孤児の話

光闇 游

孤児の話


 この世界には、人間と魔物が共生している。

『神がこの世界を創りし給う時、世界を正しく導く清き魂と、世界を混沌に導く悪き魂に分けられた。そして、清き魂が人間に、悪き魂が魔物になったのだ』

 そう少女は教えられていた。街の端の端、貧民区の更に端の路地裏に住んでいる少女だが、そんな少女にまでこの教育は徹底的に教え込まれているので、真実なのであろう。


 魔物は、全てことごとく、悪である。


 教会に食べ物を恵んでもらう時。

 何か生活の足しになるものを探して路地をさまよっている時。

 路上で情けを頂く時。

 周りの人間は決まって少女と魔物を比較した。身寄りのない孤児が、働きもせずに食べ物だけを食い散らかす。これではまるで魔物だ、悪だ、と。

 しかし少女は人間だ。産まれて間もなく教会に預けられて育ったため、母も父も知らないが、それでも人間だ。魔物だと蔑まないで欲しい、悪だと手を挙げないで欲しい、私は人間でありたい。


 だから、街の御役人が条件付きで貴族の養子になれるように掛け合う、という話に少女は飛びついた。なんでもいい、屋根があり寒さに凍えることのない、帰られる家が欲しかった。暖かなスープが欲しかった。穏やかな愛情が欲しかった。

 御役人が提示した条件は足がすくむ程の恐怖を覚えたが、それでも少女は頷いた。

 そうして少女は、提示された条件――魔物の集落に忍び込みその集落を攻め落とす為の情報を掴め、という条件をやり遂げるため、少女は単身で集落に放り込まれたのだった。

 だからこそ。



「そこな人の子。どうしたのだ、怪我をしているではないか。おまけに痩せ細っているな、食べていないのか」

 早々に魔物に人の子だとバレた挙句、こんな質問攻めをされるとは思っていなかったわけで。


「えっ……あ、あの……」

「ふむ、これはいかんな。全身泥だらけではないか。このままでは傷口に菌が入り込んでしまう。我が屋敷に来るといい。おいアフロディーテ、アフロディーテこっちへ来てくれ」

「へ? え、いやちょっ……ま、待って……!」

 ガシリと腕を掴まれてズンズンと歩き出すその魔物に慌てて足を踏ん張って抵抗しようとするが、言われた通りに痩せ細っている少女の力では到底敵わない。そうこうしている内に集落でも一際大きな屋敷に連れ込まれてしまい、戦々恐々とする少女の前に別の魔物が現れる。

 背の高い、美しい女性のような魔物だった。肌の色が透き通るように白く、艶やかな光沢のある金の髪にルビーのような紅い瞳をしている。

 対して、少女をここまで引きづってきた魔物は、背の低いまるで少年のような姿をした魔物だ。夜空のような暗い蒼色の髪に、こちらも真紅の瞳をしている。

 限りなく人間に近い容姿の二人だが、両者共に魔族特有の尖った長い耳を有していた。

 女性の姿をした魔物は言う。

「まぁまぁ! これはまた大変ね、早く手当して上げましょう。その前にお風呂かしら。さぁさ、こちらへいらっしゃいな」

「いや、だから、あの、その」

「遠慮は無しよ! 着替えも用意してあげますから!」

 そこからは、少女にとって地獄のようであった。

 白い煙(湯気)がもくもくと立ち込める広々とした水浸しの部屋(風呂場)に連れていかれ、ボロボロだった衣服を剥ぎ取られて怪しげな匂いのする薬品(石鹸等)で全身隅々まで薬品まみれにされ、そのあと水攻め(シャワー)されたかと思えば懇切丁寧に櫛て髪を解かれ……?

「な、な、なにこれ……?」

 食堂らしき大きな部屋に連れてこられた少女の前に、つい先ほど鍋から皿に盛り付けましたと言わんばかりに熱々のスープと、焼きたてのパンが置かれていた。

「物を食べていないようだからな。一度に量を口にすると、胃が驚くだろう。薄味にしておいた。野菜は我が家の菜園で採れた物だから安心していい」

「え、あの、これ」

「パンは去年採れた小麦の物だ。今年は畑を休ませているところでな。まぁ小娘が一人増えたところで蓄えが無くなることはないだろう。パンがなければ別の主食を考えればいいだけの事……ふむ、そろそろ米とやらに着手するべきか。しかしあれは豊かな水と土地が必要であるから、田をどこにするか……いや、やはりまずは芋類の確保が先決か……」

 延々と喋る少年のような魔物に、呆気に取られて固まっていれば、女性の魔物が困ったように笑い声をあげた。

「あなた、ルーネウス。そんな難しい話を続けていたら、食事が冷めてしまいますわ」

「む。そうであるな……どうした、食べぬのか? 毒など入っておらぬぞ」

「え……えっと……」

 二人から見つめられて身を竦める。視線を落とせば、美味しそうな匂いのするスープとパン。まだ温かい。

「ま……魔物は、人間を食べるって……」

「おかしなことを言う。作物が育たず食べるものが無いほどに飢えているのならまだしも、見るからに骨と皮だけの小娘を何故わざわざ食せねばならぬのだ?」

「それは、その……わたしを太らせてから食べるつもり、とか」

「ふむふむ。しかしそれだと太らせる為の食材と設備が必要だな。そんな手間暇をかけるぐらいならば、先を見越した作物の備蓄、長期保存方法の確立を目指した方が早い。第一、人間は雑食故に肉自体は固く不味かろう。食べられる部位も少ない。とても食用向きではないと思うのだが」

「え、えと……じゃぁ、なんでわたしにこんな……」

「そんなの決まっておろう」

 少年のような魔物、ルーネウスという名の魔物は、あっけらかんと笑顔で言う。


「私の気まぐれだ」

「………………はぁ?」


「いや何、魔物と人間は昔から仲が悪いために争いが絶えないわけだが、何故このような辺境の村に人間の小娘を送り込んだのかと思ったのでな。ここは見ての通り畑しかないのだぞ? まぁ、ここで収穫した作物は自分たちで食べる量以外は王城に届けている為、兵糧攻めを狙っているのならば理解しようもあるのだが。しかし王城を攻め落とそうと考えるのならば、この村を潰したところで微々たる成果しか得られず、時間と労力の無駄だと申し出たいところだ……大方、小娘はこの村を陥落させるための情報収集を命じられたのではないか?」

「な、え、あ」

「良いぞ。自由に村を歩き回っていいと許可しよう。子供目線で見れば、この村とて何かしら抜け道はあるだろう。そこから逃げ出すも良し、人間の国の役人に情報を流すのも良し。まぁ、小娘の姿が見えなくなった時は、我らも引越しの準備をして、さっさと逃げ出すがな」

「でもあなた、もう今日は外が暗いですわよ。許可するのは明日にしてくださいな。この子だって疲れているでしょう」

「おお、そうだな。さぁ早く食事を済ませてしまえ。寝床の準備をしておこう」

 そう、散々喋った後に、二人は揃って部屋を出て行ってしまった。

 広い食堂に残されたのは少女のみである。目の前には、少し冷めてしまったスープとパン。

 悩みに悩んだ後、少女は添えられていたスプーンを手に取った。

 おそるおそる口にしたスープは、冷めても大変美味だった。



×××××



 それから数日、少女は魔物たちの屋敷に滞在した。


 暖かくてふわふわとした布団で不覚にもぐっすりと眠った初日の次の日は、ルーネウスに村の中を連れ回されていろんなものを見せられた。

 様々な野菜が植えられている畑、綺麗に整備だけをされている休息期間中の畑、村の側を流れる川から水を引くための水車、水車が回る力で粉をひく設備、貯水池。少女が尋ねれば丁寧に答えてくれたし、少女が尋ねなくともルーネウスは延々と喋り通した。

 この魔物はずいぶんなお喋りらしい。難しい言葉はわからないと言えば、少女にもわかる言葉で言い直してくれた。

 へとへとになって屋敷に戻れば、今度はアフロディーテの出番である。どうやら世話をするのが大好きなようで、初日のように少女を風呂に連れてっては、良い香りのする湯船に入れられ、肌をふやかしてから丁寧に少女の体中の垢を落としていった。

 さっぱりとした後は、これまた丁寧に髪を梳かれ、この二日だけでも少女の散り散りだった髪は驚くほどに手触りが良くなった。

 そうして、その後は夕食である。昨晩よりもスープの量が少し増えていて、一口大の肉団子が入れられていた。驚いたことに、これらの料理はルーネウスの手作りであった。足が棒になるぐらいに連れ回されたのもあって酷く空腹であった為、少女は警戒する暇なく食事を平らげた。(その時に食事のマナーで少し叱られた。「食欲があるのは大変喜ばしいことではあるが」とルーネウスは笑っていた)

 その次の日からは自由に見て回っていいと言われた。屋敷の中が見たいと言えば、アフロディーテが喜んで各部屋を案内してくれた。

 広い屋敷に、住んでいるのはあの二人だけだった。けれど、部屋はたくさんあって、以前は使用人が使っていたという部屋もあった。その中で、妙に子供が使うような小さなベッドや机が置かれている部屋があったが、アフロディーテは少し寂しそうな顔をするだけで詳しくは教えてくれなかった。

 そのまた次の日は村の中を探検した。

 そのまた次の次の日は……



 七日が経った頃、朝食の場で二人の魔物はいつものお喋りのように問いかけてきた。

「そろそろ、お前に名を与えてやらねばならないな」

 あまりにも自然に言われた為、少女はすぐに反応ができなかった。

「え?」

「名。名だ。無いのだろう? 我らを呼ぶことはあっても、己の名を口にすることがなかったからな」

「そう、だけど……」

 事実、少女には名前がなかった。

 生まれてすぐに教会に預けられ、その教会でも手を焼くからと幼少期に見放され、今まで誰にも相手されずに生きてきたのだ。

 罵倒されることはあっても、まともな名前を呼ぶ者は、誰一人としていなかったのである。

「どういった名が良いだろうな。せっかくなら良い意味がある名を送ってやりたいのだが。書物を漁るか。うむ」

「あの、でも……」

 少女は言い淀む。

 いいのだろうか。

 こんな、私なのに。

「あのね、これは私たちの希望であって、嫌なら断ってくれても大丈夫なのだけれど……」

 アフロディーテが口を開く。

 彼女はルーネウスの隣に立って彼の肩に手を置き、少女を見つめる。

「もし良かったから、私たちの子供になってくれないかしら」


 目を見開いた。

 言葉の意味を図りかねて、声を失った。


「私たちにはね、子供がいないのよ……いいえ、いたはずだったのだけれど……」

「……死産だった。産まれてこられなかったのだ。もう随分と昔の話になる……生きて入れば、お前と同じぐらいには成長していただろう」

 さて、とルーネウスは席を立ち、食堂を後にする。

 彼を見送り、アフロディーテは小さく苦笑する。

「あの人ったら、照れ屋さんなのだから……私たちの気持ちは、本当よ。もし貴女がここにいたい、と思ってくれたのなら……少し、考えておいてくれないかしら」

 そう言って、ルーネウスの後を追うようにアフロディーテも食堂を後にした。

 広い食堂に残されたのは、少女一人である。

「……わたしは……」

 ただただ、スープの水面に映った自分を見下ろしていた。



 翌日、まだ日が昇る前に少女は身を起こした。

 暖かくてふかふかで、包まれると安心できる毛布から、名残惜しく体を引き離す。

 自由に使っていいと言われていたタンスから、元々着ていたボロボロの服を引っ張り出した。

 頭を掻きむしって、わざと髪をぐちゃぐちゃにする。

「わたしは、人間だから……」

 着せてもらっていた清潔な服を脱ぎ捨てて、ボロボロの服を身に纏う。

「わたしはっ、人間、だから……」

 その服のポケットに大事にしまっていた紙を取り出して、そこにかかれた数字を見る。

 文字はわからないが、数字ならば辛うじてわかる。そこに書かれているのは「8」。

 少女が、この村に来てから八日目――つまり、今日。

「わたし、は……人間、だから……」

 ぽたり。

 ぽたり、と。

 目尻から溢れ出る涙が紙を濡らしていく。

「わたしは人間だから……ここにいちゃ、ダメなんだ……っ」

 ここにいれば、あの人達の迷惑になる。

 少女はまだ日が登らないうちに屋敷を抜け出し、あらかじめ見つけておいた村の抜け道を潜り、外に出た。



×××××



 あの集落の情報を手に、この場所で待機すること。

 御役人たちに言われていた指定の場所に着いたのは、ようやく日が昇って明るくなった頃だった。

 確か今ぐらいの時間に街の兵士が迎えに来るという話だったはずだが、辺りに人の姿はない。

 なんとなく、そんなことだろうと予測はついていた。暫く休憩した後、少女は自分の足で街への道を歩き出す。

 ぐずぐずしていると、後ろから追いかけてくるのではないか、と思ってしまう。

 そんな訳がないのに。

 日が真上に登るまでひたすら歩き、途中の川で水を飲んだ後、さらに夕方まで歩き続ける。

 ここには屋根のある場所はない。風を遮る壁もない。少し休憩した後、寝ずに月明かりを頼りに歩き続けた。

 足が棒になって動かなくなれば休み、また歩き、休み、歩き続けた。

 見慣れた街の壁が見えてきたのは、翌日の夕方頃だった。その頃には少女の膝は擦りむいて血が滲んでおり、転んだために服は泥だらけで、髪には木の葉が絡まっていた。

 街にいた頃とまったく変わらない姿に戻った少女を、門番の兵士はギョッとした顔で出迎えた。少女の腕を強引に引っ張り、小部屋に押し込んだかと思えば、すぐさま御役人たちがぞろぞろと小部屋に入ってくる。

「よく戻ったな。無事で何よりだ」

「……いいえ」

「して、あの集落はどうだった。醜悪な魔物どもの巣窟であっただろう。あの様な場所は早々に潰してしまうのが先決だ。して、情報は何か掴んだのか」

「……はい」

 少女は話した。

 あの村の成り立ち。

 川から水を引いている水車のこと。

 畑のこと。

 そして、あの屋敷に住む、夫婦のこと。

 全部、あの二人から聞いたことばかりだった。

 全部、あの二人から教わったことばかりだった。

「……ほう、なるほど。あの魔物どもめ、我らの許しもなくあの土地で兵糧を溜め込んでいるだと? この街を攻め落とす為の拠点だったのか!」

「え?」

 違う、そうではない。

 驚いて顔を上げる。御役人たちはそれぞれ怒ったような顔をしていた。

「けしからん! 我ら人間を根絶やしにするつもりか!!」

「いくら王の命とはいえ、これ以上は好き勝手にさせられんぞ!!」

「早く兵を集めて潰してしまった方が我らの為になる。それに、畑があるならば奪えばいい」

「あの集落さえなければ領土を拡大できる! そうなれば国の為にもなり、王から褒美を賜ることだろう!」

 口々に言われる言葉に、少女は青ざめながら首を横に振る。

 そうではない。

 そうではないのだ。

 あの村は無害だ。ルーネウスの言っていた通りに畑以外は何もないし、食料の蓄えだって自分たちが食べる分しかない。

 アフロディーテも言っていた。この村は、基本は自給自足で、ほそぼそと暮らしているのだと。

 ただ普通に暮らして。

 ただ普通に過ごしているだけなのだ、と。

「あ、あの村、はっ! あの村は……何も、ありません……」

 思わず声をあげた。御役人たちは口を閉ざして少女を見る。

「何も……本当になにも、なくて……食料も、自分たちが食べる分だけで……兵士とか、そんなのもなくて……」

 見つめられる何人もの目に、少女は萎縮する。

 それでも、言い切らねばならなかった。

「あそ……あそこ、は……優しい魔物ばかりです。ご飯くれたり、寝る場所を用意してくれたり、いろいろ教えてくれたり……だから、あそこを、あの村を、つぶすとか、必要ないです」

 小部屋は沈黙に満たされた。

 少女は冷たい汗を流す。

 伝わっただろうか。

 わかってくれただろうか。

 やがて、御役人の内の一人が口を開いた。

「……なるほど、言いたいことはわかった」

「! じゃぁ……」

「お前は魔物どもに洗脳されているのだな」


 顔が強張った。

 耳を疑った。

 この人たちは、何を言っているのだろうと。


「魔物どもを庇うなど、洗脳されているに違いない」

「早急に手を」

「早急に処分を」


「この娘は、早急に処刑せねばならない」


 がたり、と一斉に御役人たちは立ち上がり、ぞろぞろと小部屋を出て行く。

 入れ違いに兵士が数人入ってきて、少女を拘束した。

「や、やめて! 痛い! 離して!」

 叫んでも、兵士は手を止めてはくれない。

 ロープで手足を縛り上げられ、身動きが取れないようにされ、引きずられながら建物から追い出される。

 処刑、という言葉の意味は知っていた。街の中央に立っている丸太に縛り付けられ、足元に火をつけ、街の住民たちが見ている中で火炙りにされるのだ。

「やだ! いやだ! 死にたくない! 私、嘘なんて言ってない! 本当のことなの!」

 泣いても叫んでも、止めてくれる者はいない。

 街の中央まで引きずられ、体中擦り傷だらけにされて、中央に立っている丸太に縛り付けられる。

 もう日も暗いというのに、住民はわらわらと集まってきていた。

 誰も、少女を哀れむものはいなかった。

 皆が皆、狂気にかられたように目を爛々とさせていた。

 御役人たちが前に立ち、声を張り上げる。

「皆の衆! とくと見よ! 今から処刑にかけられるのは、魔物どもに魂を売った小娘だ!!」

「汚らわしい我らの裏切り者だ!!」

「見せしめの為に火炙りに処す!!」

「我らが人間の繁栄の為に!!」

 御役人が拳を掲げれば、民衆は声を揃えて言葉を復唱する。

「繁栄の為に!」

「繁栄の為に!」

「繁栄の為に!」

「さて、小娘よ。最期に言いたいことはあるか」

 御役人たちの下卑た笑みが向けられる。周りの兵士たちは松明を手に、こちらへにじり寄ってきていた。


 少女はもう、何がなんだかわからなかった。

 何を信じればいいのかわからない。

 ちゃんと人間として認めて欲しかっただけなのに。

 人並みの幸せが欲しかっただけなのに。

 愛情が、欲しかっただけなのに。


「悪魔は、どっちなのよ……」

 縛られた手首がギリリと軋む。

 全身の毛を逆だてるように、涙の滲む瞳で、少女は生まれて初めて腹の底から叫びを上げた。


「あなたたちが人間だというのなら!! こんなものが人間だっていうのなら!!


私は人間になんてなりたくない!!


こんなのになるぐらいなら、私は魔物でかまわない!!!」



「――よくぞ言った、我が子よ」

 刹那、目の前が炎に包まれた。

「……え……?」

 少女は目を疑う。

 自分が燃えているわけではない。街が燃えているのだ。

 瞬間的に民衆はパニックに陥った。ドレスに引火した者、訳が分からず走り出す者、兵士が混乱して立往生し、御役人は何事かと怒鳴り散らす。

 ただ一人、少女だけは、向こうからこちらに歩いてくる二つの人影に、目が釘付けになっていた。

「まったく。どこに行ったのかと思えば、こんなところに居たとは」

「心配したのですよ、アネモネ……貴女の名前ですよ」

 ゆっくりと、いつものように、その二人は歩いてくる。いつもと違うのは、女性の魔物の手には身の丈ほどの杖が、少年のような魔物の手には巨大な剣が、それぞれ握られていることだ。

「き、貴様は、首狩り公爵のルーネウス?! なぜ貴様がここに!!」

「ほう。古き我が名を知っている者がいたか――なんてことはない。我らは、我が王と貴公らの王の和平条約により、あの地にて平和に慎ましく暮らしていただけのこと。土を耕し、作物を育て、和平の証にどちらの王城にも作物を献上していた、ただの農民でしかない。それを、何を勘違いしたのか、せっかくの畑を台無しにしようとする輩の噂を耳にしてなぁ……」

 街の中心、御役人たちの前にまで来た彼らは、同時に手に持ったものを地面に突き立てる。ガンッ、と鋭い音が周りに音を反響させた。

「貴公らのことだ。和平を乱す者どもよ」

「それに、私たちの子を痛めつけて下さったようですね。元からあの子を見殺しにする予定だったから、情報を持ち帰ろうが、どちらにしても処刑にすると?」

 ルーネウスは剣を。

 アフロディーテは杖を。

 持ち上げ、炎のように真っ赤な瞳を真っ直ぐに向け、それぞれの武器を突き出した。

「今ここで生を終わらせたくないのならば、疾く去ね」

「言っておきますが、和平を乱した貴方がたは、どちらの国においても国賊です。せいぜい、己の罪深さを嘆きなさい」

 二人の魔物の剣幕に、御役人たちは後退りする。一人が悲鳴をあげて逃げ出せば、残りの者たちも手を挙げて逃げ出した。

 少女は呆然として、二人を見下ろす。ルーネウスが剣で少女のロープを斬り、落ちてきた少女の体をアフロディーテが受け止める。

「大丈夫? 痛くはない? ああもう、こんなに傷を拵えて……帰ったら、体を綺麗にして、手当をしましょうね」

「また何も食していないのだろう。薄味のスープに、食事の後はハーブティーを淹れよう。心が安らぐからな」

 代わる代わる頭を撫でられ、少女は枯らした声で口を開く。

「……なんで……? なんで来たの……?」

「そんなの決まっておろう」

 二人は少女の目を見つめ、優しく微笑んだ。


「アネモネ。お前が我らの子であるからだ」


 お父様。

 お母様。

 少女は泣きながら両親に抱きついたのだった。


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