17-2

「キーファー」

 居間の入り口からヴェンシナが呼びかけると、キーファーは長椅子から立ち上がり、彼の声がした方を振り返った。

「ヴェン! 驚いた! 思ったよりかなり元気そうじゃないか!」

 キーファーはヴェンシナを迎えると、嬉しげに親友の上腕を叩いた。

「教会には牧師様方がいらっしゃるから安心はしていたけれど、本当によかった。君の身体のことは、殿下も隊長たちもみなご心配なさっている。きちんとご報告しないといけないからね、後で診察させてもらうよ」

「うん、ごめんね、キーファー」

 申し訳なさそうに眉を寄せるヴェンシナに、キーファーは誇らしげに笑ってみせた。


「謝る必要はないよ。これも仕事の内だからね。それに僕はただの警護につくよりも、特別な役目を任される方が好きだしさ。僕は殿下や隊長たちに指名されるとワクワクするんだ」

「君はそうだよねえ、僕はハラハラするよ」

「君はそうだったね。相当苦労したんじゃないかい? ヴェンシナ」

「うん……、色々あったよ」

 キーファーの腕を叩き返して、ヴェンシナは長椅子を勧め、自らも彼の隣に腰掛けた。

 騎士たちが席に着くのを見計らうようにして、シャレルが新しく入れなおした香草茶を運んでくる。ラグジュリエと共に、フレイアシュテュアも先に階下に下りていて、居間でヴェンシナを待っていた。老若二人の牧師もいささか戸惑い気味な表情でそこにあり、教会の『家族』全員がこの場に顔を揃えていることになる。


「ええと……、キーファーは、アレフキース殿下のお遣いで来てくれたんだよね? 君の話は僕一人で聞いた方がいいよねえ?」

 シャレルに愛想よく礼を述べて、香草茶で唇を湿しているキーファーを、ラグジュリエが物問いたげな顔つきで食い入るように見つめていた。ヴェンシナはその様子を、さらに横から眺めながら尋ねた。

「いや、君が下りてくるっていうからね、みなさんには同席して下さるように僕がお願いしたんだ。教会の方々には、特にお世話になったしご迷惑もかけたから、きちんとご説明をしておくようにとの仰せでね」

 キーファーはカップを受け皿に戻しながらそう言って、指先でヴェンシナに耳を貸すよう合図を送った。ヴェンシナが片耳を寄せると、キーファーは彼にだけ聞こえるように釘を刺した。

「だけど、言ってもいいことと、言っちゃいけないことがあるって、わかってるよね? だから受け答えは慎重にしないと駄目だよ」

「……うん」

 ヴェンシナはフレイアシュテュアをちらりと見やった。ヴェンシナが彼女に告げたかった真実は、これで封印せざるを得ないことになってしまった。


「まず、ランディ様のことなんだけどね」

「うん」

「このまま殿下とご一緒に、王宮に引き上げられることが決まったよ。もうシュレイサ村に戻られることはない」

「そう……」

 それではもうランディに、会うことはできないのだと明言されたも同然だ。残酷なキーファーの言葉に相槌を打つヴェンシナの声を聞きながら、フレイアシュテュアはまた涙腺が緩みかけるのをなんとか押し止めた。


「殿下はやっぱり、怒っておられるのかな……?」

 揃えた膝の上で、スカートの布地をぎゅっと握り締めているフレイアシュテュアを気にかけながら、ヴェンシナはキーファーに問うた。

「うん。昨夜ご一報を受けられたときはね、恐かったよー、本当に。洒落にならないくらいにさ。決闘騒ぎを起こされたことは勿論なんだけど、何より本名を名乗られたことに大層ご立腹でねえ……。ほら、噂が広まってしまったら、あの方のお役目に支障が出るのは必須だから」

「そうだよねえ……。今まであんまり表に立たずに、目立たないようにされてこられたのが全部水の泡だもんね」

 それまでのランディ・ウォルターラントの努力について、ヴェンシナも知らぬわけではない。彼は王太子の公私に渡る相談役を務めながら、彼にしかできぬ役割を果たす為に、王宮においては接触する人員も限って、あまり人目につかぬよう常に気を配っていた。


「副隊長は、おそらく近衛騎士を辞されることになるんじゃないかって、二番隊の先輩たちはみんな言ってる。王宮にまで醜聞が伝わって、国王陛下から免責を問われるようなことになる前に、潔く退かれるんじゃないかって」

「うん、そうされるのがあの方らしいよね。僕もそう思うよ。ところでお二人の仲はどうなっているの? 修復不可能なんてことにはなっていないよね?」

「それは大丈夫。そう簡単に揺らぐような絆で結ばれていらっしゃるわけじゃないからね。ご本人と話された後は、案外さばさばとしておいでだったよ」

「そうなんだ、よかった……」

 ランディとアレフキースが不仲になっていないことを確認して、ヴェンシナはほっと胸を撫で下ろした。最悪の事態は回避されたらしい。



「……ねえ、ヴェン」

 遠慮がちにラグジュリエが口を挟んだ。

「王太子様を怒らせちゃったから、ランディは左遷されるの?」

 ラグジュリエはラグジュリエなりに、ランディの身の上を心配していた。彼女の期待に反して、ランディはフレイアシュテュアを王都に連れ帰ってはくれなかったが、大切な『姉』をエルアンリから取り戻してくれたことは確かだ。


 ヴェンシナはキーファーの表情を確認しながら、ラグジュリエに答えた。

「左遷とはね、ちょっと違うんだ、ラギィ。ランディ・ウォルターラント様が、ランドリューシュ・デュ・サリフォール様と同一人物なんだって公になってしまったら、あの方が近衛二番隊の騎士をなさっている意味がなくなっちゃうんだよ」

「それじゃあどうなるの?」

「そうだねえ……。もしも近衛騎士を辞められても、アレフキース殿下の腹心でいらっしゃることに変わりはないから、しばらく謹慎された後で、今度は本来のご身分のまま、改めて王宮にご出仕されることになるんじゃないかなあ」

「本来のご身分?」

「ええと、それは……」

「僕から説明するよ、ヴェン」

 どこまで話してよいものか判断しきれずに、口ごもるヴェンシナに苦笑して、キーファーは助け舟を出してやることにした。


「ランディ様……、ううん、この際だからランドリューシュ様って言っておこうかな。あの方は、【北】エトワ州公サリフォール女公爵様の跡継ぎで、王太子殿下の母方のお従兄君なんだ。母君のエトワ州公様が、王后陛下のお姉さん」

「!!」

 予想以上の身分の高さに教会の面々は衝撃を受けた。州公、つまり、東西南北の各州の知事を務める公爵の位は王族に次いで高い。その総領息子でしかも王太子の従兄――言い方を変えれば国王の甥、とあらば、 国内屈指もいいところの大貴族だ。

 楽しげに釣りに興じたり、面白がって林檎を収穫したりしていた、ランディののん気な姿を思い起こしつつ、ラグジュリエは呆然と言った。


「だけど……ランディは、お父さんが平民って言ってたわ……」

「それも本当。サリフォール女公様のご夫君は平民の方なんだ。国王陛下がお認めの結婚ではないから、公爵様は公的には独身なんだけどね」

 ランディの両親の恋愛と結婚も、当時の王宮を揺るがした有名な醜聞である。主人である女公爵から熱烈な求愛を受け、半ば押し切られる形で結ばれた彼女の夫は、今でもエトワ州城で庭師をしているという。


「どうしてランディは、公子様だっていうのを隠して近衛騎士をしてるの?」

 ラグジュリエはみなを代表して質問を重ねた。子供の好奇心というのは何とも便利なものである。

「うーん……。王太子殿下と仲良しだから、かな。これ以上は言えない。極秘事項なんだ、ごめんね」

 大いなる肩透かしをくらわせて、キーファーは申し訳なさそうに微笑んだ。そうして重大な任を果たすために、ヴェンシナに向き直った。


「それでね、ヴェンシナ。急なことで、予定外ではあるけれど、君の任務は事実上終了したわけだから、残りの日数は正式な休暇として消化するようにとのお達しを預かってきたよ。もともと一月休暇を取り上げてのお役目だったこともあるし、君の体調次第では、全快するまでの期間延長も認めるってさ」

「それでいいの? ずいぶん寛大な処分だねえ」

 思いがけないアレフキースの厚情に、ヴェンシナは瞳を輝かせた。

「胃痛で倒れた君に追い討ちをかけるほど、厳しい方じゃないよ。但し、特別任務に対する報酬は大幅に減額するし、王宮に戻り次第、フェルナント隊長に始末書を提出するようにってさ」

「ああ……、結構大変だったのに……」

 予想していたよりも易しい処分で済んだようだが、罰則は罰則であるに違いない。天から地に突き落とされた気持ちで、ヴェンシナは盛大な吐息をついた。


「君にはつくづく同情するよ、ヴェン。だけど本当に、僕の休暇の時じゃなくて良かったなあ。まあ、僕の実家は王都にあるし、美人の姉さんも可愛い妹分もいないけどさ」

「キーファー……、それって全く慰めにもなってないよ」

 落ち込むヴェンシナにシャレルが尋ねた。

「ねえ、ヴェン。任務とかお役目って一体何? あなたは休暇で村に帰ってきていたんじゃないの……?」

「……」

 ヴェンシナはシャレルを見、カリヴェルトを見、エルフォンゾを見、ラグジュリエを見、フレイアシュテュアを見、そして最後にキーファーを見た。キーファーは困った様子のヴェンシナに代わって、シャレルの疑問に答えた。


「ヴェンシナに課せられていた特別任務は、お忍び休暇中のランドリューシュ様の護衛兼お目付け役でした。もう既にご存知かと思いますが、あの通り無茶で無謀なところのある方ですからねえ……。ランドリューシュ様のお忍び旅の計画を、僕は前もって伺っていたけどさ、ヴェンシナは帰省の当日に、いきなりお役目を拝命したらしいねえ」

「そうだよ――、国王陛下も王太子殿下も他の方々も、揃いも揃ってあの方には甘いからねっ」

 王太子の居室へ、旅立ちの挨拶を告げに行ったあの時から始まった、一連の出来事を一気に思い出して、ヴェンシナは積もりに積もっていた鬱憤を吐き出した。


「みんな事情を知らなかったから仕方ないけど、姉さんはあの方を教会の奉仕にかり出すしっ、ラギィは妙な相談を持ちかけてくるしっ、サリィはあの方をやたらと挑発するしっ、フレイアはあの方と――」

 恋に落ちてしまうし――という言葉ばかりは飲み込んで。

「あの方はあの方で、宿場では夜遊びに行こうとなさるしっ、一人で勝手に【精霊の家】シルヴィナへ散策に出られるしっ、挙句にエルアンリ様と決闘騒ぎまで起こしてしまわれるしっ……、もう僕はぼろぼろだよっ」


「……それでは胃も痛くなるのお……」

「ちゃんと薬を飲んでいたのにねえ……」

 エルフォンゾとカリヴェルトが揃ってヴェンシナに憐れみの目を向けた。毎食後に薬を飲み続けているヴェンシナを不審に思って、カリヴェルトは彼の留守中にこっそりと薬包を拝借し、その成分を調べてエルフォンゾにも知らせていたのだ。

「まあ、しばらくゆっくり休みなよ。病気だし、せっかく里帰りしてるんだしさ」

「……そうするよ」

 ヴェンシナはげっそりと疲れきった様子でキーファーに答えた。

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