静寂の海
みふね
ある黄昏に
ふと、気づいたら私の知らない人が剥げかけた白いベンチのその隣に座っていた。
ここはどこ?
わからない。きらきらした海が広がっている。
何で私こんなところに?ひたすら考える。
そうだ、私お使いの途中だったんだ。
もう夕暮れ?早く家に帰らなきゃ。ママに叱られちゃう!
海風に圧されるままおぼつかない足取りで歩く。でも、何故かうまく歩けない。同じ場所で足踏みをするように、足がとてつもなく重い。
お日様はどんどん沈んでいく。
急がなきゃ。焦った。それがいけなかった。
「あっ!」
体は前傾によろめき、白い砂浜が視界にバッと映る。為す術無く体が地面に吸い寄せられていく。
その時、ふわっと宙に浮いた。重力が消えたみたいに。
知らない人が私を抱き締めていた。そして、何かを言って笑った。
よくわからなかったけど何だか私も嬉しくなって、一緒に笑った。
日が沈み、辺りが急に真っ暗になった。
ここはどこ?
わからない。でも、とっても暖かい場所。
◆◇◇◆◇◇◆◇◇◆
太陽が海と接吻した。
君は突然辺りを伺って、怪訝そうに僕を見た。そしておもむろに立ち上がった。赤く眩しい西日が君を照らす。僕の瞳の中の君はまだ輝いているんだ。
君がどこかへ歩き出す。僕は黙って寄り添った。
ゆっくりと、時間が流れる。ただ、静かな波の音だけが聞こえる。
懸命に歩く君はきっと、僕のことなど見えていないのだろうね。でもいいんだ。最初はみんな赤の他人じゃないか。
君の記憶に僕がいなくても、僕は何度だって呼び掛ける。そして初めて君と出逢ったあの日を、僕は何度だって喜べる。それだけで、幸せなんだ……きっと…………。
君が僕を忘れ始めた日。
きつい冗談だと思った。悪い夢なら覚めて欲しかった。
何度も同じことを繰り返す。同じことを聞く。そして、何度も僕のご飯に手を出した。言うことを聞かない。勝手にどこかへ出掛けては、迷子になる。足を滑らせ骨を折る。そうやって、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も僕を困らせた。悪意の無く笑う君がなおのこと僕を苛つかせた。君は子供になった。
あらゆることをした。薬も、塗り絵や音読、計算も、進行を遅らせると言われたものを手当たり次第やらせてきた。忘れてほしくない思い出が山ほどあった。だから毎日思い出話を君に聞かせた。一緒に暮らしはじめて大変だった日々が今では笑える。何でかな。何でこんなにも、瞼が熱いんだろう…………。
でも、君はずっと遠くを見つめたまま黙っている。頷きもしないで。僕の話は零れてしまう。
君はどんどん忘れていく。砂浜に描いた思い出が波に拐われていくように。手を離した風船は、二度とその手に戻らない。
君は僕を置いていくのかい?僕の努力を嘲笑うかい?僕はひとりぼっちだ。でも、君はずっとそうだったんだね…………。
燃え盛る太陽は、夕凪の海に勢いよく落ちていく。
君の細々とした足が、重い足どりで前に進む。僕はただ、君の足跡をなぞる。
最近外出を控えさせていたせいか、はたまた骨折のせいか、どこか弱々しい。そして、突然君がよろけた。
危ない!僕は後ろから抱き締めた。君はとても軽かった。空気みたいだ。このまま手を離すと風に拐われてしまいそう。
向き合うと、ただ丸い瞳が僕を見つめた。
こうやって、この海で見つめ合った日のことを思い出す。君を守ると約束した日。きっと君は覚えてないんだろうね。そして、また忘れてしまうんだ。
それでも僕は何度だって言うよ。これは同情なんかじゃない。自己満足に近いかもしれない。ただ君に届いて欲しいんだ。あの日と同じように。
君を愛してる。
僕は照れくさくて、笑った。そしたら君も無邪気に笑った。昔の君なら安っぽいって腹を立てているに違いない。
この世界が闇に包まれた頃には、この言葉を君はやっぱり忘れてしまうんだろうか。僕の言葉など初めから存在しなかったかのように。
でも、無意味なんかじゃない。その笑顔がそれを証明してくれている。だから守り続けたいんだ。君の記憶に僕がいなくても、必ずそばにいる。どんなに大切な思い出よりも、今この
君の知らない人として。
手を繋いで歩いて帰る。
静寂の闇の中、君の手は温かい。
静寂の海 みふね @sarugamori39
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