第9話 おいしい紅茶を求めて
高校生の時、ちょうど受験で追いつめられていた時でした。
美味しい紅茶に出会ったのです。
それは某メーカーの缶入りのもので、三種類の紅茶がセットとして入っていました。きっとお中元か何かで送られてきたものでしょう。
私以外の家族はコーヒー党ですから、紅茶詰め合わせの箱は何かを載せる台として使われていました。酷いですよね。
家族で一人だけコーヒーが身体に合わなかった私は、受験勉強の眠気覚ましに缶の一つを開けてみました。
な、なに、この香り!
茶葉から立ちのぼる香りはそれまで体験したことがないものでした。
どこか甘く、それでいて香りの芯には渋みも入っている。それは媚びない香りとでもいうものでした。
日本茶用の急須に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
味が出ないうちに、カップに注ぎ、再び急須に戻したりしましたが、生まれて初めて、茶葉から淹れた紅茶ができあがりました。
白いカップから立ち昇る香りは、茶葉から直に嗅いだものとはまた違う、薫り高く気持ちのよいものでした。
それは「高貴な」という表現がぴったりの、まろやかな甘さが際立つ香りでした。
そして、その色。
恐らく紅茶愛好家の多くは、その色も愛でているのではないでしょうか。
澄んだ赤色は、もう少し濃ければ下品になるぎりぎりのところで踏みとどまっています。飲む前から味の期待が膨らむ、そういう色でした。
一口含んだ瞬間、味と共に香りが鼻に抜け、味覚と嗅覚が紅茶の素晴らしさに支配される。
それは衝撃的な体験でした。
確か、ダージリン、アッサム、ニルギリと三種類あった紅茶は、私が一人で飲み尽くしてしまいました。
◇
時がたち、たまたま英語圏の国で生活することになった私は、ある日、ふとしてことから高校時代の記憶が蘇り、紅茶を求めて街をうろつきました。
旧コモンウエルス(イギリス連邦)の一つである国だから、きっといい紅茶の店があるはずだと。
ところが、無いのです。良質の茶葉を売っている店が。
電話帳とディレクトリー(地図)を広げ、お茶を扱っているお店があれば出かけるのですが、個人を相手にしていなかったり、茶葉を扱っていなかったりで、いつまでたっても目的に行きつきません。
とうとう私は探索をあきらめ、ティーバッグで済ませることになりました。
◇
そしてまた時がたち、日本に帰ってきた私は、とうとう見つけたのです。「紅茶専門店」と銘打つお店を。
そこは内装や料理にもこだわりがある店で、丸い平缶に入れた紅茶のサンプルが並んでいました。
自由に飲めるアイスティーも置いてあり、紅茶好きが喜ぶだろう工夫がいろいろされていました。
ところが、ある日行ってみると、お店の名前が少し変わっています。「あれ?」と思い、いつも通り茶葉を買って帰ると……美味しくない。
どうやら親会社が変わったことで、良心的なティーハウスではなくなってしまったようです。
私は再び行き場を失い、紅茶から離れてしまいました。
◇
時は流れ、私の中で紅茶への情熱も風化しかけたとき、その時がやってきました。
当時の私は、大都市圏の高級ホテルで「ゴロゴロする」という悪い遊びを覚えてしまい、それほどお金がないのに、まとまった休暇が取れるとそういった場所に出かけていました。
ある時、ホテルでゴロゴロしたあと、たまには町を歩いてみようという気になり、散歩に出かけました。
ホテルに隣接する、できて間もない商業施設の地下を歩いていると、右手にガラス張りのお店があり、奥の壁には円筒形をしたオレンジ色の缶が並んでいたのです。
何の店だろうと思い、壁に埋め込まれたおしゃれな看板を見ると、明らかにお茶に因んだ店名です。
昼前だからか、テーブル席にもカウンター席にもほとんど人はいませんでした。
まさか、もしかして、いや、万に一つ……。
そんな気持ちでカウンターに座りました。
「いらっしゃい」
エプロンをかけた痩せた男性が、声を掛けてきます。
「あのう、このお店……」
「ええ、ここは紅茶専門店なんです。
開店して間もないんですよ」
私は言葉を失いました。
あれほど探していたものが、たまたま通りかかって見つかるとは!
でも、まだ安心はできません。
問題は茶葉です。紅茶の味です。
メニューには知らない紅茶の名前が並んでいます。
どれにするか悩んでいると、先ほどの男性が声を掛けてくれました。
「お悩みなら、いくつか飲んでみませんか?」
そこで出された紅茶の数々は、高校時代に飲んだ紅茶どころか、それ以上の逸品ぞろいでした。
「美味しいですね!」
私がそう言うと、男性ははにかんだ笑いを浮かべます。
紅茶に感動した私は、メニューの中で一番高価なお茶を注文しました。
たしか、一杯三千円程したと思います。
ただ、この時点ですでにその値段以上の紅茶は飲んでいますから、決して高いと思いませんでした。
「お客さん、それ注文してくれるの?」
カウンターの三つ隣に座っていたおじさんが、声を掛けてきました。
「嬉しいなあ~!」
おじさんは、子供のような顔で笑います。
「は、はあ」
カウンターの向こうにいる男性が、笑いながら紹介してくれます。
「ウチで使ってる茶葉を扱っている会社の社長さんです」
「えっ!?」
社長は、出来たばかりの系列店を視察していたようです。
彼によると、若い頃スリランカの紅茶に惚れこみ、美味しい紅茶を少しでも多くの人に知ってもらいたいという情熱から、二十年以上紅茶を扱ってきたそうです。最初はなかなか日本の消費者に理解してもらえず、かなり苦労したそうです。
二十年以上経ち、最近になってやっと認められてきたという話でした。
ここまで読んで、知っている人はすでに「あっ、あのお店か!」と分かっていると思います。敢えて店名は出しません。少し調べれば分かる事ですから。
こうして行きつけの紅茶専門店を見つけた私は、薫り高く美味しい紅茶を毎日楽しめるようになりました。
つらつら書いてくると、つくづく自分は紅茶と縁があったのだなあと思います。
そして、それは茶葉だけにはとどまらないもののようです。
何かを大好きでいつづけるって、そういうものかもしれませんね。
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