第3話(綾編)中編


 六つ。こだわりが強い。

 とはいえ、私はまだそれを小耳に挟んだ程度で実際にそれに触れたことはない。志穂から聞いた話でしか目の前にいるこだわり女子の実態を知らないのだ。料理でも落書きでも熱中してしまうとハイレベルなところまでやってしまうのだという。

 ただ、その片鱗を見せることはたまにある。

 例えば今がそうだ。注文したピザとサラダセットを食べている最中、愛海は考え事をするように食べることがある。表情を見るとわかりやすい。探るようにして食べているのだ。そうじゃないときはニコニコしているけど、何か発見があればムムムっと考えるような顔をする。おそらく今の彼女はサラダのドレッシングの味を分析している。四つあるドレッシングの全てを使ったりと色々試していた。

「――そういえば、新しい料理を覚えたんだってね」

 陽菜から聞いた話だ。愛海は夏休みの最後の方はずっと料理の研究をしていたらしい。

 これまでに愛海がやり込んだ料理はカレー、オムライス、麻婆豆腐、肉じゃがに玉子焼き。これらに新たに加わったものがあるという。

「うん。ほうとうを新たに習得した」

「ほうとうってあの山梨名物の?」

「そうそう。食べたことある?」

「テレビで観たぐらいで食べたことはないかな」

 そう言うと愛海は嬉しそうな顔をする。

「じゃあごちそうするよ。ぜひ食べてほしい」

「いいの?」

「全然いいよ。でもやるとしたら秋か冬かな。今の季節でも悪くはないんだけど、でもやっぱその時期に食べるのが一番おいしい。陽菜と志穂も呼ぼう」

「いいね。楽しそう」

 結構自信があるんだと、愛海は親指を立てると小首を傾げながら舌を出し、ウインクまでする。そのペコちゃんみたいな顔は以前志穂もやっていた。

「どうしてほうとうを選んだの?」

「偶々なんだけどね。深夜にやってた再放送のアニメで山梨を舞台にしたアニメがあったんだ。そこでほうとうが紹介されてたからやってみようって思ったの」

 アニメに影響を受けて作り始めたほうとうは、何度も何度も改良を重ねたらしい。そのせいか真夏の上塚家の食事は三食全てほうとうの日が一週間以上も続き、彼女の弟からは「もうやだぁー! 暑い!」と嘆かれたのだという。

「ごはんが三食でるだけでもありがたいことなのに。弟がわがまま過ぎて困ったよ」

 あまりにもうるさいので鉄拳制裁と大好物はメガネという魔法の言葉(?)で黙らせたという。ホント情けない弟だとぼやく愛海に、私は苦笑いしかできなかった。

 ――このときの私はまだ予想すらしていない。

 後に彼女の作った料理を食べてそのクオリティーの強大さと食べ物には快楽という非常に奥深い味があることを生まれて初めて思い知らされるのだということを……。

 私と、ここにいない陽菜と真帆はそんな未来が訪れることを少しも予想できていなかった。


 七つ。恋に恋する女の子ではない。

 以前一緒に映画を観に行った際、当時流行っていた恋愛映画を軽くスルーしていたのを思い出す。女の子らしくラブストーリーが好きなのかと思っていただけに意外だった。ファンタジーやSF、アクションを観ることの方が多いらしい。ホラーも観れるけど、生涯一人では絶対に観ませんと宣言していた。

「どっちにしようかな……」

 ハナコ電機から歩いて10分ぐらいの場所にある映画館で、これから何を観るかで悩んでいた。腕を組んで悩む愛海の視線の先にあるのは、これから観る映画の候補二つがある。


『サフランと牛肉迷宮と筋肉マッチョノ旅団』

 一流料理人として名高い主人公の筋肉マッチョな女性とその弟子の小さな女子マッチョがカレーの材料にする為の三つの牛肉を求め、地下迷宮に挑むファンタジー。


『キンニクランド・サガ』

 美形で筋骨隆々の佐賀出身ローカル女子プロレスラーの七人が、佐賀県と女子プロレス界発展の為にアイドル活動を行って全国制覇を成し遂げるという、方向性が色々と間違っている異色のサクセスストーリー。


「どっちも筋肉だね」

「綾はどっちの筋肉がいい?」

 正直に言うと――迷う。どっちも観たい。

「こっち……うーんでもこっちもいいね」

 指を右往左往させてしまう。愛海も悩んでいるせいかなかなか決断できない。もう映画が始まる時間が近い。早くしないといい席も埋まってしまう。

「――よし! じゃんけんだ!」

 唐突な力強い提案。びっくりした。

「どういうこと?」

「私が勝ったらサフラン。綾が勝ったらキンニクランドを観るってことで」

「あ、いいねそれ」

 名案だと思う。私も今度陽菜と遊んだときに真似しよう。

「最初はグー。じゃーんけーん――」

 7回連続であいこになるという快挙の後、愛海の勝利でようやく観る映画が決まった。チケット売り場の近くでじゃんけんしている女子高生なんて、周囲の人からしてみれば注目を集める光景だっただろう。

 ファンタジーと書かれてあったサフランはテレビのCMやネット記事に記載されているものとは違い、中身はダークファンタジーだった。少し過酷な内容で物語を展開してはいるものの、陰鬱な内容というものではなく、登場人物のやり取りや背景等で視聴者に場面毎の意味を考えさせるものだった。

 本編が終わってスタッフロールが流れる頃、エンディングテーマを耳に入れながら、なぜ主人公は最後あんなことをしたのだろうかとみんなその答えを求めて思索に耽っていただろう。

「――なんであの主人公、あんなことしたんだろうね」

 と、愛海は映画館から出て開口一番にそう言った。

「好きなら一緒にいれば良かったのに」

 師弟関係の恋。それも同性同士の――。

 複雑な過去を持った師弟関係。それでもその中で恋は生まれて、互いに惹かれ合って……でも最後は向き合えなかったという結末。

 好きなのに向き合えない……向き合うことができない。

 隣を歩く彼女の横顔を盗み見る。腕を組んで歩く彼女は、あの結末に納得いかないといった表情だった。

「……」

 彼女のように、真っ直ぐな気持ちを向けられる人はあの結末に対してそんな気持ちを抱くのは当然なのかもしれない。

 これからの予定はないので愛海と帰り道を歩く。

 映画の内容について色々と話し合っていた私達はそのまま駅へ直行するかと思いきや、とある建物を見てピタッと足を止めた。


 八つ。負けず嫌い。

「――よーし、いっちょデカイの飛ばしてやるぜ」

 バッターボックスに立つ愛海は野球選手のようにいきなりのホームラン宣言をしてから構える。


『砂羽バッティングセンター』


 私達が生まれる前の時代からあったここへは初めて足を踏み入れる。周囲の景色は街の発展と共に変わって行くけど、ここだけは時が止まったかのように変化はないらしい。店内もオープンしたときから変わっていないのだろうか。

 店内へ入ると、いらっしゃいませーと気だるげな声が響く。段ボールを運ぶエプロン姿の女性が目の前を通った。

 私達を見ておやっというような顔をしていた女性は30代前半といったところだろうか。ジーンズにえんじ色のタンクトップと活動しやすい服装をしている。アルバイトの人といった感じではない。

「百円で十五球だって。初めてだから一番遅い速度にしよっか」

 最低速度の80キロコーナーは誰も利用者がいない。早速やろうと愛海が先陣を切った。

 愛海がコインを入れると前方のネットの向こう側にあるボールを飛ばす機械が音を立てて動き出す。

「さあ、来い!」と言ったと同時に彼女の目の前をボールが通過した。一球目。

「……おし!」

 これからが本番だという意味を含んだ掛け声の後、彼女は構える。

 二球目のボールが出た。今回は油断していない愛海がバットを振る――空振った。

「んあ?」

 理想と現実の差に疑問を投げるものの、答えを得られないまま三球目、四球目と流れた球に空振りを続ける。機械は少しも待ってくれない。残り十一球。

 五球目――当たった。

「当たった」と、思わず口から出た。けど球は空ではなく緑の床を目指して飛んで行き、大きく跳ねたあと、最終的にはコロコロと転がって穴へと回収されていく。

「やった! 当たったよ!」

 愛海がはしゃいでこっちを向く。私は慌てて待ってくれない機械に向かって指を差す。

「前前! あぶない!」

 喜んでこっちを振り向いてしまったせいか、次の六球目に対応が遅れる。

「おっと、危ない」

 愛海に向かってきた六球目はひらりと躱す形で終わる。どういうわけかバットを振るときの固い彼女と違って、その動きはとても滑らかだった。

 そしてバットを構えて振った七球目。これも空振る。

 八球目もまた空振り。九球目も同じく。

「おかしい! 視えているのにあたらない!」

 ムキーっと愛海が唸る。テレビだと軽々と打っているので私達にもできそうに思えたけど、思った以上に難しいみたいだ。

「うおりゃー!」っと、挑んだ十球目。振ったバットは球に当たって五球目とは違った軌道を描く。小さな放物線を描くようにして飛んでいったけど、高い位置に貼られてあるホームランの的には遥か届かない。

 十一、十二、十三と空振って十四球目――当たった。けどボールは真上に飛ぶと、屋根に当たってから愛海の頭にヒットした。

「いったー!」

 恨めしく天井を見上げる愛海。悲しい十四球目にそれでも機械は止まってくれない。次がラストの十五球目。

「ぬあー!」

 残念ながらそれも怒りの空振りで幕を閉じてしまった。

「――まだまだ!」

 けど愛海はまだ構えている。気づいていないようだ。

「愛海。十五球終わったよ」

「えっ? もう!?」

 早すぎない? と、機械に向かって文句を言う愛海。機械は小さな音を立てるだけで何も言わなかった。

 愛海が鉛色のバットを元の位置に戻し、バッターボックスから帰ってくる。

「惨敗したぁー悔しい。それに結構疲れる」

「おつかれー」

 タッチして今度は私がバッターボックスへと入る。お金を入れる前に高さ調整のボタンが目に入ったけど、とりあえずこのままにしておいた。バットは二本あるけど愛海が使ったのと同じやつを使うことにする。

 果たして愛海のかたき討ちはできるだろうか。

 体育の授業でソフトボールをやったことは何回かある。そのときは女の子が投げるボールだったので打てたけど今回はそうではない。ホームランなんて多分無理。

 ボンと、第一球が飛んで来た。

「それっ!」

 やっぱり早速空振った。

 球は思ったよりも速い。これで最低速度なら一番上はどうなるのだろうか。

 二球目――また空振る。

「どんまい! 次イケるよー!」

 運動部の応援みたいな愛海の声援を受けながら次の球を待つ。

 ――来る。

 三球目。どうだと振ったバットが球に当たる。けどあまりいい当たりではなく、球はすぐに緑の床へと吸い込まれるように落ちていく。

「それっ!」

 四球目。当たるけど漫画やドラマのように綺麗に飛ばない。五球目、六球目、七球目も同じような内容だった。

「すごい!」

 それでも当たっているせいか愛海ははしゃいでいる。

 球を射出する機械を見ながら、タイミングが悪いのだろうかと考えを巡らせた。そのせいかボンっと出た球に反応が遅れてしまう。もう間に合わないと見送った八球目。

 九球目。バットに当てるものの綺麗に飛ばない。そこでバットを力強く握っていることに気づき、今度は軽めに握ることにしようと意識する。

 振り子のように振る感じかな……。

 十球目。少しの変化が訪れる。意識してブラーンと振ったバット。下から上へと掬い上げるような軌道で振れたバットは球を拾い、持ち上げて高い軌道を描きながら青空を遮る緑のネットへ向かっていく。

「おー!」

 打ち上げた球を追いかけるように愛海の声が飛ぶ。ホームランの的からは離れているけど、気持ちの良い当たりを感じた。

 偶然だけど、今の感じみたい。

 しかしその偶然が次も続くほど甘くはない。十一、十二、十三球目と同じように振ったバットは空振りを続ける。

 十四球目――疲れているせいか振るのが早すぎた。当たったものの、さっきの感触とはほど遠い結果を生む。

 これでラスト。最後は上手くやってみせると、また振り子をイメージして軽くバットを握って構える。

 迎えたラストは――奇跡的にホームランに近い結果を生んだ。

 青空に向かって、ふわっと高く飛ぶ球をバットが作った。私も愛海もボンヤリとそれを見届ける。球は青空の前に立ちはだかるネットに動きを止められると、屋根の上へと落ちてボーンと音を鳴らした。

「――終わった……よね?」

 機械に向かって尋ねる。シーンとして何も言わない。終わったようだ。

「ホームランだったね! すごい!」

 バッターボックスから戻って来ると愛海がはしゃいでいた。「やったー」とハイタッチすると愛海はダッシュで千円札を崩しに行く。

「え? まだやるの?」

 結構キツイけど大丈夫なのだろうか?

「あと一回だけ付き合って! 一回だけやりたい!」

 このままじゃ終われないと、愛海は再戦を希望した。そして同時に彼女が悔しがっていることに気づく。多分私より打てなかったからではなく、自分ができなかったことに悔しがっているのだと思う。

「よし、行ってくる」

 今度は入り口前に置いてあるダンボールの中から赤いヘルメットを取り出して被っていた。さっきの自滅対策にと装着したヘルメットは彼女を少年野球選手みたいに見せる。可愛い。

「どっからでもかかってこい!」

 今日出会ったばかりの強敵を相手にバットの先端を向ける。タイミング悪く私のスマホが鳴ったけど、彼女の勇姿を最後まで見届けようと返事は後まわしにして声援を送った。

「頑張れー」

 ――結果。愛海は2勝13敗(バットに当てたのが二回。空振り十三回)という敗北でバッターボックスを去ることとなった。

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