第九章「奉仕」

9-1

「手紙?」

 翌朝の朝食の席、シャレルはパンを千切りながら、弟に問い返した。

「うん、王太子殿下に、無事に着いたご報告をしてなかったなあと思って。郵便屋さんは今度いつ村に来るのかなあ?」

 シュレイサ村はデレス王国の辺境にある小さな集落である。急ぎの届け物がない限り、郵便屋が配達と集配に訪れるのはほぼ十日おきとなっていた。

「そうねえ、四日前に来たばかりだから、多分来週にならないと来ないと思うわよ」

 一口大に千切ったパンに、林檎ジャムを塗りながらシャレルが答える。こんがりと香ばしく焼かれたパンも、じっくりと煮詰められた甘いジャムも、教会の主婦であるシャレル自身のお手製だ。


「そうなんだ。じゃあ、トゥリアンまで行かないと駄目だよねえ」

 スープのカップを両手で包みながら、ヴェンシナはがっくりと肩を落とした。

 最寄りの郵便局は、領伯が住まうトゥリアンという町にある。馬を飛ばせばそれほど遠くはない距離だが、今はできるだけ村を離れたくはない。

「ヴェンは律儀だな」

 ヴェンシナの悩みなど知る由もなく、半熟のオムレツを切り分けながらランディが笑った。そののほほんとした笑顔が、ヴェンシナにはこの上なく恨めしい。


「急ぐ手紙かい? ヴェン?」

 ジャムの瓶をシャレルから回してもらいつつカリヴェルトが尋ねた。ヴェンシナは大きく頷いた。急ぐどころではない大急ぎである。

「うん。できるだけ早くに、殿下には受け取って頂きたいなあって」

「それじゃあ良かったら、僕が代わりに出して来てあげようか? 明日からシャレルとエルミルトに行くからね」

「嫌だわ、そういえばそうよね。エルミルトからだったら、きっと王都に届けられるのも早いわ」

 カリヴェルトに言われるまで、その方法を思いつかなかったことを恥じながら、シャレルは彼に同調した。


「エルミルト? どうして?」

 エルミルト市は【南】サテラ州の州都である。シュレイサ村は勿論のことトゥリアンの町よりも、遥かに利便性に優れた大都会だ。渡りに船の提案であったが、ヴェンシナには二人がそこまで出かける理由を思いつけない。

「僕らの結婚指輪と、シャレルの花嫁衣裳が出来上がっている筈だからね、受け取りに行くんだよ」

 パンの皿の上に、たっぷりとジャムを取り分けながらカリヴェルトが答えた。

「そうなんだ」

 カリヴェルトの説明を受けて、ヴェンシナはすぐに合点がいったようだが、傍で聞いていたランディが首を捻った。


「わざわざエルミルトの職人に注文を?」

「ええ、ちょっとした訳ありなんです」

「訳あり?」

「教会育ちの『兄』と『姉』に、今はエルミルトの金工房で働いている人と、仕立屋に嫁いだ人がいましてね、彼らに婚約を報告したら、二人ともとても喜んでくれて、ほとんど材料費だけで制作を請け負ってくれたんです」

「なるほど、それは実に心のこもった結婚祝いだな」

 シュレイサ村教会の人々の絆の深さに、ランディはいたく感心した。

「そうなのよ、離れていてもみんな自慢の『家族』なの。ドレスも指輪も、どんな風に仕上げてもらっているのか本当に楽しみだわ」

 まだ見ぬ花嫁衣裳と結婚指輪に思いを馳せて、年頃の女性らしくシャレルはうっとりと目を細めた。


「だけど、エルミルトに行くだけでも一日がかりだから、三日は村を空けることになっちゃうよね? 二人だけで出かけたりして、村の人にとやかく言われたりしないの?」

 同行するのが結婚を間近に控えた婚約者とはいえ、シャレルはうら若い未婚の女性である。ヴェンシナは姉の評判を懸念した。

「大丈夫じゃよ、カリヴァーは牧師で、みなから信用されとるからの。ヴェンの為にことわっておくがの、二人の宿は行きも帰りもエルミルト市内の教会にお願いしとるよ」

 エルフォンゾがヴェンシナの心配を拭うようにほっほっと笑った。カリヴェルトがいくぶん硬い顔で補足をする。

「そうなんだよ。ありがたいことなんだけどね、宿を借りる代わりに礼拝でのお説教を一節、頼まれているんだ。都会の教会で祭壇に立つのは初めてのことだから、今からどうにも緊張しちゃってねえ」

「いつも通りにしておれば大丈夫じゃよ、カリヴァー」

「ええ、心がけてみます」

 養父であるエルフォンゾに励まされて、カリヴェルトは神妙に答えた。


「何だか大変そうだけど、それじゃあお願いしようかな。手紙はまだ書いていないから、明日の朝に預けてもいいかなあ?」

「いいよ」

「ありがとう、カリヴァー」

 カリヴェルトから快諾をもらって、ヴェンシナの気持ちは少しだけ軽くなった。



*****



 食卓を囲む一同が、食後のお茶で一服をしていると、ラグジュリエが食器を重ねた盆を掲げて食堂に入ってきた。ヴェンシナと目が合うと、つんと横を向く。ラグジュリエは使用済みの食器を台所に下げると、食堂に戻ってきてシャレルの隣の椅子にちょこんと座った。

「フレイアの様子はどう? ラギィ」

「うん、今日はけっこう元気みたいよ。ご飯も残さないで食べたし、外に出たいからって言って今支度してるわ」

 ラグジュリエはフレイアシュテュアの部屋で、彼女と一緒に朝食を済ませてきたのだ。フレイアシュテュアの体調を慮ってのことであるが、昨夜ヴェンシナに一方的な喧嘩を売ってしまったラグジュリエには、ちょうど良い役目であった。


「果樹園をね、早く、見に行きたいって。今年も林檎は豊作よって教えてあげたら、とっても嬉しそうにしてたわ」

「何ともフレイアらしいのう」

 ラグジュリエの言葉を受けて、穏やかに微笑むエルフォンゾとは対照的に、シャレルは表情を曇らせた。

「ああ、そういえば私、フレイアがいない間に、あの子が大事にしてた花壇を枯らしちゃったのよねえ、見たら悲しむかしら……?」

「今度は何を枯らしたの? 姉さん」

 失敗を告白した姉に、ヴェンシナは呆れながら問うた。

 家事全般が得意で、たいていのことをそつ無くこなすシャレルであったが、何故か植物の世話だけは驚くほどに不得手だった。

「ええとね、薔薇なのよ。確かねえ、【秋女神の薔薇】フィオフィニア

「フィオフィニア? それは姉さんには絶対無理だよねえ」

 ヴェンシナは姉に同情した。薔薇の世話は難しい。殊にフィオフィニアは、誇り高い野生の薔薇である。栽培しようとしても、人の手が入った土にはなかなか根付かない、庭師泣かせな性質でも有名な花なのだ。


「正直に謝るしかないね、僕らも一緒に。最初から多分、誰にも育てられないだろうって諦めて、シャレルに任せきりにしてしまった責任があるから」

「そうじゃのう」

 カリヴェルトの言い分に、エルフォンゾもばつが悪そうに相槌を打った。

「枯れてしまったのなら仕方がないわ。世話をしてあげられなかった私がいけないの」

 細い声が少し寂しげに響いて、みな一斉に食堂の入り口を見た。長い金髪を片側でまとめ、編み下げたフレイアシュテュアが立っていた。


「フレイア、もう身体は大丈夫かのう?」

「ええ、ご心配をかけました。カリヴァーのお薬のお陰でよく眠れましたし、この通り腫れも引きました」

「痣にもならなかったのね、良かったわ」

 フレイアシュテュアの白い頬を眺め、シャレルが女性らしい感想を述べた。フレイアシュテュアは微かに笑んで、シャレルの向かい、ヴェンシナの隣の椅子を引いた。

「ヴェンたちは、この後林檎を収穫しに行くんでしょう? 私も果樹園に連れて行ってね」

「いいけど、本当に平気?」

 心配そうに尋ねるヴェンシナに、フレイアシュテュアは頷いた。

「平気。それにね、部屋の中に引きこもっているのがもう嫌なの」

「ああ、そうかあ」

 フレイアシュテュアは村長の家で、ずっと部屋に閉じ込められていた――と、昨夜ラグジュリエが語っていたのをヴェンシナは思い出した。


「出かけられるならその方がいいな。ヴェンや私の近くにいるのが、今は一番安全だろうから」

 ランディが横から、さらりと現実を突きつけた。今ここにあるのは、いつ破られるとも知れない偽りの平和に過ぎないのだ。

「エルアンリ様は、まだ村にいらっしゃるのかしらね?」

 誰に聞くともなくそう問いかけながら、シャレルはぶるりと身を震わせた。

「さあ、どうだろう? いるとしたら村長の家だろうが、こちらから出向いて、わざわざ煽る必要もないな」

 ランディは事も無げに答え、不安げに両手を握り合わせているフレイアシュテュアに眼差しを向けた。

「案じなくていい、フレイアシュテュア、君の身は私が守ってやろう」

「あ……、ありがとうございます」

 ヴェンシナを間に挟んで、見つめ合う二人はなんとなくいい雰囲気である。ヴェンシナはその空気を断ち切るように、大きな声を上げた。


「そ、そうだっ、フレイアにもお土産があるのを忘れてたよっ」

「お土産?」

 フレイアシュテュアの色違いの瞳が、ランディを離れ、ヴェンシナに向けられた。ラグジュリエの非難するような視線を痛いほどに感じながら、ヴェンシナは話を続けた。

「うん、たいしたものじゃないけど、果樹園に行くんだったら役に立つと思うから、後で持ってくるね」

「果樹園で使うものなの?」

「うん、そうだよ」

「王都のお土産なんて想像がつかないわ。一体何かしらね? ありがとう、ヴェン」

 そう言って、フレイアシュテュアはふんわりと笑った。【春女神】フレイアの名にふさわしい清らかな眩しい微笑だ。


 この笑顔を守る為に、彼女や自分たちのような悲しい子供を増やさない為に、ヴェンシナは軍人になることを志したのだ。

 思惑を少し外れ、王太子付きの近衛騎士などに選ばれてしまったが、フレイアシュテュアの危機に際して、故郷の村に里帰りしていることは、まさに女神の啓示といえるかもしれなかった。


「さてと、それではそろそろ、みなで仕事にかかろうかのう。今日も忙しい日になりそうじゃて」

 老牧師の言葉を合図に、食事を終えた一同は、それぞれの仕事場へと移動することにした。

 エルフォンゾは荷馬車に乗って往診へ出かけ、カリヴェルトは祭壇で授業の準備を整え、シャレルは家に残って家事を担当し、残りの青年と少女たちは林檎を採りに果樹園へ。

 秋の一日は、まだ始まったばかりだ。

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