15-3

「――どうやら始まったようですね」

 どよめきが風に乗り村の外れに届く。打ち交わされる剣の音までは聞こえて来ないが、めったにない見物みものに熱狂する、民衆の興奮がありありと伝わってくるようだ。

「ああ……なんてことだ……! 今からでもどうにか止められぬものか!」

 馬車の中で貴人は嘆いた。開け放たれた馬車の窓を覗き込むようにして、馬上の騎士は話しかける。

「駄目ですよ。勝敗が決するまでは、絶対に声を掛けるなというのが殿下のご指示です。私は今のうちに友人を捜しておきたいんですが、伯爵様はどうなされますか?」

 伯爵と呼ばれた貴人は片手で額を抑え、おろおろと首を左右に振った。

「恐ろしくてとても見られるものではない……! わしは心の準備をしてから行く。君は好きにするが良かろう」

「では、お言葉に甘えさせて頂きます。また後ほど」


 騎士は短く挨拶をすると一人馬を速めた。初めて訪れる村であるが、迷うほどのことはなさそうだ。

 人々の声に導かれるままに、騎士は民家が多く集まるシュレイサ村の中心部の、そのまた中央にある広場までたどり着いた。

 馬から降りる前に様子を窺ってみると、近隣の村々からも噂を聞きつけた見物人が押し寄せているのか、野次馬の太い輪に囲まれるようにして、大きな熊のような男を相手に剣を振るう、ランディの丈高い姿が見えた。さらによく目を凝らして、騎士は彼らを取り囲む群衆の中に、求める友人の栗色の頭を見つけ出した。



*****



「やあ、ヴェンシナ、最前列で見物かい?」

 突然背後から肩を叩かれて、ヴェンシナは驚いて振り返った。

「キッ、キーファー!? どうしてっ!?」

 そこにいるはずのない同僚の姿を見つけて、ヴェンシナは思わず声を上げた。近衛騎士の制服を着たキーファー・トリフォーレルは、そのままヴェンシナの肩に腕をかけながら囁くように言った。

「静かに、ヴェンシナ、お二人が今、扱っておられるのは真剣だよ。――それにしてもさ」

「何?」

「あのご様子じゃあ、相当にお怒りだね」

 目前で繰り広げられる剣戟を眺めながら、キーファーはランディの精神状態を分析した。

「……わかる?」

 ヴェンシナは間近にあるキーファーの顔を見た。キーファーはさらに分析を重ねる。

「うん。怒って、冷静に――、嬲っていらっしゃるよね」

「……やっぱりそう見える?」

「うん。意地悪だなあ。太刀筋を見切っておられるなら、早々に止めを刺してあげればいいのに。ギリギリのところばかりを狙って剣をお出しになってるから、相手の方はかなり怖い思いをなさっているだろうねえ」


 ヴェンシナの目にも、やはりキーファーと同じ様に映っていた。素人目には、エルアンリが紙一重のところで上手くかわしているようにも見えるかもしれないが実際は違う。

 数合を打ち合って、ランディは力押し一本やりで、無駄な動きの多いエルアンリの攻撃の型を覚えてしまうと、後は軽々と受け流しながら、体中のあらゆる急所を狙って、冷酷に剣を繰り出しては寸前で止めていた。衣服を裂くことはあっても、肌まで傷つけることのない絶妙の神技である。エルアンリの赤ら顔は徐々に青ざめ、息があがってきていたが、ランディは未だ額に汗一つ流してはいなかった。


 ランディが駆使する剣の切っ先が、エルアンリの眉間近くを薙いだ。はらりと散ってゆく前髪に、エルアンリは屈辱よりも恐怖を感じていた。一瞬気弱になったエルアンリが、視線を外したその時、ランディは一気に間合いを詰めて強襲し、相手の剣を叩き落とした。

 じんと痺れる腕で、慌てて剣を拾い上げようとエルアンリが中腰になる。ランディはそれを情け容赦なく仰向けに蹴倒すと、エルアンリの利き腕である右肩を踏みつけ、彼の巨体に乗り上げるようにして、その首筋に剣の切っ先を突きつけた。


「ここが戦場なら君は死んだな、エルアンリ。私の勝ちだ」

「……くそっ」

「フレイアシュテュアの自由は、約束通り私のものだ。文句はないな」

「わ……、わかった」

 上ずる声でエルアンリは了承した。傲慢に見下ろすランディの眼差しには、否と答えれば喉を掻き切るような殺気が込められていた。

 ランディは剣を収め、エルアンリの身体から足をのかした。清々しいまでの勝利を称えて、地を揺るがすような歓声が上がる。


「フレイア――」

 ランディはフレイアシュテュアを捜した。――いた。緑と琥珀の色違いの瞳が、いっぱいに開かれて一途にこちらを見つめている。

 喜びに戸惑うばかりのフレイアシュテュアの背中を、ラグジュリエとサリエットが呼吸を合わせてどんと前に押し出した。

「やったわっ! フレイア!」

「早く行ってあげなさいよね」


 二人の少女から勇気を貰って、フレイアシュテュアは弾かれたように駆け出した。大股に歩み寄るランディの腕の中に、人目も憚らず飛び込んでゆく。

「ランディ……!」

「これで君は自由だ! フレイア!」

「ランディ!」

 感極まったように自分の名を呼びながら、涙ぐむフレイアシュテュアを胸に抱き留めて、ランディはようやく勝利の歓喜に酔った。熱く甘い想いが湧き上がる心に、同時に切ない痛みが走る。


 エルアンリはむくりと上半身を起こして、しっかりと互いを抱き締め合う二人をしばし眺めていたが、次第に憤怒の形相になり、地に落ちた自分の剣を拾い立ち上がった。

「キーファー、剣を借りるよ」

 エルアンリの異変にいち早く気付いたヴェンシナは、素早くキーファーの腰から剣を抜き取ると、再び一方的に、ランディに挑みかかろうとしていたエルアンリの前に立ち塞がった。

「させませんよっ!!」

 エルアンリの剣を正確に払い除けて、ヴェンシナはきりりと彼をねめつけた。

「小僧が!!」

 エルアンリが振り下ろした剣を、ヴェンシナは軽快に避けた。

 ランディがフレイアシュテュアを離し、剣の柄に手をかけたその時である。

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