第十六章「王子」

16-1

 胃痛に倒れたヴェンシナの身を案じつつも、王命に等しいという王太子の命に逆らうわけにはゆかず、彼の看護は教会の『家族』に任せて、ランディは愛馬を駆り、キーファーと共に主君のもとへ向かった。

 道中には、エルアンリとブルージュ伯爵父子おやこも同行した。それもそのはずで、辿り着いた先はトゥリアンのレルギット領伯館、つまりはブルージュ伯爵の邸であったのだ。



*****



「やあ、ランディ」

 伯爵家の居間で、王太子アレフキースはあたかも邸の主人であるかのように、寛いだ様子で一行を出迎えた。

 近衛騎士の制服姿で現れたランディに、アレフキースの背後に控えたフェルナントが僅かに眉を上げ、同席していた小柄な老人がぎょっとして目を剥く。

「休暇は存分に、楽しんでいたようだね」

「お陰様で、殿下」

 優雅にお辞儀をしてみせるランディに、アレフキースは口元にだけ微笑を湛えた。

「だけど少し、ハメを外し過ぎたのではないかな?」

「休暇中ですから」

「ランドリューシュ」

 アレフキースは重々しく、ランディを正式な名前で呼び、長椅子から立ち上がって彼に近づいた。


「あなたと私の間柄で、腹芸はやめにしませんか? いつも通りの話し方で、どうぞ」

「……芝居を始めたのはお前だろう、アレフキース」

 王太子相手とは思えないぞんざいな口調で、ランディは呆れたように言った。

「あなたが芝居を続けたそうに見えたから、乗らせて頂いただけですよ」

 アレフキースは飄々と答える。ランディは額を押さえた。

「全く……。お前は仮病を使って、エルミルトの離宮で遊んでいるものだとばかり思っていたのに……。一体いつから来ていた? 何故こんなところにいる?」

「あなたが色々と、ヴェンシナを困らせているようでしたからね。彼に頼んで昨日の夜に、こっそり連れて来てもらったのですよ」

 そう言いながらアレフキースは、小柄な老人に目を向けた。ランディが同じように睥睨すると、老人は滑り落ちるように椅子から降り、震えながらその場に畏まった。


「ご、ご機嫌麗しく、ランドリューシュ様」

「ほう、そう見えるか? シーラー候」

 ランディは不機嫌に言った。老人――エルミルト市侯シーラー侯爵は、恐れをなして小さな身をさらに縮めた。

「い、いえ、いいえ……」

「ご老体をあまり、苛めるものではありませんよ、ランディ」

 アレフキースがやんわりと諌めた。ランディは祖父ほども年の離れたシーラー侯爵に苛立たしげに命じた。

「シーラー侯! 早く頭を上げんか! 鬱陶しい!」

「いえ――、このまま、お詫びだけはさせて頂きたく存じます」

「侘び?」

 老侯爵は頑固だった。シーラー侯爵は叩頭したままの姿勢で口上を述べた。

「はい、この度は、わたくしの不肖の甥がとんだ失礼を致しました」

「甥? 誰のことだ?」

「そちらに控えております、エルアンリ・ヴォ・ブルージュでございます」

 シーラー侯爵の言葉に、ランディは背後を振り返った。初めて目通りをする王太子を前にして、エルアンリは自分の邸であるにもかかわらず、父親のブルージュ伯爵共々先ほどからずっと居間の入り口付近で畏まっていた。


「……なるほど。ブルージュ伯に、私に関するつまらん噂を流したのはお前だな? シーラー侯」

「え? いえっ……」

 シーラー侯爵は、よく意味がわからないながらもなんとなく心当たりがあったらしい。おろおろとしてさらに小さくなってゆくような姿に、ランディは幾分声と気持ちを和らげた。

「もういい――。立たんか」

「はい」

 謝罪を終えて、ふらつきながら立ち上がろうとするシーラー侯爵に、素早くフェルナントが手を伸べて介助する。

「シーラー候を座らせておけ、フェルナント」

「はい」

 フェルナントはランディの命に従い、シーラー侯爵を長椅子に掛けさせると、再び邪魔にならぬよう退いた。便宜上、近衛二番隊の隊長はフェルナントになっているが、実質的な上下関係は、副隊長を務めるランディの方が上である。


「そういえば、まだ決闘の結果を聞いていなかったね」

 アレフキースは見た目ばかりは鷹揚に微笑んで、エルアンリを差し招いた。

「エルアンリと申したか、ブルージュ伯の子息も、これへ」

「は、はい」

 王太子にいきなり名指しされて、エルアンリはぎくしゃくと御前に進み出た。アレフキースを一目見たその時から、エルアンリの内面には暗雲が渦巻いている。自分は一体誰を相手に、フレイアシュテュアを争ってきたというのだろうか……?


「君と会うのは今日が初めてだね。アレフキースだ、宜しく頼む」

「は、はい。私は、エルアンリ・ヴォ・ブルージュと申します、殿下」

「エルアンリ、君は国境警備隊の、レルギット領部隊の部隊長だそうだね。勝手ながら君のことは少し――、調べさせてもらったよ」

「!」

 アレフキースの前に跪きながら、思いもよらぬ王太子の発言に、エルアンリはその巨体をびくりと震わせた。

「君たちが奪い合ったという娘は、よほど魅力的であるようだね。横恋慕したランディにも咎がないとは言えないけれど、愛妾を得るために、公私を混同するのはいかがなものかな」

「!!」

 嫌な汗を流すエルアンリを見下ろしながら、アレフキースは穏やかに微笑み続けた。

「ブルージュ伯もシーラー候も、今まで君の行いに目を瞑ってきたようだけれど、ランディはそう甘くなかったのではないかな? そうですよね――、ランディ」

 言いながらアレフキースは、口元に笑みを刷いたまま、鋭い眼差しをランディに射込んだ。


「私の名誉は、しかと守って頂けたのでしょうね?」

「当然だ」

 ランディは動じた風もなく端的に答えた。

「それは重畳。王太子の信任厚い、近衛二番隊の副隊長ともあろう者が、恋敵に決闘を申し込んだあげく、返り討ちに合うようでは目も当てられない」

 ランディに対する静かな怒気を閃かせながら、アレフキースはエルアンリに冷ややかな視線を戻した。

「正々堂々と勝負をしたのなら、その結果を殊勝に受け止めるがいい、エルアンリ。ブルージュ伯も、もう少し子息の監督に気を配ってしかるべきだね」

「も、申し訳ございません」

 遠くでブルージュ伯爵が深々と頭を下げる。


 父親同様に巨体を縮こませながら、エルアンリは困惑を続けていた。彼の戸惑いに今初めて気付いたような口ぶりで、アレフキースは声を掛けてやった。

「エルアンリは何か、私に尋ねたいことがあるようだね?」

「……お、畏れながら」

「何だ? 遠慮は不要だ、言ってみたまえ」

 アレフキースは高飛車に促した。

「な、何ゆえに……、似ておいでなのです……?」

 知らない方が幸せなことかもしれないが、知らぬまま不安を抱えてはおれず、エルアンリは戦々恐々としながら声を絞り出した。

「ランディのことかな?」

 アレフキースの問いかけに、エルアンリはもう声も出せず、ただかくかくと頷いた。柔和な表情で覆い隠し、なかなか本心を表さぬアレフキースとは対照的に、ランディはこの上がないほどの仏頂面をして、エルアンリを見下ろしている。


 こうして並べてみると、二人の顔立ちそのものは決してそっくりというわけではない。持ち得た個性の表れなのか、ランディが精悍な印象を与えるのに対し、アレフキースは理知的である。

 似ているのはそれよりも、全体像。黒髪に黒い瞳、均整の取れた丈高い体躯のみならず、堂々とした優雅な立ち居振る舞いも、聞く者の腹に響くような声も、ともすれば近寄りがたいような存在感に至るまで、二人には相通じるものがあった。


「そうか、君は知らなかったのだね。彼は私が、昔から兄のように慕っている、私の従兄なのだよ」

 エルアンリの疑問に対して、アレフキースはにこやかにそう答えた。その傍らでランディが、いかにも迷惑そうな渋面をつくる。

「誰が誰の兄だって? 勝手なことを言うな」

「照れることはありませんよ、ランドリューシュ」

 親しい者しか持ちえぬ気安さで、アレフキースはランディをからかった。

「照れてないぞ!」

 実の兄弟のようにも見える、ランディとアレフキースの前で青ざめながら、エルアンリは思い出していた。

 王太子の母后が、【北】エトワ州公サリフォール女公爵の妹姫であったことを。

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