22世紀の排卵着床
小島健次
22世紀の排卵着床
膣内をうりうりと進んでいると、隣の精子が話しているのが聞こえた。
「着床したくねぇ...」
なんと恥知らずで背徳的な発言であろうか。よもや我々の存在意義を否定しようとは。このような輩には一言言ってやらねばなるまいと、私は声をあげた。
「おい貴様、我らの任務を忘れたか。我らはこの身に命を授かった以上、というかそもそも我々が命を作るのだからこそ、必ずや子宮内にて卵子の中に入り込まねばならんのだぞ。その責任を自ら放棄するとは何事だ。」
すると奴はこう答えた。
「しかしですねえ、最近のあちら側ときたらひどいもんですよ。若者の自殺率は上昇、貧富の差は広がるばかり、おまけに富も名誉も手に入れてもそれに価値を感じられるかどうかはあなた次第、ときたもんですから。”生まれたくない”というシグナルを本体に送ってやるのも我々の役目じゃないんでしょうかねえ。」
と奴は言った。まるで見てきたかのような口ぶりじゃないか。
「そうはいっても君、我々にそのような機構は備わっていないだろう。」
私がそういうと奴はやれやれという風に間を空けた。
「嫌ですねえ、アンタもしかして旧世代のナノマシン搭載派ですか?最近じゃあ受精卵の段階から母体にキャンセル申請シグナルを行うことなんて珍しくもありませんよ。まあそれでも母親が産みたいと言って強制排出のパターンもあるみたいですけれど、確か先日そのケースで初の裁判が開かれてたみたいですよ。”生まれない権利”を巡っての司法争いということで、メディアにも注目されているみたいです。」
世も末である。自我を持った細胞により生物はジャングルとなった。
「外の世界を見たこともない奴が何を抜かすか。我々の生物的機能を果たそうともしないなんて、不自然じゃないか!!」
私の怒りすらナノマシンにエミュレートされたものではある。しかし怒りながらそんなことを考える奴はいない。
「精子が互いに会話してる時点で十分不自然なんですけどね。」
そういって奴はまたやれやれという風に間を空けた。我々は子宮口の近くまで来ていた。こやつを引っ張っていこうかどうか考えあぐねていると、奴が突然何かに反応した。何やら興奮している。
「やったあ!」
「どうかしたのか?」
「たった今、卵子側からシグナルが届きました。先に到着した舞台と着床して間も無く、卵子川がクーリング・オフを申請したみたいです。精子側はそれを受理。今回の交尾はなかったことになりました。」
後にはもう誰にも発見されることのない沼のような沈黙が残った。そうして我々の命は地獄のような色をした壁に吸い込まれて消滅した。
22世紀の排卵着床 小島健次 @nuanjunuan
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