目覚めたら、空

西ノ宮あいこ

ゆめ

 怖い夢を見た。

 あなたが死んでしまった世界の夢。


 けれど、私の隣に変わらずあなたがいる。

「おはよう」って言って、いつものようにキスをして微笑んでくれる。

 触れた唇がひんやりと冷たい。

 家に帰れば、変わらずあなたがいてくれる。

「おかえり」って言って、抱き締めて笑ってくれる。

 私を包む身体がひんやりと冷たい。

 この景色すべて、いつもと変わらない。

 けれど、あなたは私にしか見えない存在になってしまった。



「これじゃあ、君を幸せにできないね」


 あなたはそう言って、私を強く抱き締めた。


「ううん。一緒にいられるだけで幸せよ」


 そう言って、私の体温であなたを温めた。

 あなたから零れた涙は、私の肩にぽたぽたと落ちて、冷たく湿っていく。

 私も気づけば泣いていた。

 私から零れた涙は、あなたの肩にぽたぽたと落ちて、温かく湿っていく。



「私、あなたのところに行こうかな」

「ダメだよ。君がおばあちゃんになるまで、ずっと待ってるよ」

「待てない。早く一緒になりたい。あなたのお嫁さんになりたい」

「ごめん。この指輪は、もう意味がないんだ」


 あなたは笑って言った。

 けれど、どこか寂しそうだった。

 相変わらず、嘘が下手なんだから。

 私は唇を尖らせて、あなたを見つめた。


「じゃあ、あなたと同じところに行けば、指輪の意味は変わらないでしょ」


 あなたは、困った顔をして私を見た。


「もうあの頃の僕じゃないんだ。早く指輪なんか捨てて、僕のこと忘れてよ」


 そう言って笑うあなたの瞳から、涙が溢れていた。


「うそつき。じゃあ、私に新しい彼氏ができて、この部屋連れてきたらどうするの?」

「それは……見ないふりする。押入れに隠れて耳塞いでる」

「そんなの絶対無理。あなた、嫉妬して出てきちゃうわ」

「そうかもしれない。やっぱ無理だな。じゃあ、僕がいなくなるまで、彼氏作らないでね」

「安心して。私の彼氏はあなただけよ。私、不器用だから二股とか無理よ」

「ほんと、君は不器用だよね。僕のシャツをアイロン掛けしたら焦がしちゃうし、カレーを作ればスープみたいになっちゃうし。でも、この間食べたカレーは美味しかったな。ぶきっちょも治るもんだね」


 そう言って、あなたは私の隣で微笑んだ。



 あなたにとって、最後のカレーになっちゃったね。

 ふいに、あの日の夜を思い出した。

 あなたったら、美味しそうに食べて「これから毎日、君の作ったご飯を食べられると思うと、楽しみだよ」って、言ってたよね。

 私は「嬉しい。じゃあ、毎日褒めてね」って、あなたに言った。


 その後、明日のデートの予定を立てたんだよね。

 遠くに行きたい。

 きれいな空気が吸いたいの。

 そんなこと、言わなきゃよかった。

 いつものように電車に乗って、近場でデートすればよかった。


「最近、忙しかったもんね。僕も久しぶりにきれいな空気が吸いたいなって、思ってたところなんだ」


 あなただって疲れてたのに、わがまま言わなきゃよかった。




『先ほど、静岡県伊豆市で大型トラックと乗用車の追突事故が発生しました。その事故で、1人は重傷、1人は意識不明の重体、1人が死亡しました。警察によると、事故当時、大雨の影響で路面が滑りやすくなっていたため、大型トラックがスリップしてハンドル操作を誤り、後ろを走っていた乗用車に追突したとみられています。この事故で、大型トラックを運転していた男性は重傷、乗用車の助手席にいた女性は意識不明の重体、乗用車を運転していた男性は死亡しました』




「もうすぐ結婚式だったのに、気の毒だわ」

「涼介くん、即死だったんだって」

「あんなに大きなトラック、避けきれないわよ」

「美緒ちゃんね、この間ウチに来てすごく嬉しそうに【やっと逢えたの。ずっと一緒にいたいと思える人に】って言ってたのよ」



 私のわがままが、あなたを奪ってしまった。

 私だけ、指輪をしても意味ないのに。

 あなたの左手の薬指にも、私のと同じのが光るはずだった。なのに。



「ねえ、指きりしてもいい?」


 私がそう言うと、あなたは少し戸惑ったような顔をして「うん。いいよ」と言った。

 互いの小指を絡ませて、私はあなたを見つめて言った。


「指きりげんまん、嘘ついたら私のこと連れてって。指きった」

「ちょっと、勝手に変なこと言わないでよ。そんなの、指きれない」

「ダメ。もう指きっちゃった」


 私は、困った顔をしたあなたにキスをした。

 そして、あなたに微笑んで言った。


「あなたったら、嘘つくとすぐ顔に出るんだから。ぶきっちょは死んでも治らないのね」

「君が急に変なこと言うからだよ。そんなこと言われたら、ずるいよ」

「ふふふ。これからも一緒だよ」

「うん。君が望むまで、僕はずっと一緒にいるよ」


 そして、見つめ合い、誓いのキスをした。



 目覚めたら、隣にあなたがいた。

 同じ体温のあなたが、私の隣で微笑んでいた。

「おはよう」って言って、いつものようにキスをして微笑んでくれた。

 触れた唇の感触が嬉しかった。

 ああ、おんなじだ。

 よかった、夢だったんだ。

 私は嬉しくて、あなたに抱きついた。


「あのね、私怖い夢を見たの。あなたが死んじゃった夢」

「あっ、僕も同じ夢を見た。君が死んじゃった夢」

「すごく怖かった。でも、よかった。起きたら、あなたがいた」

「僕もよかった。起きたら、君が眠ってた」

「ねえ、今日のドライブどこまで行く?」

「そうだな、伊豆あたりまで行こうか」

「付き合って初めて行った場所だね」


 そう言うと、あなたは微笑んで私をギュッと抱き締めた。



 ドレッサーの椅子に座り、鏡を見てイヤリングを付けていると、あなたは後ろから私を抱き締めた。


「美緒」

「なに?」


 戸惑ったまま答えると、鏡越しにあなたは言った。


「ずっと一緒にいようね」


 私を抱き締めるあなたの腕は、強く身体に絡みついていた。


「もちろん」


 そう言うと、鏡の中のあなたは笑った。




『昨夜午後7時35分ごろ、静岡県伊豆市で大型トラックと乗用車の追突事故が発生しました。その事故で、大型トラックを運転していた男性は重傷、後ろを走っていた乗用車に乗っていた男女2人が死亡しました』




 あなたと私。

 これからも、ずっと一緒だよ。



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