第213話 東端の魔王④
全員の準備が整い、信濃は結界に向けて両手をかざす。
一度戦って封印した相手とは言え、仲間を喪った悲しみと苦しみを思い出し、背後に控えている現在の仲間達の身の危険を案じてか、彼女頬に汗が伝って流れ落ちた。
「わっ!!」
「ぎゃああああああっ!!?・・・って何すんねんドアホ!ちびるかと思ったやないか!!」
信濃が結界と睨めっこをしていると、隣に立っていた鞍馬は彼女の耳元で大声を出して驚かせる。
信濃はその声に驚き、耳と尻尾をピンと立てて一瞬硬調し、我に返って扇で殴りつけたが、鞍馬に難なく回避されてバランスを崩し地面に転がった。
「お嬢、緊張すんのは分かりますけど、早よせんといつまで経っても確認出来ませんて・・・」
「わーっとるわい、深呼吸しとっただけや!!
ほんま、次同じ事やらかしたら自分の羽全部毟ったるからな!!」
怒鳴りながら立ち上がった信濃は、着物の汚れを払い落として再度結界に両手をかざした。
集中した信濃が皆に聞き取れぬ程小さな声で何やら呟くと、目の前の巨大な結界にひびが入り音を立てて砕けた。
結界が無くなり、閉じ込められていた中の空気が溢れ出す様に周囲に拡散していく。
「酷い臭いやな・・・ここが元通りになるんにどんだけの時間が掛かるか分かったもんやないな」
「少なくとも、この腐臭や残留した瘴気が消えるまでは自分等も人間も近付かん方が良えかと思いますわ・・・。
おい、戻ったら周囲の村や町の役人にも人間が立ち入らんよう伝えとってくれ」
「へい」
鞍馬は信濃の呟きに答え、近くに居た兵に指示を出して歩き出した。
「こっからは自分が先に・・・お嬢は安全が確認出来るまでは他の者達の間をついて来てくれたら良え」
「分かった・・・絶対に無理だけはすなよ?」
「分かってますって・・・何の為にお嬢から順風耳を貰た思っとるんです?
よしお前等、お嬢を中心に陣形組んで付いて来い・・・言うとくが絶対に術切らすなよ、この泥は奴の瘴気が溶け込んどるかもしれんから、直接踏まん方が良えで」
鞍馬は皆に忠告し、翼を羽ばたかせてとゆっくりと進みだす・・・それに続くように他の者達も翼がある者は飛び、また翼を持たぬ者は術や魔道具で宙に浮いて慎重に後を追った。
皆が進み出してからしばらく経ち、ヘドロの海と化していたはずの土地の中に背の高い石垣が見えて来たため、鞍馬は皆に合図を出して進行を止めた。
「ちょいと様子見て来ますわ・・・お嬢は、自分が戻って来るまで待機しとって下さい」
「おう、油断したらあかんで!何か合ったら直ぐ戻って来なあかんからな!」
「へいへい、ほな行ってきますわ」
鞍馬は高く飛び上がり、石垣の上にある人が数人入れそうな程に大きな祠に近づき周囲を確認する。
「やっぱ祠は壊れてへんな・・・しかも、こんだけ近付いとんのに、あの不気味な歯が鳴る音も聞こえてこんし、ほんまに消えてもうたんやろか?
まあ、自分が考えとってもしゃーないか、お嬢に見て貰わん事には何とも言えんしな」
鞍馬は祠から離れて信濃の元に戻る。
ソワソワと心配そうにしていた信濃は、鞍馬が戻って来るのを見て安心し、笑顔になった。
「おお、無事やったか!いくら自分がクソみたいな副官でも、ちゃんと心配したる優しいウチって良え主様やろ?」
「クソみたい言うとる時点で優しいも何も無いんちゃいますか?どんだけ自分が苦労してお嬢に支えてる思っとんねん・・・ほんま、照れ隠しもそこまで来ると可愛げが無いわ」
「ま、自分も可愛げ無いのは昔からやけどな!で、どうやった?やっぱ居らんか?」
互いに憎まれ口を叩き苦笑していた信濃は、鞍馬に尋ねた。
鞍馬は一度祠を見ると、信濃を振り返って首を振った。
「祠は無事やったんですが、やっぱ奴の気配は感じんくなっとりますわ・・・後は、お嬢が封印解いてどうなるかに掛かっとります」
「ほうか・・・なら、やるしかないな。
鞍馬と、あと何人かついて来てくれ・・・他はここで待機しとって、何かあったら直ぐに動けるように気を抜かんようにな」
「お嬢・・・お気を付けて」
「うん、自分等もな・・・ほな、行って来るわ」
信濃は心配そうな配下達に笑い掛けると、鞍馬と数人の者だけを連れて飛び立つ。
石垣の上に降りた信濃は、まず祠の状態を確認する。
「壊れた形跡は無いし封印も残ったままのようや・・・せやけど、自分の言う通り彼奴の気配だけが完全に消えとるようやな。
ほな、ウチと鞍馬以外は下がっとき・・・」
信濃は鞍馬以外を下がらせ、祠の注連縄を取り払うと、魔術によって施錠されていた鍵を破壊し、扉を開いて中を確認すると苦々しく舌打ちをした。
「やっぱ居らんわ・・・彼奴の頭が消えとる」
「さいですか・・・せやったら、下の石垣の中の確認はせんで良さそうですね」
「せやな、恐らく下も同じやろ・・・」
信濃と鞍馬が祠の中を確認して話をしていると、下がっていた者達が降りて来た。
「お嬢、どうやったんですか?」
「ん?ああ、問題あらへんよ・・・いや、新たな問題が起きたって感じやな」
「こんな小さい祠に封印しとったんですか?」
「この祠に封印しとったんは頭だけや・・・万が一を考えて、彼奴の頭と身体を別にして祠に頭、下の石垣に身体を封印したんよ。
正直、出来れば小分けにして別々の場所に封印出来れば良かったんやけど、彼奴と戦った後ではそんな余力はウチには残ってへんかったし、何より祠をいくつも造れる程の素材も無かったしな・・・せやから、定期的に封印と結界を強化して押し込めて監視しとったんや」
尋ねた配下は、信濃の答えを聞いて絶句した。
目の前にある祠は、人が数人入っても余裕がある程の大きさだ・・・それ程大きな祠に入れなければならなかった頭部となれば、身体を合わせれば相当巨大な体躯をしている事になる。
信濃は青い顔をしている配下を気遣い、苦笑しながら肩を抱いた。
「何はともあれ、彼奴が居らんくて良かったんかもしれんな・・・たぶん、彼奴がここに居ったらこの国は確実に終いやった。
さて、こっちの問題は良えとして、消えた彼奴が何処に行ったかを調べんとあかんな・・・」
「お嬢、そうは言うても調べるんは相当骨やで?奴は神出鬼没や・・・出たと思たら消えてまうし、どうやって探します?」
鞍馬に尋ねられた信濃はしばらく考え込み、空を見上げて飛び上がった。
それを見た鞍馬と他の者達は、慌てて信濃を追って飛んだ。
「お嬢、奴が居らんかったからって勝手に動かんで下さいよ・・・で、何か思い付いたんで?」
「さっき、ウチは彼奴は召喚されたかもしれんて言うたやろ?なら、万里眼で他の魔王のとこを調べよう思てな・・・もし彼奴を召喚してもうたんならタダでは済まんはずやし、下手すりゃ根城どころか国が滅んどるはずやからな」
「ああ、万里眼なら可能なんか・・・なら、ガングート様とダンケルク様は除外して良えんちゃいます?あの方達は配下は要らんて話やし、特にガングート様なら彼奴相手でも余裕でしょ」
「せやな、あとポチョムキンの爺様も大丈夫やろな・・・あの爺様は、彼奴の瘴気の中でも笑ってそうやから。
鞍馬、お前は千里眼で視える範囲を視とってくれ、近場のメンデスとカルノーん所くらいは自分でも視れるやろ?」
「へーい、正直あの方達んとこはあんま気が乗らんねんなー・・・視るんやったらシャルンホルスト様んとこが良えわ、目の保養なるし」
「喧しわ!さっさと視んかいエロガッパ!!」
「自分は河童やのうて烏なんやけど・・・」
鞍馬は小言を言いつつ、信濃とは反対の方角を視つめる。
「とりまカルノー様んとこは相変わらず臭そうですわ・・・てか、あそことここって同じようなもんなんやないか?見分けがつかんわ・・・」
「ほうか、こっちもヴァルカンとこは一応無事そうやわ・・・んで、シャルんとこは・・・何やアルコーがお邪魔しとるみたいやな、ほんまに仲が良えなーあの2人は」
「うわ、そっち羨ましいなー・・・美女2人とかめっちゃ視たいわ。
あ、メンデス様んとこも無事ですわ・・・てか、こっからでも視えるとかメンデス様デカ過ぎやろ、何食ったらあんなデカなんねん」
2人は手分けして他の魔王達の根城を視ていたが、最後の1ヶ所で信濃は吹き出した。
「な、何なんあれ・・・」
「何ぞありましたん?」
「ヴァンガードの城・・・いや、今は娘のリリスやったか?あいつん所デカなっとるわ」
「自分には視えんですわ・・・てか、リリス様っちゅうたら、確かえらい可愛らしい女の子やったはずですよね?最後に会ったんは確か600年くらい前やったっけ、どえらい美人になっとるんやろなー」
「自分、ほんまさっきからそればっかやな・・・自分の目の前にも、目が覚めるような美女が居るんを忘れたらあかんで?」
「お嬢に召喚されてはや数千年、今では見慣れて何も感じんくなってますわ」
「どこまでも失礼やな自分!?」
「まあまあ、お嬢が美人なんはもう当たり前になっとるってだけですって!んで、リリス様んとこが怪しそうなんでっか?」
鞍馬が暴れ出した信濃を宥めて尋ねると、信濃は唸って首を傾げた。
「ほんの数ヵ月前までボロかったあの城があれだけデカなっとるんは、恐らく召喚で当たり引いて羽振りが良うなったんっちゅう事でほぼ間違いないやろうな・・・せやけど、彼奴召喚したら城なんか無くなんで?」
「あれだけデカなっとる言われても、自分には視えへんので分からへんのやけど・・・せや、絵に描いて貰っても良えですか?」
「面倒臭いなあ自分・・・ほれ、こんな感じや」
信濃は、口では面倒臭いと言いながらも絵を描いて差し出す。
すると、鞍馬は受け取った絵を見て吹き出し、空中で器用に転げ回った。
「ぶははははは!お嬢は相変わらず絵がヘッタクソやなーっ!!何なんこれ、何見て描いたらこうなんねん!?今日からお嬢のこと画伯って呼んで良えですか!?」
「喧しわ!誰にでも得手不得手はあるやろが!!ウチは他は完璧やから、絵心でバランス取ってんねや!!」
「ひーっ、ほんま腹痛いわー・・・」
「笑い過ぎやドアホ!くそっ、せっかく描いたったっちゅーのに、ウチやって傷付くんやで・・・ほれ、いつまでも笑ってんとどうするか決めるで!」
「あー、一生分笑ったかもしれんわ・・・てか、どうするも何も、他が問題無いんならリリス様んとこに行くか行かんかの2択しかないんやないですか?まあ、仮に行ったかて奴が居らんかったら無駄足になるんやけど・・・」
「せやから自分に聞いとんねん・・・ここで毎日いつ何処に現れるか分からん彼奴を監視するか、それともダメ元でリリスんとこに行くかや。
正直、ウチとしては被害が出る前に何としても彼奴を止めたいと思っとる・・・勝てる勝てへんとか関係無く、彼奴を野放しにしとったらいつかはまたウチの可愛い連中にも被害が出るからな」
「お嬢ならそう言う思ったわ、なら自分もお供せなあきませんな・・・てか、片道何日掛かるんですかね?自分行くん初めてなんで分からへんのですけど」
「せやな、昔ヴァンガードが結婚する時に行った時は5日くらいやったかな・・・うわぁ、行きたなくなってきたわ」
「せやったらどうします?リリス様には手紙で状況確認しときますか?」
向かい合ってうんうんと唸っていた2人は、不意に視線を感じて同時にその方向を振り向いた。
2人が振り向いた先・・・その目と鼻の先では、白い花瓶を逆さにした様な姿のあの神と、その仲間達がしきりに頷きながら会話を聞いていた。
「だ、誰や自分等!?」
「しくったなー、気配も近付く音も何も聞こえんかったわ・・・ほんま何者や自分等」
2人が慌てて距離を取って身構えると、逆さ花瓶の神・・・メジェドは身体の両側から腕を生やし、2人に向けて手を上げた。
「Hello」
「は?何やて?」
「我等ハ全然、チットモ、コレッポッチモ怪シクナイタダノ観光客」
「いや・・・その姿もやけど、空飛んでる時点で相当怪しいで自分等。
そんで、ウチ等になんか用か?今、ウチ等は立て込んでんねん、世間話やったらお断りやで?」
信濃は本能からか、メジェド達を見て尻尾が逆立ち、滝の様な冷や汗を流している。
鞍馬も同じくメジェド達の発する雰囲気に飲まれまいと信濃を庇いながら腰に佩いている太刀に手を掛けている。
メジェド達はそれを見ているにも関わらず、気にも留めずにただ宙に浮かんでいた。
「ウチ等、ほんまに暇やないんやけどなー・・・で、自分等何でウチ等に構うんや?」
「我等ハ知リ合イノ名ガ聞コエテ止マッタニスギヌ・・・シテ、其モ魔王リリスノ知リ合イカ?」
リリスの名を聞き、信濃と鞍馬は若干警戒を解いてメジェド達を見た。
「何や、自分等リリスんとこの関係者やったんか・・・邪険にしてもうて堪忍な。
それにしても、あのちびっ子はとんでもないなもん召喚しおったな・・・自分等ほんま何者なんや?鞍馬が反応出来ひんかったん初めてやで」
「造作モナキ事・・・シテ、其ハ何ヲ悩ンデイタ?」
「あー・・・リリスんとこに行くか迷っとっただけやから心配いらんで。
そうや、自分等リリスんとこに居るんやったら、デカい骸骨見てへんか?」
「分カラヌ・・・マダ全テノ者ト会ッテオラヌユエ」
「ほうかー・・・なら、行ってみるしかないんかなー・・・面倒やでほんま」
信濃が落胆していると、メジェドは後ろにいたホルス達と何やら話し、ホルスとトトは信濃の両側に、アヌビスとバステトは鞍馬の両側に立って2人を担ぎ上げた。
「な、何やのいきなり!?いくらウチが美し過ぎて惚れたから言うても、いきなりそれはあかんで!まずは色々と段階っちゅーもんがあってやな!?」
「お嬢、こいつ等めっちゃ力が強い!逆らえまへん!!」
暴れ出した2人の前に立ったメジェドは、大きな目で2人を見つめ、笑った。
「行クナラバ送ッテヤロウ・・・心配ハイラナイ、チャント狙ウ」
「狙う!?狙うって何や!!」
「砲撃準備」
慌てて聞き返した信濃を無視し、メジェドはホルス達に指示を出す。
「砲撃って何や!?」
「目標、風雲リリス城・・・撃テ」
「ちょっ・・・待っ!!ぎぃやあああああぁぁぁぁぁぁぁ・・・」
メジェドの掛け声とともに、ホルス達は2人を全力で投げ飛ばした。
超高速で投げられた2人は、瞬く間に空の彼方へと消えて行った。
メジェド達は2人が飛んで行った方角を見ながら指で数を数える。
「弾着・・・今」
遠くを眺めていた5人は一斉に拍手をし、嬉しそうにハイタッチをして何事も無かったかのように移動を再開した・・・そこに、離れて様子を見ていた信濃の配下達が慌てて飛んで来た。
「あ、あんた等・・・お嬢と兄貴を何処にやったんや!?」
「心配ナイ、2人ハ既ニリリス城ニ着イテイル」
「は?ちょっ、そんな訳あるかい!・・・って、もう居らんのかい!?」
配下はお約束のツッコミを入れたが時既に遅く、メジェド達は忽然と姿を消していた。
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