第17話 登攀

『ガタン!ダン!』

 何かしらの音がする、僕は少し寝ていたみたい……

 頭はスッキリとした……時間を見る8時を少し回った程度……


 もう夜中で、少しばかりの照明の灯りが引き戸の窓から入ってくる……その灯りを遮る様に人影が通過する……暫くすると、部屋の外側から、数人の人間の声とまたガタゴト音がしてくる。

 休憩室内の灯りはテーブル上のLEDランタンだけだった、僕はランタンの取っ手を掴み外へ出る。

 休憩室の裏に回ると、サクマさんが居た、それ以外にも懐かしい顔があった。

「トウマっ!!」懐かしい顔の30代位の青年が僕を見て目を輝かせる。

「トウジマさん、久しぶり!」僕が彼の元に近寄る。

 トウジマさんは、僕の肩をポンポン叩く、叩く度に白い煙が立つ。

「あっ、悪ぃ、チョークが付いたままだった」トウジマさんは謝り、パンパンと手を叩いてチョークを落とす……「良いっすよ、大丈夫です」僕は気にしない。

 横を見ると、高さ6m幅10m程度の人工壁が休憩室の壁を利用して造られていた……スラブ壁、垂壁、前傾壁、強傾斜壁と徐々に傾斜がキツくなり、ホールドも多種多様なサイズが取り付けられていた。

 ホールドとは、人工の壁に付けられた、壁を登る為の手掛かり足掛かりになる、多様な形をした突起物の事だ、大体ポリエステルかポリウレタンを材料に成形されている。

 トウジマさんはI市に居た時サクマさんとボルダリングをしていた時のメンバーだ……若く、スリムな体型であった事もあり、メキメキと上達し、サクマさんと同じレベルに数年で達していた……その後、コンビナートの再稼働の人材に抜擢され、サクマさん含めた30名弱と共にY市に向かったたのだった。

 それ以来の出会いだった。

 久しぶりのトウジマさんは、相変わらずスリムだが、肩周りと前腕の筋肉が発達して、一回り大きく見えた。

「コイツはもうワシを抜き去って行きおった……」とはサクマさんのお言葉……

「そんなこと無いッス」トウジマさんがサクマさんの方を見て恥ずかしそうに言う、そして、僕を見直して、

「登るか???」と僕に訊く。

「シューズが無いです……」答えると、

「多分俺の履けるんじゃない」トウジマさんの横に居た僕と同身長位の男性が奥から靴を出してきた。

「もう、ソールが大分減ってるけど、まだイケるよ、僕は今から夜間作業だから使ってくれて良いよ」と僕に手渡してくれ、ビニール袋もくれる、そして

「ガンバ!」と言って工場の方に歩いていった。

「ありがとうをございます」僕は彼の背中に言い、靴と靴下を脱ぎ、ビニール袋を履いて、その上からシューズを履く、フラットソールの履き易いベルクロで固定するシューズだった。

 少し、横幅が余ったが、前後は足の指を曲げないと入らず、丁度良い感じだった……久しぶりのボルダリングだ……この歩くのに適さないシューズを履くと懐かしくなる……ジャケットも脱ぎ、トウジマさんに滑り止めのチョークを借りて両手に付ける。

「グレードは?」僕は訊く

「白が5級、そこから1級毎に、黄、グレー、青、赤、緑、紫で2段クラスだよ、4級迄は足自由だ」トウジマさんが答える。

「じゃあ、とりあえず4級からします」僕は答えると、トウジマさんが、「これ、短いから」と言い3と数字が書かれたコースを指差す。

 僕はスターの頭文字Sの字と3と書かれた黄色のテープが貼られたボールドを両手で掴む、流石にこのグレードなら、ホールドはガバ形状だった。

 ガバとは、手の指がしっかり入る程深い溝が掘られた、比較的持ち易いホールドの事だ。

 足自由とは、足のホールド指定は無い為、足は自分の置きやすいどのホールドを使っても良いという事。

 高難度のグレードになれば、足を置けるホールドも指定される。

 取り敢えず、スタート下の大きなホールドに足を置く....スタートだ。

 始まった。

 しかし僕はオブザベするのを忘れていたのを思い出した。

 オブザベとはオブザベーションの略語で、昇る前に事前にチャレンジするコースのホールドを確認して、自身の動きを計画する事だ。

 本来ボルダリングは行き当ばったりで登るものでは無く、事前にホールドをどの様に持ち、身体どう動かすかを考えてから行うスポーツだった。

 久しぶりのボルダリングに僕は基本を忘れていた。

 一手目は、両手で持つには小さいが、片手なら十分に保持できるが、ガバではなくカチのホールドだった。カチとは、ガバとは違い、大抵、指の第一関節程度が掛かる程度の厚み1センチ程度の小さなホールドだ、もっと薄いカチもあるが、コイツはまだまだ指を引っ掛け易く、僕は右手でソイツを指で引っ掛ける……カチは小さく薄いホールドだから掴むなんて持ち方は出来ない、指を引っ掛けて保持する。

 次のホールドを見ると、更に右側上方に、片手用のガバホールドがあった。

『しまった……』と思った。

 僕は今、一手目を右手で保持してしまった……二手目が更に遠く右側上方にあるのは非常に都合が悪かった。

 まぁ、単に僕のオブザベミスなんだが、正解は、一手目は左手で保持して、二手目を右手で保持が正解だ……一手目を右手で保持して、更に遠い右側上方にあるホールドを保持しに行くのは難しい事だ。

 一手目を右手で保持した以上、現状より大きく右側には移動出来ない。

 これが左手なら、当然だが、身体は右側に大きく動かす事が出来る。

 今から何とか修正できないかと考えて、左手で二手目を取ろうとしても逆方向の右側上方には更に遠く先ず届かないし、最終手段で一手目の右手を左手に持ち替えて右手で二手目を取る案も、一手目が小さな薄いカチホールドだから、両手で持ち替える程の大きさでは無いのだ。

 僕の背中側から、「あ~あ……」とサクマさんとトウジマさんのハモった溜め息が聴こえてきた。

 僕は二人の失笑を背に浴びながら、一手目の右手をスタートに戻して、仕切り直し、再度左手を一手目に持って行く、恥ずかしいが仕方無い……そして、左手で保持しながら右側上方向かう為に、右足を少し高いホールドに乗せて、斜め上に足の力で身体を上方に押す。

 二手目のガバホールドを右手で保持する、これが正解の動き……久しぶりなので無駄な動きが多すぎて、また、考えながら登っている為に保持時間が長くなり、既に僕の前腕はパンプしかかって来ている。

 これは約6年間サボった為もあるが……

 三手目はゴールで大きなスローパーホールドだった、スローパーとは、明確な指や手で持てる溝が無く、ツルッとした半球体や台形をした、手で掴んだり指で引っ掛けたりして保持するホールドでは無い、多くの初心者が先ず無理やり持とうとして、腕がパンパンになり保持するのを諦めるといったケースが多いホールドだ。

 コイツは持つのではなく掌全体のフリクション(摩擦)で保持するモノだ。

 僕は足元に大きめの良い足場のホールドを見つけると、そこには左足を置き、身体を安定させる、ここは垂壁だ、つまりイイ足場を見つければ、腕でそれ程力を入れてホールドを保持する必要は無い。

 ソコから、左足に重心を移しながら、左手でスローパーの上部に掌を被せる、ラップという持ち方だ。

 掌全体をスローパーに貼り付けて、摩擦力を最大限に活用する。

 先程言った様に垂壁である以上ガチガチにホールドを持つ必要は無い、そしてラップ持ちをしている際は、腕は出来るだけ伸ばし足を曲げる。

 スローパーにぶら下がる様な体制を取る。

 これが腕に力を入れて持とうとすると、引っ掛かりが無いホールドである以上ズルズルと滑り持てない訳だ。

 そして、ここからが核心部分の様だった。

 ボルダリングはゴールは両手で一定時間保持しないといけない。

 この持つ所の無いスローパーに両手を持って行かないといけない。

 摩擦で留まっているだけの左手とガッツリ持てるガバの右手……けど離すのは右手な訳だ……不安な左手の保持を信じて右手を離さないといけない……ここが核心……

 僕は登っていた頃を思い出してきた……サクマさんの言葉『手が”不安”なら、足で”安心”を創るべきだ……』僕は左足は大きな安心感のあるホールドに置いた、後は右足だ……僕は今よりも少し右上にある、棒状に飛び出たホールドを見つけてソコに右足を置く、単純に置くだけでなく、スローパーの方向に少し足で押す様にする、左足と右足が丁度突っ張った様な体勢をつくる、自然とスローパー側に身体が傾く……右足で押しているから当然なのだが……ゆっくり右手を離し、スローパーへ向かう……両手でスローパーを挟みぶら下がる……何とかゴール出来た……その後は、持ち易いホールドを掴みながら、クッションを引いた地面まで降りてきた。

「オブザベミスです……」僕は恥ずかしかった。

 サクマさんとトウジマさんが拳を突き出す。

 僕は二人の拳に自身の拳を当てる。

「……あらら、大分鈍ったな……」トウジマさんが言う。

「すいません、全然登ってませんでした……」僕は頭を下げる。

「まぁ、勘なんて登ってたら直ぐに戻るさ、保持力もな……」トウジマさんはニコニコしている……僕と登れるのが何はともなく嬉しい様だった。

 サクマさんが僕の左手を掴む。

「お前、リスト痛めてないか?」掴んだ僕の腕を診ながら言う。

「……あっ、はい、少し捻ったみたいで……けど、全然大丈夫です」僕は少し焦って早口で答えると、

「そうだろうな、お前一手目のカチを痛めた左手で持つのが嫌だったんだろう、左手の保持がおかしかった……」サクマさんは言うと、

「これをやる……」と言い複雑な形をしたリストバンドみたいなモノを僕に手渡す。

「何ですか……」僕がリストバンドの端をつまみ、まじまじと見る。

「これはな手首を固定するもんだ……」そう言いながら僕の手首を掴んでそのリストバンドを巻く、リストバンドの端は二股に別れたマジックテープになっており、1つは手首に、もう1つは親指を経由して引っ張りながら留める事で、手首を捻る動きが起きない様に固定出来た。

「良いですねコレ」僕が感心する。

「痛みが無くなるまで使え」と言い、サクマさんは、傾斜壁にある緑のテープが貼ったコースのスタートホールドを持つ。

「トウジマが昨日考えた、このコースなんだが、困ったもんだ……」サクマさんは笑いながら愚痴を言い。身体を浮かせる……一手目は、僕がさっき持った一手目と同じ位のカチだ、ホールドは一緒でも、この傾斜壁に付いている時点で鬼畜だった……それでも難なくサクマさんは右手で保持して、足をこれまた2センチ位の石粒みたいなホールドに置く。

 緑は当然足のホールドも限定されている、だからこんな石粒を使わないといけない……僕なら絶対選ばない足の置き場だ……しかしサクマさんの巧さはこの足捌きだった、僕からしたら支えになら無いこんなホールドでも踏んで登って行く事が出来る……踏んで体重の何割かを相殺して、手の負担を軽減する事が出来た……そして、左上の大きめのバナナみたいな形をした縦型のホールドを左手で掴み、スタートで両手で持っていたホールドに足をのせる....ここからが難所だった。

 次のホールドは右上のポケットというホールドで、名前通りドーナツ型で中央にポケットの様な穴が空いている、穴は指一本分だ……サクマさんはソコに自身の右手中指を差し入れ、一手目の小さなカチに右足をのせた。

 その次は、左側の少し離れた所にあるスローパーホールドだが、上部がスプーンで救いとった様な抉れあるホールドだった……出来ればその抉れの場所を持ちたいところだ……サクマさんは中指を突っ込んだ右手とバナナホールドを持った左手で身体を引き上げる、一本指で身体を引き上げているのが信じられない……当然足で押しているのだろうが、それでもよく見れば、左手のバナナホールドも掴んでいるのでは無く、押していた……そう言うことか、いや、理由がある程度解っても出来るか?こんな事……そう思っている僕の前でサクマさんは左足を左手のバナナホールドに置く、左手をバナナホールドから離し、右手のポケットホールドの外側に添える、一応左方向に押しているらしい……そしてサクマさんは左足に体重を載せていく、下半身だけが、スローパーホールド側に動く、上半身はポケットホールドの方に傾いている……右脚はバランスを取る為に、ホールドは踏まずに伸ばして壁に当てている……所謂、乗り込みという動き(move)だった……もし一本指で体重の殆どを支えられるバカみたいな保持力が有れば乗り込みを使わなくても体重移動が出来るのかも知れないが、そんな事をしなくてもしっかり踏めるホールドで体重の大部分を占める脚や下半身をバナナホールド上に持って行った方が賢明だ。

 因みに乗り込みで踏む際は爪先(トゥ)もあれば、ホールドが大きければ踵(ヒール)でも行う、踵で行う方が、手への負荷は少ないが、安定して踵を置けるホールドを必要とする為、使えるホールドが限定される。

 サクマさんは、左手をスローパーホールドをに伸ばして抉れ部分に手を引っ掛かける……スローパーホールドを左手で、ポケットホールドを右手で持ち、左足はバナナホールドに置いている、右足は相変わらすバランス取りに壁に当てている。

 次はゴールなのだが、スローパーホールドよりかなり上にあるガバホールドだった……距離が曲者だった……左手を出す?右手を出す?僕には解らない……トウジマさんと僕から「ガンバ!ガンバ!」と応援の大声!サクマさんは、少し、考えた後ポケットホールドに右足を載せた……そして、右手中指をホールドから離すと同時に、右足でポケットホールドを蹴った、サクマさんの身体が左手のスローパーホールドを支点にして上がる……反時計回りだ……右手で、ゴールのガバホールドを掴む、足がホールドから離れ左側にエビ剃りになり大きく振れる……それでもゴールのガバホールドと左手のスローパーホールドは離さなかった……サクマさんは、身体の揺れを壁に足を当てて止めると、左手をスローパーホールドから離して、ゴールのガバホールドを掴んだ……完登だった。

 最後は老人とは思えない、瞬発力と動きだった。


 ……サクマさんは、ゴールから左手を離してガッツポーズをする。

 トウジマさんと僕は、拍手してサクマさんが降りてくるのを見守る……しっかりと一番下までホールドを使って降りてきたサクマさんは、「もう年なんだ……こんなハードな課題は止めてくれ……疲れる……」と紅潮した顔でトウジマさんに愚痴る。

「全然、大丈夫じゃないですか!ほぼフラッシュですし……」トウジマさんが拳を出す、サクマさんがそれに拳を当てる……フラッシュとは、課題を1登目で登る事だ……先程も言った様に、ボルダリングは最初に登る前に綿密にオブザベーションをして、登る方法や動きを計算した上で登る……その為何度も実際に登った上で動きを修正してゴールする事と、実際に登らずに頭の中だけで動きを計算してゴールする事は、難易度的にも大きな違いがあった。謂わば、これはサクマさん頭の中の想定の動きが、実際の課題の正解の動きとほぼ同様である為にゴール出来たのだった。

 因みに僕は、最初からホールドを持つ手を間違えたから4級課題ですったもんだする事になった訳だ。


「……凄い」と感嘆しながら、僕も拳を突き出す。

「ゴンッ」僕の拳にサクマさんが拳を当てて、その後僕の手首を持って、自身に少し引き寄せ、僕に話す。

「想像力だ……トウマ……自分の能力の限界と、壁とホールドの特徴を正確に把握している者だけが、正しいオブザベーションが出来る……」サクマさんは続ける……

「自身の能力、筋力・保持力・体幹・技術を過信してもイカンし、信用しなくてもイカン、『己を知る』と云う事だ」

 サクマさんは破顔する。

「ワシは、もう1本指で、身体を引き上げる事は出来なくなった……なら違う方法で登らねばこの課題をゴールできん、これがワシにとっての『己を知る』だな……過去の様に登れると思い、そういう動きを入れたオブザベーションをすれば、この課題をワシはフラッシュ出来んかっただろう……ただ、指の保持力は衰えても、足を使えば何とか成りそうだった、それが今の動きだ……これがワシの勝算な訳だ」サクマさんは僕の手首を離す……手首が熱を持った様に熱い……

「施設長のいつもの小難しい話ですね」トウジマさんが片手をヒラヒラ振りながら、辟易した様に言う。

「なんだ!大事な事だ!お前はいつもバカにしおって……」サクマさんはトウジマさんに向かって、手で払い除ける様な仕草をして「シッシッ……」と言う……

「ハハハ……」トウジマさんは笑い……「冗談すよ」と続ける。

「お前と言うヤツは……」サクマさんは暫く憮然とした顔だったが、仕方無いと納得したのか、トウジマさんから僕に向き返り、「まぁ……あまり難しい事ばかり言ってもしょうがないか……」と独り言の様に僕に言い、「トウマ、無理無い程度に適当にヤレ……」と急に砕けた物言いをする。

「なんスカ、急に……」僕はサクマさん言い方の余りの変わり様に面食らう。

「言葉どうりだよ……適当にヤレ……」サクマさんは、そう言うと、壁面の端に引っ掛けておいたタオルを首に巻き……「先に湯を貰うよ」と言いつつ歩いて行った。

 ……僕は煙に巻かれた様……

 トウジマさんが後ろから言う……

「サクマさんのいつもの台詞だよ……デタラメじゃない『適していて当たりの事』って意味だ、まぁ、今じゃいい加減って意味が主流だよね……」トウジマさんが人差し指を立てて僕に言う。

「それ、一番難しい事じゃないですか!」僕が言うと、

「う~ん、まぁ、施設長の意味って『ずっと全力で無く、手を抜く時は抜いて、上手にヤレ』って感じなんだよな……」トウジマさんが又、掌をヒラヒラ振りながら言う。

「やっぱり、それが一番難しい……」僕は再度言う。

「まぁ、そうだよね……全力出してる時なんて、ミスしても『俺!全力の出してこうなったんだから仕方無い!』みたいに考えるだろ……だって全力投球なんだから、手を抜いてたらもっと酷いミスになったんじゃ無いかって考えるわな……」トウジマさんが続ける。

「けど、ここの設備なんてミスは基本出来ないのさ、ミスしたら大事故……全力の出したからOKなんて言い訳にも成らない、ミスはミスだ……」トウジマさんが急に真顔になる。

「キツいですね……」僕はここで働く人達のプレッシャーを垣間見た気がした。

「トウマだって今まで荒地を渡り歩いたなら、そう感じた事はないか……」トウジマさんは僕に訊く、僕は暫く無言になる……

「……そうだ、思い当たるフシがある、頼れるのは自分だけ、一生懸命頑張っても結果ミスすれば同じ....手を抜いても成功すれば、問題なしだ……」僕は誰ともなしに言う。

「そうだな……だが、努力はしないといけない……成功する可能性を少しでも上げる為、又ミスの可能性を下げる為に……だが、それで必ず成功する訳じゃない……そんな簡単な話じゃない」トウジマさんは、腕を組んで言う、前腕が、動物の前肢の様に見える、ゴツい……細い身体に不釣り合いな程太い前腕....指は第一関節が節くれだち、これでは結婚相手が居ても婚約指輪は嵌めれないだろう。

「努力しても報われるとは限らない、だが報われる可能性を少しでも上げたいのなら、努力するしかない……」僕はトウジマさんの方を向き直る。

「そう……そしてそうならミスした際の対処も考えるだろう『もし、上手くいかなかったら?……』って時が来た際、自分が致命的な状況に成らない様に、備える事が出来きる……工場で云えば”フェイルセーフ”とか言う、信頼性設計だ……」

「フェイルセーフ???信頼性設計???」僕はおうむ返しで訊く。

「もし、人的ミスがあったら、もし部品が壊れたら、そんな様々なミスや故障を必ず起きる事として、それに対応可能な設計に始めからしておく事だ……例えば、お前のバイクだが、エンジンが故障したら大抵どうなる???」トウジマさんはニコッと笑って僕に尋ねる。

「え~と……停まります……」僕は答える。

「それも簡単なフェイルセーフだよ、もしエンジンが故障し、バイクが暴走する様ではとても危険だろ……」トウジマさんは答える。

「そりゃ、そうです……」その通りだが、今一ピンと来ない。

 僕の顔を見てトウジマさんが言う。

「もしお前が『ヤツら』の居るビルの探索をする際に、成功するイメージだけを考えて行動するか?」『あぁ、そうか』頭の中で思い当たる

「今日の庁舎の帰り道、僕は屋上の『ヤツら』の時間稼ぎの為に、扉を施錠しバリケードを崩していた……」

「やってるじゃないか、そうだよ、それがもしもの際の保険となる……そいつをもっと意識して計画しておくんだ」トウジマさんが僕の肩を叩く。

「そうですね、僕やってました……フェイルセーフ……」僕は微笑する。

「トウマ、荒地から戻ってきたら、又、壁に来い!お前用の課題を要しておいてやる、明日は早いんだろ、もう寝ろよ」トウジマさんが「ガハハ」と笑い僕に無駄に大きな声で言う。

 僕はクライミングシューズを脱ぎ、

「わかりましたよ、楽しみにしておきます、あと靴、あの人に渡してください、『僕が感謝していた』って伝えといてください」

「まぁ、適当にヤレ」トウジマさんがサクマさんの口癖を言う。

「……ハハッ、適当にしますよ、いい加減にはしません、お休みなさい」僕はトウジマさんにそう言い、休憩室に戻る。

 トウジマさんは壁に戻って行った。

 僕は休憩室の椅子に座る。

 今日は本当に疲れた……服を脱ごうとしたら……

「トウマ、忘れてた……」外からトウジマさんの声……

「どうかしました??」僕が引き戸を開ける。

「湯だよ、あとタオル、荒地に行けば湯で拭けんだろう、久しぶりのボルダリングもしたし、コレ使えよ」トウジマさんがお湯の入った青いバケツを突き出す。

「ありがとうです、嬉しいです、使わせて貰います」僕はバケツを受け取る。

「それじゃな、明日はここを出ていく前にサクマさん所へ寄れよ」トウジマさんはそう言い手をフリフリして、闇夜に歩いて行った。


 ……湯気が出ているバケツを床に置いて、タオルを浸す……服を脱いで、タオルを絞る……暖かいタオルで顔を拭く、髪の毛も拭く……気持ちいい、身体を一通り拭く、肌着を着て、椅子に座り足の裏を揉みながら拭く、クライミングシューズを久しぶりに履いた為に、足の指が痛かった……揉んで拭いている内に、痛みが緩和される……


 最後に、タオルをお湯で洗い硬く絞り、休憩室の外の側溝に湯を捨てる……

 布団の上に浴衣が置いてあった……日本の古来の着物……こんなの着たことが無かった……帯をどうしたら良いのだろう?

 取り敢えず、浴衣に袖を通して、身体の前面で重ねる……帯を持って腰に巻く、臍の辺りで蝶々結びにした。

 まぁ、寝るだけだし……これで良いかも……

 時間は10時前……

 バックパックから歯ブラシセットを取り出し、外のコン柱の蛇口の水を手で受けて、うがいをしたら歯を磨いた。


 室内に戻り、小型PCをusb充電🔌しておく。

 起きるタイマーはいつもどうり7時だ……馬歩をしないといけない……陳師傅との約束。

 敷いてくれたお布団に入る……掛け布団から太陽の匂いがする……

 嗅ぐと眠気に襲われる。


 僕はあっという間に深い眠りに落ちていった。



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