第35話 暁前
「どうしましょ……ほんとに……」
僕の独り言。
都合良く助言を与えてくれる、脳内の先達は今は居なかった。
そんな思考停止状態でも足は勝手に動いて、三車線の大須通りの交差点前まで着いた。
先程、自由落下した二体が道を這いずっていたが、動きが遅すぎて、彼らの周囲だけ、時間の流れが遅いかと錯覚する程だ……
鮮度が悪いんだろう……
知らないけど……
脇道から出来きて、頭から出血している女『ヤツら』の方が余程早い……まだイキが良い。
小型PCの時計を見る現在時刻は、5:05 あと25分で太陽が顔を出す。
但し、高層の建物が多い名古屋だから、当分は薄暗い可能性が高いが……エンジンを始動して、『ヤツら』には追い付けないSPEEDで……
そう、僕は判断を迫られた。
『ヤツら』に見つかるリスクを加味しても、エンジンを掛け、少しでも高速に、ここから移動するか……
……と思うと僕はバイクのエンジンを起動させたい誘惑に駆られる……暗闇をぶっ飛ばして、一気に安全圏まで!
「トットットッ……」と軽快な音を立ててエンジンが始動する……その音に勇気付けられる……ぶっ飛ばして逃げる……
そんな妄想……を数瞬……楽観的な……
セルスイッチに親指が掛かる。
……押ッ……
……。。。……
……僕は押さなかった……
雑音に気付いたから……建物の影に『ヤツら』が複数居る。
エンジン音が鳴っていたら、気が付かなかったかもしれない……
周囲は『ヤツら』だらけだ……見えなくても……だから一刻でも早く、エンジン+モーターですっ飛んで!っと安直に考えれば……というのが今までの僕だ。
……まだダメだ、高速で走るならライトの点灯が必須だ、ツルギが観ていたら補足されるかもしれない、なぜか『ヤツら』はこの重低音に導かれる。
この周辺の『ヤツら』がほぼ小学校前とこの交差点付近に集結している。
だから、もしかしたら『ヤツら』を誘導しているツルギは『ヤツら』が密集していない地域を比較的自由に動ける可能性が有る。
ツルギは今、この地域を支配している。
コントロールしている。
だから、あいつに見つかることは『ヤツら』に見つかるよりタチが悪い。
まだまだ、アノ音を出すスピーカーが、どこかに隠されて居ないとは限らないからだ。
『ヤツら』はツルギの軍隊だ。
一兵卒に見つかっても、ソイツを殺れば良いが、大将に見つかれば、兵隊全員に伝達され抹殺される。
「コントロールするという真の意味を知る事だ」
陳師傅が言っていた。
「なぁ、トウマ、拳が当たらなければ、その打撃は失敗といえるのか?」陳師傅は僕を観る。
「えっ、そりゃ無駄な打撃なんじゃ?」僕は肩をすくめる……
だって当たらなかったんだもん……
そうでしょ……
そう思う。
いきなり……
陳師傅、見え見え左のジャブを数発。
僕、スウェーで躱す。
陳師傅、右拳でストレートのフェイント。
僕、ジャブとストレートフェイントで陳師傅に間合いを詰められる。
陳師傅、左ロングフック。
僕、スウェーで足りないので、
左後方へ余裕を持ってバックステップ。
僕、「ドンッ」背中に何かが当たる。
背中に陳師傅の店の壁、左側には隣の家のフェンス、ここは角……
陳師傅、斜め右前にステップ、僕のバックステップ分の間合いを帳消し、
同時に、左前蹴りのモーション……
僕、左に逃げたいけどフェンスで逃げれない、前蹴りだから、身体1つ動けば蹴りを避けれると、身体を半身にして左に避ける。
もう、既に眼の前の打撃を避ける事しか頭に無い……
陳師傅、半身で亀の様に固まった僕を見て、上げた左脚をすんなり下ろしたら否や、右脚で僕に飛び込んで、ここからは見えなかった。
多分……こうだ……
右拳で僕の顎を抜き、
右肘で僕の鳩尾を突き、
背中で僕の身体に体当たり、
おそらく、これが一連の動作
僕、
顎が熱くて痛い、
鳩尾が痛くて、呼吸が出来ない、
体当りされたお腹が痛い
店の壁に激突した背中が痛い、
壁とフェンスの隙間に蹲る。
脳内が痛みで支配される。
「今の攻撃で当たらなかった打撃は全部無駄か?」陳師傅は僕の手を取って立たせる。
グローブも防具も着けて、手加減もしてもらっても、まだまだ痛い……けど、立てない訳じゃない。
「……フェイント……ですよね……すみませ……」立ち上がりながら、僕は答える。
「私の質問の答えじゃない……」陳師傅の綺麗な眉が片方上がる。
「……間違ってました?」僕は咳き込みながら答える。
「私は、お前を誘導したんだ、お前の思考を観ている、と言っても良い」陳師傅は僕の背中とお腹に手を当てる。
……仄かに、暖かい様な、痛みが緩和される。
「えっ、超能力?」僕は更に墓穴を掘る。
「ッ……プッ……アハハ……」僕に手を当てながら師傅は笑う、笑うと暖かさが少し弱くなった。
「アハハ、止めてくれ、集中が途切れる」師傅は頭を振る。
「そんな特殊能力は、漫画だけにしておくれ」師傅は真顔に戻ると、
「私は地形効果を最大限発揮する様に、フックと前蹴りの脅しで、角に追い詰め、背中へのダメージを追加する様に、お前に壁を背負わせたんだよ」師傅が両手を僕から離す……もう先程までの痛みが和らいでいる。
「だから、フェイントで僕を追い詰めたんでしょ!」僕はやっぱり間違ってないと思う。
「まぁ、フェイントは相手を誘導する為の手段の一つだ」師傅は「まだトウマには早かったかな」と言いつつ自身の頭を掻いた。
『そうだった、今は判る、今、ツルギは僕をコントロールしているんだ、遠く安全な場所から、僕がバタバタしているのをじっと観ている、そして僕の足跡を監視して、更に僕に不利な対策を練ろうと考えている筈』
『あの陳師傅は、今のツルギだ』
そしてアイツは、陳師傅みたいに、手加減も癒しもしてくれないサイテー野郎なんだ。
だから、ライトを点けてはイケないし、大きなエンジン音も、アイツの索敵の助けに成るだけ。
……僕はまた逃げようとしていた……
セルスイッチを押す、安易な判断……思考を巡らせずに……
……頭の中で浮かぶ、猫背のおっさん先生の横に陳師傅が居て、おっさん先生の頭を指差しケラケラ笑ってる。
師傅の指を煙たそうに、手で跳ね除けるおっさん先生。
ほんの少しだけ呑気な思考。
ほんの少しだけ冷静になる。
そうだ、逃げる事は変わらない。
ツルギと戦い、打ち倒す気持はない。
僕にとっての勝ちはツルギから逃げる事、アイツが歯軋りする程、僕が飄々と逃げおおせる事!これが勝ちだ。
スルスルとモーターで進む、まだ大丈夫、『ヤツら』との距離は、襲撃可能な間合いには程遠い。
大津通……北上する……僕は広い車線に生存の可能性を感じる。
万が一ここで、ゆっくり移動している内に、両側(学校とアーケード)から来る『ヤツら』に挟撃されたとしても、三車線道路を利用して迂回や迎撃が可能な可能性が高い。
道端や、停車した車両の影から、『ヤツら』の身体が動くのを見る……僕に向かいノロノロと近寄って来るの視線の端で感じる。
不完全体が多いのが救い……歩行速度や、最早、歩いているのか?匍匐前進か?
薄暗い前方の軽自動車の運転席側のドアが取れている。
そこから生きていたら二十歳位の男性の顔が覗く。
「ガギギ……ビギッ、ガゴガゴ……ボギンッ……ギーーー」
様々な異音を奏でて、『ヤツら』が軽自動から出てくる。
S・アルビニにプロデュースしてもらっても、ここまで金属音には成らないだろう。
……そして異音の原因が判る。
右胸に大きな鉄管(長さ2M程度)が刺さっている。ソレがメインの楽器だ。
その楽器は、多分軽自動車の前のトラックが落とした鉄管。
それが後方を走る軽自動車の運転手を貫通したんだろう。
軽自動車のフロントガラスには鉄管が通過した穴が空いている。
『ヤツら』が、それなりに重いだろう鉄管を刺したまま更に立ち上がる。
気になる点が有る。それは筋力だ。
かなりの力を加えなければ、身体、シートを貫通した鉄管ごと車から出てくる事など、出来ない気がする。
コイツは、伊賀の屋上で会った、首を切っても動いた、かなり筋力が残っているタイプかも知れない。
警戒すべき『ヤツら』だ。
鉄管が三車線の道路の通行を妨げる様にゆらゆら。
鉄管で約二車線分を塞ぎながら、体格の良い『ヤツら』はこっちへ向かって来る。
手間取れば、後方、学校から追いかける『ヤツら』に追い付かれる、手早く処理したいが、体格と身体の欠損が無い事が僕を躊躇させる。
武器も無い事が僕を心細くさせる。
もう判ってる。『ヤツら』にも様々な種類があるんだ。
もうボロボロで動くだけで精一杯のヤツ、
論理的思考が多少なりとも出来るヤツ、
余り、食欲の無いヤツ、
今回みたいに、鉄管を引き摺り歩ける力を持つヤツ。
「ガリガリガリ……」と鉄管をアスファルトに引き摺りながら、こっちへやってくる。
不規則な動きをしながらも、しっかりと僕を捕捉している。
目覚めは、あの重低音だけど、食料を確認した後は、明らかに、僕を食べに向かって来ている。
『怖いけど、コイツは排除する』僕は決心する。
先程までの後ろ向きの決心じゃない。
この道路を安心して通過する為には、鉄管さんは行動不能にしないと駄目だ。
コイツの鉄管にバイクを引っ掛けでもすれば、車体の破損、最悪スポークに挟まりでもすれば、絶対に走行不能になる。
僕の大事な足が無くなれば、名古屋の探索どころじゃ無く、三重県に帰ることすら命懸けの、大々大冒険になってしまう。
僕はサイドスタンドでバイクを停車する。
まだ、建物側や小学校側からの『ヤツら』到着までには数分……猶予が在る。
時間が無い、自分から鉄管さんと距離を詰める。
『ヤツら』の手足はまだ届かない。
穴が開くほど、観察する……絶対に仕留める。
身長175〜180センチ
体重65〜70キロ
両手、両足 健在
鉄管さんの鉄管は、1/4は身体の全面、3/4は背中から伸びている。背中の鉄管の方が重い為か、背筋が伸びてる。
『ヤツら』にしてはエラく姿勢良く歩く、鉄管さん。
鉄管の先端と自身の両足で三点支持している。
だから、『ヤツら』の割に安定しているんだと思う。
突然、鉄管さんが『ヤツら』に似つかわしく無いスピードで振り返った……
「ブンッ!!!」まだ暗い早朝の大気を切り裂く音。
僕は思わず、最速のダッキング……
その後、尻餅を着いた。
僕の頭が在った場所を鉄管が通過していた。
コイツは鉄管を武器として使用した。
予想外だった……
いや予想の内だ……
『あんな『ヤツら』にこの旅で何度も出会っただろ』僕は自分に言い聞かせる。
鉄管さんが鉄管で路面に円を書きながら、鉄管にブレーキを掛けた。
オマケに肋骨か?背骨なのか?キシキシ、ミシミシ鳴っている……多分、鉄管の慣性力を自身の骨でも減衰している。
ソレを見て、僕は『ゾクッ』とした……
何故なら、自身の次の攻撃を速やかに行う為に、鉄管さんが取っている行動だからだ。
そういう思考を持っているという事。
それが怖い。屋上のアイツと同じだ。
僕は、既に鉄管の射程距離内だった。
だから、直ぐに立ち上がる。
次の手立ては考えてある。
よく見れば、鉄管が刺さった胸元には、辛うじて鉄管の継手が見えていた。本来鉄管から分岐する為のT字型の継手と数センチの配管が付いていた。
つまり、鉄管は真っ直ぐな一本では無く、途中に90度で分岐した短い配管を持つ歪なT字型鉄管だ。
この短い鉄管の所為で、推測だが、鉄管が突き抜ける事無く、鉄管さんの身体に引っ掛かっているんだと思う。
僕の作戦にはお誂え向きだった。
もう一度、鉄管さんが僕に向かって鉄管を振る。
今度は低空飛行、地面スレスレを這う。
師傅曰く得策では無いらしいけど、前方ジャンプして避ける。
前方ジャンプで、鉄管さんとの間合いが詰まる。
そのまま鉄管さんの手が触れないギリギリを通り、鉄管さんの背中に回り込む、そして、まだ回転が止まらない鉄管を掴み、引く。
背中から引っ張られて鉄管さんは蹌踉めく。
思った通りだ。
元々は人体なのだから、上半身に刺さった鉄管を背中から引っ張られれば、重心は不安定に成らざるを得ない。
それでも少し膝を曲げ、重心を落とそうとするのが恐ろしい。
抵抗する意思が感じられる。
普通の『ヤツら』なら、只々引っ張られるままだ。
何が起きているのか?理解すらしないだろう。
だけどコイツは違う。だから怖い。
それでも、この力関係で引っ張るのは比較的に容易だった。
どちらかと言えば、途中で倒れ込んでしまい目的地まで辿り着かない方が困る。
僕の目的地は、反対車線を遮る、中央分離帯に設置された頑丈そうな柵だ。
長年の剪定無く、伸び放題の樹木は柵を半分取り込んだ様に成長している。
その隙間に鉄管を放り込んでやろうと僕は考えた。
長時間の拘束は僕には不要、バイクが安全に通過出来ればそれで良い。
そんな事を考えながら、じわじわ進む。
ようやく射出ポイントまで来ました。
僕は鉄管を一度押す。
「ズチュチュ」という音がして、鉄管さんの内蔵を擦りながら鉄管が少し動いたのが判る。
恐らく、胸で引っ掛かっていた短い鉄管部分も少し飛び出た筈。
「ヤッ!」僕は今度は思いっきり鉄管を引っ張る!
「ガッ!」多分、引っ掛かっていた鉄管が再度、鉄管さんの胸に叩き付けられた音。
「ゴヒュッ」鉄管さんの身体がくの字になり、口から空気が漏れる。
鉄管の先が柵の隙間に滑り込む。
これで良い、もうレールに乗った、僕は更に全力で引っ張る。
鉄管さんは少しの間、後ろに転けない様に後退りしたが、僕の全力の牽引に抵抗できる訳も無く、鉄管に引っ張られる様に倒れた。
鉄管さんは柵を背にして道路に尻をついた。
鉄管さんの正面に回り、立とうと足掻いている、僕は鉄管さんの胸から飛び出した鉄管を思いっ切り蹴り込んだ。
「ボリリッ……」と複数本の骨が同時に折れた音がして、今までつっかえ棒になっていた短い鉄管が体内に入って、見えなくなっていた。
鉄管さんは立ち上がろうと足掻くが、鉄管と柵が梃子に成って、しばらくは立てなさそう。
「これで良し」僕は独り言。
振り返り走り、バイクに戻る。
バイクの更に後方、歩道をずりずり歩く『ヤツら』が見える。
バイクはアイドリングのまま、礼儀正しく待ってくれていた。
現在時刻8:15
まだ5分しか経っていない。
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