第二十章「迫真」

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 キーファーに気遣われながら、白髪混じりの薄茶の髪の男が、覚束ない足取りで聖堂に入ってきた。恐れと悲しみの涙で頬を濡らしたままであったサリエットが、憔悴した父親の姿を認めて、驚きと喜びで瞳を輝かせる。

「お父様っ!!」

「おお、サリィ……生きていたか……」

 駆け寄る愛娘を胸に抱き留めて、村長はサリエットの金褐色の髪を撫でた。

 命の無事を確かめ合う父と娘を見て、未だ戦いの最中にありながらも、キーファーの心はふと和んだ。気持ちと共に緩みかける表情を引き締めて、キーファーは背後を振り返り、恭しく王太子を迎える。


 アレフキースは昂然と顔を上げて、シュレイサ村の村人たちの砦となっている、石造りの聖堂に歩み入った。気安く傍に寄ることがためらわれるような雰囲気の、理知的な顔立ちをした黒髪の王太子は、その存在を露わにするだけで、聖堂を満たす空気の色を変えた。

 意匠を凝らし贅を尽くした黒絹の大将服と、腰に下げた煌びやかな宝剣が、アレフキースの高貴な身分を人々に知らしめる。自ずと左右に割れる村人たちの間を、祭壇の前まで進もうとして、アレフキースは娘と抱き合う村長の姿に気が付いた。


「その人は君のお父上だったか。たいした怪我はないようだが、ずっと物陰に身を潜めて、いつ見つかるかと恐ろしい思いをされていたようだ。労わって差し上げるといい」

 歩みを止めたアレフキースは、サリエットと目が合うと穏やかに声をかけた。

「あなたは……?」

 父親の肩越しに、サリエットはぽかんとした表情でアレフキースを見上げた。

 彼女の目の前に立つ背の高い青年は、ヴェンシナの帰省に便乗し、シュレイサ村で休暇を楽しんでいた黒髪の騎士によく似ていた。ランディ本人も先ほど姿を見せており、ほぼ毎日のように顔を合わせていたサリエットには別人と知れるが、髪の色と瞳の色、背恰好がそっくりなので、遠目や後姿では、彼と見誤ってしまうかもしれない。



「こちらにおいででいらっしゃいますか、殿下!」

 軍人らしい硬質な容姿の若い騎士が、急ぎ足でアレフキースを追ってきた。

 白い制服の近衛騎士に『殿下』と呼ばれる青年の素性に思い至り、まずは国境警備隊の兵士たちが大慌てでその場に畏まった。推測の囁きはひそひそと人々の間を走りぬけ、村人たちも順々に首を垂れてゆく。

 エリオールは振り返る主君の足下に跪いた。アレフキースは民衆の只中で、冴えた眼差しを側近に向けた。

「エリオールか、裏の様子はどうだ?」

「はい、建物のどこにも破られた形跡はなく、レルギット領部隊長様も重々気をつけるとはおっしゃっていらっしゃいましたが、未だ予断を許す状況ではございません。敵、味方の数が拮抗しているようで、かなりの混戦になっております」

「そうか、ご苦労だったね。しかし、表を派手に破っておきながら、裏が全く手付かずのままとは、妙だな――?」

 エリオールから報告を受けて、アレフキースは腕を組み、しばし思索をめぐらせた。


「エリオール、フェルナントに伝令を頼みたい。裏の状況を伝え、表の戦局次第では、預かっている国境警備隊の兵たちをエルアンリの隊への応援へ回すようにと。その時機・数についてはフェルナントの裁量に委ねると」

「承知しました。ランディ様ではなく、フェルナント隊長に申し伝えればよろしいのですね」

 確認するエリオールに、アレフキースは重々しく頷いた。

「ランディが隊の要と気付かぬほど、賊も甘くはないだろう。確実に狙われているに違いないからね、余計なことに気を払わせて、彼の集中力を削ぎたくはない」

「わかりました」

「そのまま君も遊撃に加勢を、エリオール。勇戦に期待している」

「はい」

 さらりと命じるアレフキースに、エリオールも気負った風もなく返答すると、立ち上がり一礼をして、入ってきた時と同様に忙しく去っていった。


 エリオールを戦場へと送り返したアレフキースは、視界の端に兵士の姿を認め、そちらを向きながら問いかけた。

「そこにいるのは、国境警備隊の兵たちか?」

「はっ、はいっ」

 頬に古傷の痕がある小隊の長が、緊張で身を硬くしている兵士たちを代表して答えた。

「みなかなり疲弊しているようだね。重傷を負った者はいないか? 民を守り、よくもたせたこと、まずは褒めて遣わそう」

 アレフキースは尊大に兵士たちを労った。感激を表情に出して、泣き出さんばかりの幼い兵士を眺めながら、少し罪悪感を抱きつつ言葉を続ける。


「ゆっくり休んでおけと言ってやりたいところだが、君たちにも今しばらくの働きを見せて欲しい。正面は私の騎士たちが守備を固め、教会の裏手ではエルアンリの指揮の下、国境警備隊の兵士が戦っているが、戦闘が完全に終わるまで、何が起こるか予測できないからね。壊された入り口はもちろん、奥へと続く扉、そして四方の壁や床、天井に至るまで、この聖堂における全ての場所が無防備にならぬよう、内から気を払っておいてはくれないか」

「はいっ」

 今度は小隊の兵全てが、声を揃えるようにして答えた。

「良い返事だ、頼んだよ」

 アレフキースは兵士たちに命を下し終えると、祭壇へ向き直りステンドグラスの神々を見上げてから、すうと息を吸って、朗々とした声を聖堂中に響かせた。


「――みな、顔を上げよ!!」

 その力強い声に打たれるようにして、小さく萎縮していた村人たちが、弾かれたようにアレフキースに注目する。民の一人一人と目を合わせでもするように、冷徹な輝きを放つ瞳をゆっくりとめぐらして、アレフキースは唇に笑みを刻んだ。

「怖い思いをしたか? 閉ざされた聖堂での篭城は、さぞかし辛く長く感じたことだろうね。しかしもう、恐れなくていい」

 傲然と顎を上げ、手のひらを下にして片手をさっと横に開き、アレフキースは大仰に見得を切った。

「みなの身も命も、国境警備隊と共に私と私の騎士たちが必ず護ろう! 兵を信じ私を信じて、このままここで、心落ち着けて待っているように!!」


 アレフキースの迫真の演技・・・・・は功を奏し、救援隊が到着した後も、村人たちの間に根強く残っていた恐れや怯え、不安や狂乱が、氷解して和らいでゆくのをキーファーは肌で感じた。村人たちの熱のこもった眼差しを受けながら、アレフキースはおもむろに踵を返し聖堂の出口へと向かう。



*****



 アレフキースはキーファーと目を合わせると、他の人々には見えぬように、やれやれとでも言いたげな目配せを送った。キーファーは不謹慎にも噴き出しそうになるのをごまかしながら、悪戯を共有するような心持ちで称賛を贈る。

「ご立派でした。『王太子殿下』」

 王太子を強調したキーファーに、アレフキースは苦笑した。

「ありがとうキーファー。そうだ、君は今から救護を手伝うのだったね、剣を借りてもいいかな?」

「構いませんが、剣ならお持ちでは?」

 首をかしげながらキーファーは答えた。腰に佩いた宝剣の柄に触れて、アレフキースは密やかに眉を寄せる。

「これのことなら、私にとってはただの飾りのようなものだからね。このような物騒なもの、滅多なことでは抜きたくないのだ」

「そうなんですか? そんな風におっしゃられるなんて、何だかすごく意外ですね」

 腰から剣を引き抜いて、キーファーは扱いに気をつけながらアレフキースに手渡した。

 アレフキースはキーファーの肩に手を置いて、彼にだけ聞こえるように小声で囁いた。

「キーファー、君は私を誤解しているようだね。実は私は小心なのだよ」


 とっさに表情を取り繕うことを忘れ、疑いの眼差しを向けたキーファーに笑いかけて、アレフキースはすぐに真顔に戻った。

「この目立つ格好で立っていれば、賊の意識もいくらか分散されるだろう。私は教会の前で囮になっている。何かあればすぐに報告を」

「承知致しました、お気をつけになって下さい」

「ああ」

 キーファーに短く答えて、アレフキース自身もまた戦場に赴いてゆく。

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