アイス食ったら打つからよ」

 鈴木は自販機でグレープ味のアイスを買うと俺に向かって放り投げる。何も言わずにいきなりだったので慌ててキャッチする。

 よく憶えてたな……。

 物忘れが激しかったはずの男は迷わずまた自販機のボタンを押している。

「ほれ、お前も食え。そしてちょっとサボれ」

 そういって砂羽にはレモン味のアイスを渡す。これも砂羽の好物だ。

「――しゃーねぇーな。ちょっくら休憩してやんよ」

 ヤレヤレといった態度の砂羽だが少し嬉しそうに見える。三人で集まるのなんて数年振りだからだろう。

 休憩室にある白い丸テーブルを囲み、数年振りに俺達は顔を合わせる。

 するとドタドタとどこからか足音が聞こえてくる。

「ねーさん。ちぃっス!」

「おう。二回くらいやってけよ」と、整った顔立ちをしている小柄な野球少年と挨拶を交わす砂羽。

「がめついおばさんだな」と鈴木が笑う。

「商売だからな。それにあたしはまだ30くらいに見られんだぞ? まだまだおねーさんだ」

「なんていうか言い方がもうおばさんだっての」

「なにをー!」

 砂羽が騒ぎ出すと同時に俺のスマホが鳴る。

「すまん」と言って席を外す。女房からだった。いきなりなんだと思えば帰りに木綿豆腐を一丁買ってきてくれとのことだった。

 二人のところへ戻ると鈴木が意外な顔をしてこっちを見ていた。

「――お前、携帯持つようになったんだな」

 言われて一瞬、戸惑った。

 ……そういえば鈴木こいつは知らなかったな。

「ああ。便利な世の中になったからな」と適当言って誤魔化す俺に、砂羽は戸惑った表情を見せる。

 気づかれるからやめろ。

 そう一瞥すると砂羽は慌てて声を出す。

「あたしも今でも信じられないよ。あんだけそんなもんいらんとか言ってた原始人だったからさ」と見え見えの作り笑い。言ってたなーと鈴木は気にした様子はない。一瞬だけ見せて不穏な空気には気づかなかったようで内心ほっとする。

 そしえ話題を変えようと適当な話題を探しているとすぐに見つかった。

「――今日は随分人が多いな」

 言われてみればそうだなと、鈴木はそれに釣られてバッターボックスに立つ客を数える。

 人が多いのは確かだ。いつも人のいない時間帯を狙ってここへくるが、今日は平日にも関わらず店内にはやたらと客が多い。学生だけじゃなく、時間潰しで来ているのかスーツ姿の営業マンっぽいやつもいる。

 ……よく目にする野郎もいるな。

 今日は随分と集まってんなぁと少しウンザリする。

 学生はともかくそれ以外のおっさんのほとんどは砂羽目当てだ。

 砂羽は本人もよく言っているが、俺達と同じ40代のわりには独身なせいか俺達よりも若く見える。

 おまけに男の目を引くような体型をしているせいもあってか、砂羽目当てに常連をやっている客も多い。見た目も口調もヤンキーっぽく感じるせいか、軽い女と勘違いして近づこうとする輩もいた(中には強引なやつもいたので、そのときは砂羽に気づかれないように撃退して出禁にしてやった)。

「実は最近天使が来るようになったからさ。みんなそれ目当てなんだよ」

 砂羽の口から妙な単語が出てきたせいか、一瞬時が止まる。

 ――天使?

 なんだそれと鈴木と俺が同時に砂羽を見る。ニヤリと嬉しそうな顔をし出した。

「知らないのか? 常連客の中で噂になってんだよ。バッティングセンターに天使が舞い降りたってさ」

 おかげで大儲けしてるよと、口では言っていないが表情が物語っていた。いつもは気だるげな声を出す砂羽が嬉々としているということは、よっぽどその天使が店に幸福をもたらしているというわけになる。

「それでその天使がホームラン狙いにバッティングセンターに来たってのか?」

「そうなんだよ。目標がホームランだって宣言しててえらい真剣でさ」

 鈴木と顔を見合わせる。

 天使――少しもピンと来ない。どんな客だ?

 砂羽の話では最近現れたその天使とやらは既に5回はここへ訪れているという。そして毎回一回か二回やって帰っていくらしい。

「――打ち終わってすぐ帰るのかと思えば、そこのベンチに座ってスマホの動画やら野球の本とか読んでは素振り始めてさ」

 スマホで自分のバッティングフォームを録画し、本に書いてある内容と見比べたりしてダメな点を修正しているのだという。

「この前なんか打ち終わった後店の前で素振りしてから帰ってったよ」

「随分と練習熱心な天使だな」

 周囲の連中もそんな天使が気になっているらしい。確かに気にはなる。

「バッティングセンターに舞い降りた天使ねぇ……期待させていざ見てみるとガッカリみたいなパターンなんだろ?」と、鈴木は天使の正体はどうせおっさんだと予想天使を挙げる。

 おもしろかったので、俺と鈴木はその天使について色々と予想をぶつけあった。そんなやついねーだろと、答えを知っている砂羽は俺達の予想天使に笑う。

「――多分明日も来るだろうから、気になるなら見に来てみろよ。割とマジな話で可愛い天使だからさ」

 そして来たら一回は打ってけと、いつもの決まり文句を砂羽は添えた。

 明日か……。

 時間あったら行ってみるかと思った俺は後日、その天使の存在を目にすることとなる。

 ちなみにそれを目にするまでの俺の予想は、セーラー服を着た頭ハゲのおっさんだと踏んでいた。一緒に写真を撮れば恋愛運が上がるとかそういう曰くの付いている人物だろうと、内心会うのが楽しみにしていたが、予想は見事に裏切られたのだった。

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