第15話 始

「じゃあ、僕も行くよ……」診察室のドアを明けながら言う。

「あぁ、トウマ気を付けろよ……必ず帰ってこい……多分沢山話すことが有るだろう……」彼は、ウツキのカルテを睨みながら言った。

「わかったよ……」

 僕はドアを閉めて診察室を後にしようとしたら、代わりに陳師傅が飛び込んできた…⁉️僕は診察室に押し戻される……

「おい、ハゲ男爵!昼メシ忘れるんじゃない……あっ、トウマ何で居る……」陳師傅は僕を見て急にドギマギした。

「すいませーん、ウツキさんの事で一杯で、昼飯の事を忘れていました……届けてくれたんですか?」おっさん先生は謝罪する……

「……いや、丁度、近くに出前が有ったから次いでだよ、次いで……」陳師傅はそう言いながら、両手に持った紙袋の内の片方を渡す。

「ありがとう、陳さん、それは……」おっさん先生は陳師傅のもう片方に握られた紙袋を見て言う。

「……えっ、( ̄□ ̄;)!!、これは、そう、トウマの分」陳師傅は二人の会話に入れなくて隅で立っていた僕に紙袋を押し付ける。

「じゃあな……ちゃんと食うんだよ!」言う否や、彼女は二人の反応も見ずに出ていこうとする。

「途中で、ウツキさんに会いませんでしたか???」出ていく陳師傅をおっさん先生は呼び止める。

「なっ、えっっと……どんな子だっけ……」

「…!?…いや、だから、小さい、毛布を被った、色白の痩せた女の子です……さっき言いましたよね」おっさん先生は確認する。

「あっ……病院の外ですれ違ったかも……」陳師傅は思い出し、顔色が変わった……そして、

「私は帰る……ハゲ二郎、大丈夫だ、私に任せておけ……」と言い扉を「バタン」と閉めて、走り出ていった。

「陳さん、大丈夫かよ……」おっさん先生は、呆れ顔で僕を見る……

「まぁ、面倒見は良い人だから……」僕は師傅をフォローすると、押し付けられた紙袋を開ける、肉の匂いと、湯気が立ち上る。

 陳師傅の肉まんだった。

 匂いで分かる。

 僕は知らず知らずの間に唾を飲み込んでいた……大好きなんだ師傅の肉まん。

「僕の分なんだよね……」僕が訊く……

「そうなんだろ、気にするな……しかし何なんだろうな……」と言って、『どうでもいいや』言わんばかりに顔の前で手をフリフリして、ウツキさんのカルテに視線を戻す。

「あぁ、そうなの……じゃあ頂き!」僕は、早速、袋から肉まんを取り出しかぶりついた。温かい肉汁が口の中に溢れる。

「....うまそうに食うな」半ば呆れ顔でおっさん先生がこっちを見た。

「……お、美味し、いよ……」熱さと旨さが口一杯で満足に喋れない……口の中の皮が火傷で捲れそうだがそんな事は言っていられない旨さだ……

「まぁ、そりゃ良かったな……確かにコイツは絶品だからな」彼は満足げな顔で、

「今度、陳さんに伝えておくよ」と言った。

 何だか元気が湧いてきて

「そしたら、出掛けるよ」と彼に言いながら僕は診察室を出た。


 待合室には数名の患者がもう順番を待っていた。

 見知った顔を見付けて立ち止まる。

「おじい、久しぶり」話しかける

「ほぉ、トウマかいな……」顔を上げて、僕を見て笑う

 ……セキじいさんだ、僕は『おじい』と呼ぶ、

 ウチの家の道を挟んで斜め前に住む60歳過ぎの老人だ。

 母さんがいた頃から、色々世話になっていた人だ。

 彼も外からI市に来た人間で僕たちより前に住んでいた腕の良い大工で、時間が空いたら僕に『PK』を教えてくれている人だ。

「今日はどうしたの?いつもの腰痛?」僕は訊く

「あぁ、まぁそんなとこさ……この位の歳になれば、どこかしら痛んでくるもんさ」おじいは適当な返事をして、「へへへっ」と日焼けした人懐っこい笑みを返す。

「また行くのいかい?」おじいは続けて言う。

「うん、今度はY市に寄ってからA県の方へ行く」説明する。

「そうかい、そりゃ今までにない長旅になるな……」おじいは珍しく真顔で僕を観る。

「そうなんだ、初めてだよこんなのは、食料も現地調達が必要になるだろうし……それに冬だし、先ずはA県での活動拠点を探さないと……」

「そうじゃ、A県ではお前が安心して休息を取れる場所が必要じゃな」おじいは僕の意見に賛同すると……

「大したことじゃ無いが聞いておくれ……」と前置きして話す。

「お前はこれから行った事の無い荒地を探索すわな、そん時な、自分の1本筋の通った性根っつモンを持たんとイカン、お前さんが今までの体験した事の無い出来事に出会った時にゃ、性根が据わっとるかどうかで、お前さんの生き死にが決まる……覚悟ちゅうても言い、お前さんはここから出たらホンマに独りじゃ、回りはココみたいに優しゅうない、自然ちゅうもんは元来厳しいモンなんじゃ……」おじいがこんな話をしたのを僕は 初めて聞いた……

「陳師傅にも似た様な事言われたよ」僕が言うと

「お陳さんが……ははぁ~アレは男が6割のおなごよ……女傑よ……さっきのあれは、もうヤクザの出入りかと思うたわ」セキじいさんは顎を片手で揉みながら言う。

『……いくら男が6割のおなごでも”おちんさん”は駄目だろ……』僕は心の中でツッコミを入れる。

「ところでお前、唇テカってるが、紅でも引いたのか……」おじいは気持ち悪そうな顔で僕を見る。

「えっ!……そんなわけ無いじゃん……ん、あぁ、さっきの肉まん食べたから、そう、陳師傅の肉まん……」僕は手で口を拭う....

「なんじゃ、食い意地張っとっただけかい……」おじいは暫く聞いて損した風な表情でいたが……

「まぁ、それならヨシじゃ!思いっきり行ってこい!」おじいは何に納得したのか、問題解決とでも言う様に、カラカラ笑って僕の背を叩く。

 プロテクタで全然痛くないけど……

「あぁ、何だかよく分からないけど、良いモノ見付けて帰ってくるよ、楽しみにしていて……」僕は手を振り病院を後にした。

 正面玄関前に停めたバイクに跨がり、クラッチを握りセルスイッチを押す、一発でエンジンは始動し、アイドリングが安定する。スパッとクラッチを繋げて、僕はI市の門へ向かう、無くした時間を取り戻そうと、M H 国道を利用しようかとも考えたが、焦りは禁物と思い直し地道で行く事にした。なんせ手首も捻ってるんだ、無理をしてはイケない。

 門前まで来て、門横にヨシタカがパイプ椅子に座っているのが見える。

「よう、行くのか」ヨシタカがいつもの棒で地面を引っ掻きながら言う、

「うん、ヨシタカも気を付けて、さっきの『ヤツら』が来るかもしれないよ」僕は警告すると、

「まぁ、適当に頑張る……ヤバい時はヤング班長に助けて貰う」との呑気な返事。

 相変わらずのヨシタカに少しホッとする、実は彼は僕より冷静なのかも知れないと思う。

 ヨシタカに手を振りバイクを走らせる、名阪国道を使用しない四日市市のコンビナートまでの経路はこうだ。


 ▪️1

 伊賀市の門を出て真っ直ぐ北に向かう、O町の交差点で右(北東)へ曲がり、ほぼ1本道の道を走る、そして山中の道を走りI市から出る、

 ▪️2

 そして昔宿場町だった関町を通過してロウソクで有名な亀山市を通りすぎ、サーキットで有名な鈴鹿市入る。

 ▪️3

 更に北東に進み四日市市に入る、それから湾岸沿いの道に出れば、コンビナートまでは直ぐだ。


 コンビナートは昔、C石油の四日市市製油所の一部分を再稼働している。


 時間は昼過ぎ1時を少し過ぎた位、それ程痛んでいない道路は快適に走れた……この辺りは謂わば、パンデミック前は、道路を挟んで飲食店やホームセンター、マーケットが点在しており、パンデミック以後、材料、機器等を得る為に、伊賀市の住民がよく漁りに来ていたので、僕も良く知った場所だった……問題なく通過して、街道に入る、ここからは僕が知らない道だ……少しの間横に鉄道を見ながら、民家が少ない山中の道を走る……木で暗く曲がりくねっている為、咄嗟に『ヤツら』が飛び出してこないか気を付ける、おまけに、朝方の雨がまだ乾いていなかった……木陰の為だ……木の葉も落ちているし……僕は先程の失態を繰り返さぬよう慎重に走る。

 暫くすると、道の左右に廃屋が点在して、昔は集落があった事を思わせる……バイクの速度を落とし、何か無いか探す。

 集落の中程、あばら屋の軒先に人体が1体首を吊られて風に揺れていた……こと切れているように見える……手足は腐敗しかかっており、行き場を無くした血液は顔面を黒く染め……残りは重力に従って足や手に溜まっている……服は全てが腐り落ち……裸になっている。

 老年の男性だった。

 吊られた体勢で相当長期間経っていると感じられた。

 人で吊られたのか。

『ヤツら』で吊られたのか。

 バイクは極低速で進む……死体は微動だにしない。


 荒地では……いつもの風景……


 そのまま通過しようとスロットルを捻る。


 ……さぁ、先を急ごう……僕は亀山市に向けて走り出した。

 しばらく走り続けると、二車線の幹線道路に合流し宿場町跡の有る関町を抜けロウソクで有名な亀山市に到着する。


 道路沿いの建物に人影や資源が無いか探す。

 人は無し、ゴーストタウンに住むのは『ヤツら』ばかりだ……と言って見たものの、『ヤツら』も見当たらない……脇道に入って、ウロウロすれば見つかるのだろうが、四日市市に行く目的がある以上、あまり寄り道したくなかった。

 そうでなくても、庁舎の件で予定から大幅に遅れているのだから……


 ……鈴鹿市に入った、パンデミック前のバイク好きなら、泣いて喜びそうな程バイクの販売店が軒を連ねている、今は看板も汚れ、展示しているバイクも大半が壊れたり、倒れたりしていた。


 興味に駆られ、歩道に停車して、白い外壁に真っ赤だったであろう看板が付けられた、イタリアンバイクの店を覗く。

 おっさん先生との会話で、気になっていたメーカーの販売店だった……D社だ……MG社より余程有名なメーカーで、エンジンはV-twinなのは同じだが横置きとなり、チェーン駆動となる……世に多くあるV-twinの構成だ……また、D社はV-twinとは言わず、L-twinと言う、これは、エンジンが前方に傾いて配置されており、車体を横から見た際に、エンジンのシリンダーがアルファベットのLの字に見える事から言われる。

 本来、横置きV-twinエンジンはシリンダーが前後に配置される、そしてエンジンの冷却方法が空冷の場合、走行時に前のシリンダーは走行風で冷却されるのだが、後ろのシリンダーは前のシリンダーが邪魔になり走行風が十分に当たらず、冷却に差が出てしまう、この難点を改善する為に考えられた配置らしい。

 まぁ、それ以外にも、重量物であるシリンダーの1つが車体下部にレイアウトされることで、運動性の向上も有るらしい……図で書くとこうなる……


 横置きV-twinエンジンを車体横から見た図

 ・→→ 走行風向き 

 ・\/ or _| エンジンシリンダーのレイアウト


 ▪️通常のV-twin

 →→  \/ 

 ※風は前方のシリンダーは冷却するが、後方のシリンダーは前のシリンダーが邪魔になり冷却不十分。


 ▪️D社のL-twin

 →→  _| 

 ※前方のシリンダーは傾いて配置されている為、後方のシリンダーに走行風が十分当たることになる。


 ……単気筒の僕のバイクには関係の無い話だ……


 因みにMG社も同じく空冷の為、走行風で冷却もするのだが、エンジンが縦置きの為、 同じV-twinでもシリンダーは車体に対して前後に配置される訳でなく左右に配置される。イメージが湧きにくいと思うが……


 横置きV-twinは車体を横から見たらV(L)の字になっており、

 縦書きV-twinは車体を前(後)から見たらVの字になっている。


 ……MG社のエンジンレイアウトは空冷という意味では利にかなっており、走行風は車体から飛び出したシリンダーに均等に当たることになる……これはBM社の水平対向エンジンのバイクについても同様の事が言える。


 おっさん先生との雑談を思い出しながら……中を見回す……もう形を留めている車体は無かった、あるものは、バッテリーを外され、ライトが外され、タイヤが付いている車体は半分しか無かった……タイヤが有ったとしても、これ程の年数を放置していたため硬化が酷かった……使い物にならない。

 受け付けには、白骨化した人体が転がっている……残された衣服の残骸に無理やり破いた形跡がある……多分、『ヤツら』に取り囲まれて食われた人だろう……


 売場を抜けて、作業場の方を目指す。

 せめて何か役に立つ物はないかとLEDライトを照らし作業場に入る。

 整備を待っていた車両が数台横倒しになっていた中に、1台奇跡的に整備スタンドで固定され、綺麗に残っている車体があった……とても古い……僕の知らない車種、V-twinエンジンではなく単気筒エンジンでブロックタイヤを履いている……フェンダーとの隙間はオンロード車より広く、ダートを走っても泥が詰まる事は無さそうだった……黄色いタンクにシルバーの飾りが付いている……陽気でライトなデザインに僕は一目で気に入った……リアのツインサスがクラシックを感じさせる……モノサスがまだ、無かった頃のバイクなんだろうか??? 小型PCで写真を撮っておく……おっさん先生に見せてみよう、そして、これ以上痛まないように、作業棚に置いてある、ブルーシートを掛けておき、ブルーシートが飛ばないように、タイヤを重石が代わりに載せておいた……いつか、取りに来れたら良いな、と思いつつ、バイク店を後にする。


 ……それにしても、『ヤツら』に出会わない、まぁ、その方がスムーズに進めて良いんだけど、少し肩透かしを食らった気分……


 鈴鹿市内をしばらく走り、ようやく四日市市に入った、時刻は夕方5時前だ、もう少しでC石油のY市製油所に到着できる。

 だが、すでに日が落ちはじめており、僕は夜になるまでにコンビナートに到着したいと道を急いだ……目的の国道に着いた、左折して北上する、後はほぼ一本道でY市製油所に辿り着くはずだ。

 元々が、交通量の多いこの国道は整備が行き届いており、今でも、比較的舗装の状態が良かった……所々に建物の残骸や、事故や故障で停車した車両、看板の倒壊で道が狭くなったりしているが、進行速度は鈍くなるが、このバイクで走るには苦痛を伴わない、どちらかと言えば、簡単な障害物競争の様で、僕には丁度良い訓練と操縦の楽しさを味わえる……タイヤをパンクさせる釘や、破片に気を付けながら進む、大きな看板の骨組みが道を塞いでいるのを、フロントアップでクリアする、しばらくすると右側に紅白の煙突が見えてくる。

 日没は近くもう周囲は薄暗い、もう6時になろうとしている……到着した……四日市市製油所だった。

 道に面した守衛室にはもう誰もいない……スライド式の門扉が施錠されている。

 いつも携帯している鍵で開ける……かなり重い、バイクを通す幅を開けるだけでも、一苦労だ……バイクを通す。「はぁはぁ、(;゚∀゚)=3」息があがる。これは門扉が重いだけでなく、扉下部の車輪の整備が出来ていない為、移動時の抵抗が大きくなっている為だろう……門扉を閉じ施錠する……疲れた……


 ……振り返り、工場を見る。

 1.000.000平方メートルを越える敷地面積は手前には機械の内臓の様な配管を取り回した建築物が並び一瞬異様な光景だ。

 奥には円筒形のタンクが所狭しと並んでいる。

 パンデミック前は夜間煌々と照らされていた照明は今や、作業員が入っている製油所の1区画を照らしているだけで、殆どが薄明かりの中、うっすらとそびえ立っている事も更なる怖さを煽る。


 バイクで広い構内を走り唯一照明の付いている製油所の事務所に向かう……作業員の皆が居る筈だ。

 バイクをお客様駐車場に停車して小さな灯りの灯る事務所の扉を開けた。









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