お題小説

そやなの人

第1話 麦茶・猫・プラネタリウム

「それ、最後まで飲んでから行きなさいよ、か」

 それが、僕の最後に聞いた言葉だった。


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 あれは何年前だったかな。僕がまだ絶賛現役中学生をしていたから、一昔前と言っていいくらい過去のことだったかもしれない。


 十年一昔。


 中学生になって、周りの友達がテレビゲームやらスマホやらに夢中に取り組んでいる中、それはそれはやんちゃ坊主だった僕は、僕の周りの中でただひとり、外で遊ぶことこそ至高であると考えていた。正確にはあの頃の僕は至高なんて言葉選びをしなかっただろうから、「虫取りサイコー!!」とか、「なんでみんな鬼ゴやらないの? ゲームなんてやらないで外に出て来いよ!!」とか考えていたに違いない。

 今にして思えば、外で動くことを中学生の生業としているような奴らは、学校が奨励していたこともあり、みんな遅くまで部活をしていたわけで。帰宅部の僕が同じ帰宅部の連中を遊びに誘っても、色よい返事がもらえなかったのは至極当然といえる。それでも当時の僕は、部活で決められたことではなく、いわゆる『お外遊び』をしたかったのだから仕方ない。仕方ないったら仕方ない。


 ともかく僕には、ソフトで何千円、ハードで何万円という単位のお金を払ってまで外遊びよりつまらないゲームをやるということが信じられず、ちょっと仲良くなったクラスメイトを外遊びに無理やり連れ出しては、鬱陶しがられ、じきに相手にされなくなくなる。そんなことの繰り返しだった。

 そんなわけで、いつの間にか一緒に遊ぶ相手もいなくなり、それでも僕は頑固に外遊びを続けていた。

 今にして思えば、ゲームのことを友達を奪う敵のような存在として認識していたのかもしれない。ゲームがなくなればみんな外で遊ぶのに。そんな考えが僕の中には確かにあった。


 そういう意味では、僕が彼女に惹かれたのは当然といえよう。


 季節は蝉の鳴き声が蝉しぐれーって感じ。蝉の声はうるさいなんてクラスメイトはよく言っていたけど、僕としては友達(蝉)のほうが友達(人)より、室外で懸命に過ごしている分、好感が持てた。


 それはともかくとして。そんな、泣く子ももっと泣きわめく夏の日差しの中、僕は彼女と出会った。いや、出会ったという表現はあまり適切でないかもしれない。彼女は当時のクラスメイトで、僕も彼女も同じ地区の公立中学校に通う中学生。通っていた小学校も同じ。よって、出会いは小学生の頃、学校のどこかで済ませているはずだ。実際、話しかける前から顔と名前は一致していたし。

 あるいはもっと幼いころ、道端ですれ違っているかもしれない。すれ違っただけのことを「出会い」なんて言っていいのかは限り無くびみょーだけど。


 そんなわけで、彼女と出会った改め彼女を認識したのは、その日、その時、その場所であった。正確な日にちはおろか、どこの席に彼女が座っていたのかも思い出せないけれど、時間帯は放課後。僕はいつも通り断られると知りながら、クラスメイトを遊びに誘おうとしていた。


 そんな時、ふと、なんのきっかけもなく、運命的なエピソードなんて微塵も感じさせないシチュエーションで。僕の目に彼女が映った。


 本来多感な中学生ということもあり、恥ずかしがって女子は遊びに誘ったりしない僕だけど、友達と話すわけでもなくぼーっと空を眺めている彼女を見て、気が付いたら声をかけていた。

 一緒に外であそぼー。名前くらいしか知らないただのクラスメイトにそうやって話しかけた。当然、彼女は困惑するわけで、露骨に怪訝な表情を浮かべながら、なんで私? と聞いてきたことは今でもはっきり覚えている。

 今でもなんで彼女に声をかけたのか分からないし、当時の僕がうまく返せるべくもなく、しどろもどろになって恥ずかしい思いをしたこともはっきりと覚えている。忘れたいけどね。


 その時は結局断られちゃったし、体が弱いから、と断った彼女を再び誘うことはなかったけれど、それでも、大雨で外に遊びに行けないとき(当時の僕は多少の雨なら気にせず外で遊んでいた)、僕がおしゃべりなり、言葉遊びなりに興じるのは決まって彼女になった。なぜなら、僕と彼女は同志だったからだ。


 ゲーム嫌い同好会。ふたりだけだったし、同じものを嫌うという意味では同嫌会とでもいったほうが適切だったかもしれないけど、僕と彼女はその表現をとても気に入っていた。部活もなんかやだったから同好会。お兄ちゃんが入っていた文芸同好会を参考にした。

 彼女は彼女で彼女なりの理由を持ってゲームを嫌っていた。何があって嫌いになった、というようなエピソードについて彼女が語ることはついぞなかったけど、語気、言葉選び、表情、そのすべてから彼女のゲームに対する嫌悪感が伝わってきた。ゲームなんて紛い物で、現実を否定するインチキだ。この目で見た現実が大事なんだ。そのようなことを力説していた彼女のことを考えると、同好会の会長は彼女で、僕はヒラと呼ぶにふさわしかったと思う。

 それくらい、彼女は熱心に、あるいは一種狂信的にゲーム嫌いを主張していた。ゲームが嫌いだった僕は、一も二もなく同意していた。


 いつしか雨の日は僕が彼女の家に遊びに行ったり、逆に彼女が僕の家に来たり。付き合うとか難しいことはまだわからなかったけれど、もっと言えば、今も付き合うってどういうことかわからないけれど、下手にそういう惚れた腫れたをするよりもずっと親密な関係を僕と彼女は築いていた。


 僕が彼女の家に遊びに行くときは、いつもおばさんが濃いカルピスを出してくれた。甘いものが大好きな僕にとって、それはとても贅沢な嗜好品で、彼女の家に行く楽しみの一つだった。そんな話をしても、僕のうちで遊ぶときに出るのは決まって麦茶だった。


 何の変哲もない麦茶。砂糖も何も入れず、麦茶パックで香りと味をつけただけの水。


 お母さんの前では文句の一つも言うけれど、ほんとはそんなただの麦茶が大好きだった。暑い日に、頭がキーンとなるくらい冷やされた麦茶をぐーっと飲むのも好きだったし、コップに注いだ後放置しちゃって、すっかりぬるくなったお茶を運動後に飲み干すのもまた、大好きだった。

 あるいは、僕のそんな考えまで見通して麦茶を用意し続けたのかもしれない。カルピスを作って、なんて文句を言うのが、ただ彼女の前で見栄を張りたいだけだったなんて、今になってようやく理解できた僕の感情を、お母さんはすでに知っていたのかもしれない。


 僕の家に彼女が遊びに来た時、そして、雨がちょうど止んだ時。

 僕は一気にお茶を飲んで、でも冷たくて、少し飲みきれなくて。

 そのまま置いて、外に遊びに行こうとする僕に、

「ちょっと! それ、最後まで飲んでから行きなさいよ!」

 彼女はいつもそうやって、あきれながら、笑いながら、声を上げるのだった。


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 場面は変わって、高校生。時が変わって、身分が変わって、当然通う場所も変わって。それでも僕と彼女の関係は変わらなかった。さすがに外で鬼ごっこをしたり虫取りをしたりということはほとんどなくなった。それでも、ジョギングが日課になっていたり、相変わらず虫が好きで図鑑や標本を買ったりと、僕の僕らしさというか、いい意味での子供らしさは順調に趣味へと昇華されつつあった。


 さらに、自然全般に興味を持った僕は、山登りなんてことも始めた。夜の山で見る光。夜空にきらめく満点の星空。それは誇張なく世界で二番目に素晴らしいものだと思った。

 相変わらず体の弱い彼女を連れていくことはできなかったけど、僕の体験談を聞く彼女は、とても満足そうに笑顔を浮かべていた。

 そう、彼女の笑顔。そうやって体験談を語り聞かせることで、僕は世界で一番素晴らしいものを見ることができた。


 ほんとは写真なり動画なりで彼女にも見せてあげたかったけど、極度の機械音痴といえる僕の技術では、素晴らしい光景がどこか陳腐なものに見えてしまうと思い、いつか最高の一枚が取れた時に見せよう、なんていつも断念してしまうのであった。

 写真を見せない理由を聞く彼女には、「写真では本物を伝えることができないから」みたいに通ぶって答えていた。彼女は「そっか、そうだよね」と納得してくれたけど、にんまりと笑った彼女は、あるいは僕の考えに気が付いていたのかもしれない。


 麦茶を飲んでから外出するとき。ほんとはもう一気に飲みきれるけど、彼女のあきれた笑いが見たくて、ちょっと残して出かけようとする僕に、

「ちょっと! それ、最後まで飲んでから行きなさいよ!」

 彼女がそうやっていう光景は、いつもと変わらなかった。

 言われて慌てて飲む麦茶の味もまた、いつもと変わらなかった。


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 さらにさらに、時は変わって、季節は巡って。ついには僕と彼女の関係も変わって。

 僕としては付き合いたくて告白したつもりだったけど、

「今更付き合っても変わらないと思うの。それより、この際、さ」

 そんな感じで、告白にプロポーズで返されるという世にも珍しい体験をした結果、恋人をすっぽかしていきなり婚約することになった。

 プロポーズも自分からしようと考えていたし、もちろん驚いたけど。それよりも喜びのほうが強かった。

 生涯彼女のそばにいられる。そう思うだけで、にやけるのを抑えることができなかった。


 何気ない日常、何気ないひととき。そのすべてが輝いて見えた。今こそ人生の中で最高の時を過ごしているんじゃないか、なんて思えた。

 相変わらず機械音痴は変わらなかったけれど、その喜びをどうにか表現したくて、スマホでとった一枚の写真を彼女に送った。


 それは塀の上で、仲良く、気持ちよさそうに、寝ている二匹の猫。

 写真と一緒に猫を僕と彼女になぞらえた、歯の浮くようなセリフも送った。


 その日を境に、彼女は僕に微笑みかけることをしなくなった。


「ちょっと! それ、最後まで飲んでから行きなさいよ!」

 そうやって注意されることも、いつしかなくなっていた。


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 そして、これは『今』からちょうど一か月前。彼女が笑顔を見せなくなって、それでも喧嘩らしい喧嘩をしたわけでもない僕と彼女は、表面上、平和な日常を過ごしていた。

 最初は、彼女が笑わなくなったことを、体調でも悪くなったかな? と気軽に考えていた僕だった。しかし、この前、登山をしてその話を彼女に聞かせたとき、それでも彼女が笑わなかったとき、ようやく僕はことの重大さに気が付いた。


 僕が最も好きなものを、もう見ることが叶わなくなってしまうかもしれない。


 そんな確信めいた予感は日に日に僕を焦らせた。どうすれば再び彼女の笑顔を見ることができるのか、いつしか僕はそのことばかり考えるようになった。

 あるいは彼女に聞けば答えてくれるかもしれない。僕の犯した間違いを教えてくれるかもしれないし、そんなつもりなかった、なんて言って僕の心配を笑い飛ばしてくれるかもしれない。

 そう思って、実際何度も問いかけの言葉が口を出かかったが、彼女から関係の解消を要求されるのが、あるいは「あなたの前では笑えない」と死刑に等しい宣告をされるのが怖くて、どうしても質問することはできなかった。


 僕と彼女のつながり。僕の体験談。自然。山。夜空。星。

 彼女に今できること、それをずっと考えて。僕は、僕のすることを決めた。


--


 昨日。

「プラネタリウム?」

 そういって彼女は首を傾げた。

「うん、プラネタリウム。僕も行ったことないんだけどね」

 実は嘘。ほんとは彼女を楽しませられるクオリティかどうか下見するため、事前に一人で行った。

 ギネスに載っている、世界一星の多いプラネタリウムなんて広告するだけあって、本物には及ばないものの、素晴らしい夜空を一望することができた。

 なにより、あらゆる季節や場所の星を見られるのが素晴らしい。様々な季節の星空を見てきた僕の記憶の追体験という意味でも目的にあっているし、プラネタリウムでは星の解説をしてくれるため、いろいろな星の知識に触れ合えるのも楽しい。

 これなら彼女も喜んでくれるはずだ。僕はそう確信していた。


「へー、じゃあ、なんでプラネタリウムに行こうと思ったの?」

「いつも話で聞かせるだけだし、君にもきれいな星空を見てほしいと思って」

「そっか、そっか」

「急だけど明日、どう?」

「明日、明日。ね。明日、楽しみにしてる」

 そういって、彼女は微笑んだ。


 久しぶりの笑顔。大好きな笑顔。あるいは彼女が笑顔を見せないという僕の悩みは勘違いだったのかもしれない。

 そう思わせてくれるに足る、とびっきりの笑顔だった。

 だから。

 僕はその、笑顔の意味に気が付くことができなかった。


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「それ、最後まで飲んでから行きなさいよ、か」


 そして、ようやく、今日。『今』。

 長い、長い、走馬燈を終えて。


「この目で見た現実が大事なんだ。一緒に言ってくれていた頃の君は、どこにいっちゃったんだろうね」


 そう言う、彼女の言葉が、僕の耳に届くことはなかった。

 僕のグラスには、あの頃のように少しだけ、麦茶残されていた。

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