8-2

 シュレイサ村には、かつて【秋女神の薔薇】フィオフィニアという名の娘がいた。

 金の髪に金の瞳。秋の女神の象徴とされる黄金の薔薇の名に、恥じぬ器量の美しい娘で、その名の通りに棘があった。

 容姿に驕ったフィオフィニアは、村の若者たちの心を弄び、自分を巡って争わせては楽しんでいるようなところがあった。分別のある大人たち、振り回されて袖にされた若者たち、恋人との仲を引っかき回された娘たちは眉を寄せて噂をした。

 フィオフィニアには、いつか、【秋女神】フィオの神罰が下されると。

 秋と共に愛を司り、結婚と家庭を守護する母なる女神フィオが、その名を汚す娘をお許しにはならないと――。



*****



 災いは、訪れた。

 但しそれは、フィオフィニアにだけ下された罰ではなく、シュレイサ村全体に降りかかった悲劇であった。

 夜の闇に紛れて、シュレイサ村を襲撃した盗賊団は、一夜の間に村中を蹂躙し、多くを奪い、殺し、焼き払った。ヴェンシナとシャレル、それにカリヴェルトが、親を亡くした惨劇の夜である。その悪夢のような出来事は、ある年齢から上の村人たちの記憶に、今も血色で刻み込まれている。

 そして、フィオフィニアは――。

 生き残った村人の中にも、無残に転がされていた亡骸の中にも、その姿を見つけ出すことができなかった。

 フィオフィニアの家族は、彼女を除いて惨殺されていた。村の女の中でも、群を抜いて美しかったフィオフィニアは、盗賊たちに連れ去られていったに違いないと、誰もが考え、最初からその捜索を諦めていた。


 それからしばらくして――。

 全身に傷を負った不審な男が、シルヴィナの森の近くで、哨戒中の国境警備隊の兵士たちに捕らえられた。

 尋問にかけ、村人に面通しをしてみると、男はシュレイサ村を襲撃した盗賊の一味であることが判明した。

 捕らえられた男は仲間たちの所在を問われると、彼らの根城がシルヴィナの森の奥深くにあったこと。 そこに魔物が現れ、みななす術も無く引き裂かれてしまったこと。自分だけが命からがら逃げおおせてきたことを語った。

 あまりにも嘘くさい弁明に、兵士たちは一笑に付して真実を語るよう求めたが、男は同じ証言を何度も繰り返し、昼夜を問わず襲い掛かる魔物の幻に追い詰められるようにして、間もなく獄中で狂死した。


 男の狂気を見届けた国境警備隊の兵士たちは、これは徒事ただごとではないと【南】サテラ州の州府に伺いを立て、州府はさらに国府へと報告した。

 ことの真偽を確かめる為に、シルヴィナの探索を敢行すべきではないかという議論が持たれたが、それ以来、サテラ州の各地で続発していた盗賊被害がふっつりと途絶えていた為、シルヴィナには手出し無用との結論が下された。

 聖地であるシルヴィナには、おそらく古来からの伝承通りに『何か』が棲んでいるのだろう。しかしその『何か』が、森を出て人を襲ったというためしは無い。それは森の奥深くへと分け入り、眠りを妨げようとする者に牙を剥くのだ。

 盗賊たちが森の中で『何か』の禁域に触れ、自ら破滅していったとするならば、噂を流し国の守りに利用すれば良いのであって、あえて国民を未知の危険に晒す必要はないのだ。


 こうしてシルヴィナの地にまた一つの伝説が加えられて、さらに、二月の後――。

 今度はシルヴィナの森のすぐそばで、気を失って倒れている一人の娘を、再び哨戒中の国境警備隊が見つけ出し保護をした。

 助けられた娘の姿を見て、シュレイサ村の村人たちは仰天した。それは行方知れずになっていたフィオフィニアであったのだ。

 フィオフィニアは、しかし、村人たちが知るような軽薄な娘ではなくなっていた。全ての記憶を失くし、言葉を失くし、自らの名前すら忘れて、無垢な童女の心に戻ってしまっていたのである。

 身寄りの無いフィオフィニアはシュレイサ村教会に預けられ、エルフォンゾや盗賊事件で孤児になった子供たちと一緒に暮らすことになった。シュレイサ村の復興は着実に進み、しばらくは平穏に時が流れていった。


 時ならぬ嵐のように、フィオフィニアの妊娠が、発覚するまでは。


 様々な憶測が村中で乱れ飛んだ。

 フィオフィニアは盗賊たちに犯されたはずだから、その子供を孕んでいるのだと吹聴する者がいた。

 彼女を見つけた国境警備隊の兵士が、慰みに手を付けたに違いないと主張する者がいた。

 男やもめの牧師――つまりはエルフォンゾと、穢れた関係を結んでいるのではないかと疑念する者もいた。


 そんな中で、最も密やかに、最も慎重に、最も実しやかに語られたのは、村の男の誰かが、肉体は成熟した美しい女のままに、心は子供のようになってしまったフィオフィニアを騙して、弄んだのではないかという噂だ。

 祝福されないはらの子はしかし、フィオフィニアに大きな変化をもたらした。記憶は失われたまま、言葉もどこかに置き忘れてきたままであったが、胎児の成長に伴って、フィオフィニアの心もまた大人に戻っていったのである。



*****



 やがて月満ちて、フィオフィニアは金の髪の女の子を産んだ。夢見るようなその瞳は、あろうことか左右の色が違っていた。

 村人たちは恐慌した。

 琥珀の瞳は金色の目をした母親の血筋だろうが、フィオフィニアの家系に緑の瞳は伝わっていない。

 同じ理由でエルフォンゾの疑いも晴れたが、それは逆に新たな疑惑の温床にもなった。

 誰かの罪を糾弾するような、赤子の不思議な色違いの瞳。疑われた男たちの言い逃れのように、いつからともなくもう一つの噂が囁かれ始めるようになる。


 曰く、フィオフィニアは、シルヴィナの森に棲む、盗賊を殺したという魔物と交わったのだと。

 だから心を病み、あの化け物じみた目をした子を産み落としたのだと――。

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