4-3
「他にも部屋は、たくさん余っているんですけどね」
二人用の客室の扉を開きながら、カリヴェルトはランディを振り返って苦笑した。
「ヴェンの希望で、あなたには、ヴェンと一緒にこちらの部屋を使ってもらおうと思っています。構いませんか?」
「結構だ。魅力的なお嬢さんたちが同じ屋根の下にいるから、ヴェンは私を見張っていないと不安なのだろう」
ランディはにやりとしてそう答えた。ヴェンシナは否定しかけたが、思い直して口をつぐんだ。実際の思惑とは少し違っているが、カリヴェルトの手前は、そうしておいた方が都合がいいかもしれない。
「そう危険な方には見えませんけどねえ」
昔から変わらぬヴェンシナの心配性に、カリヴェルトもくすりと微笑んだ。
「私もそのつもりだが、この先どんな誤解が生じるかわからないからな。この程度のことで、身の潔白を証明できるなら安いものだ」
「そうですか。
「ありがとう、若牧師殿」
「カリヴァーで結構ですよ。僕もランディとお呼びしますから」
「では、カリヴァー、先に休ませてもらう」
「ええ、お疲れでしょうから、明日は寝坊して頂いて結構ですよ、ランディ。ヴェンもゆっくりお休み」
「うん、お休み、カリヴァー」
手にした蝋燭の炎を部屋の
戸口でカリヴェルトを見送り、ぱたんと扉を閉めて、ヴェンシナは階下に戻る彼の気配を確かめてから、寝台に身を投げ出したランディに謝罪した。
「申し訳ありません」
「一体何を謝る?」
「失礼な態度をとったと思っています。あなたのことは、信用していますので」
「そんなことか、つまらないことを気にするな。お前が案じているのはむしろ、私の身の方だろう」
「お気づきでしたか」
「勿論。仕事熱心だからな、ヴェンは」
ランディは身を起こして寝台の端に腰掛けた。窮屈なブーツを脱ぎ捨て、緩く結わえていた黒髪をほどいて、梳くようにしてかきあげる。
「そのお前が、明日、村長の家について来るなと言ったのは何故だ?」
ランディの問いかけに、ラグジュリエではない『妹』が置かれた境遇を思い出して、激昂しかける気持ちを静めながら、ヴェンシナは努めて冷静に答えた。
「姉さんが言っていませんでしたか? この村の村長は権力に弱い人だって。俗な方だというのは知っていましたが、ここまで酷いとは思っていませんでした。僕は村を離れる前、村長の家に招待して頂いたことなんて一度もありません。娘には近付くなと言われて、追い払われていたくらいですからね」
「サリエットとかいう娘のことか、なんだ、惚れていたのか?」
「ただの幼馴染みですよ。同じ年頃なので、子供の頃は一緒に遊んだり学んだりしていました。そういえば昔から彼女は、ラギィとは仲が悪いようでしたね」
「なるほど、ラギィと同じで、その娘の方でお前に気があったのだな」
ランディは勝手な想像をして一人で納得した。その言葉に脱力したおかげで、ヴェンシナの胸に満ち満ちていた憤りは、栓を抜かれたように急速にしぼんでいった。
「そんなことは……。それよりも、必要以上に親しく村の人たちと係わるのはよして下さいね。村の、特に都会に憧れる若い娘や、権勢欲をお持ちの人にとって、あなたのような方は目の毒でしょうから」
「シュレイサ村の村長の家には、その両方が揃っているというわけか」
ランディの分析に、ヴェンシナは頷いた。
「そういうことです。サリエットも、エルアンリ様が駄目でも、あなたのことは気に入るかもしれません。保守的な村ですからね、既成事実が何もなくても、うっかり噂を立てられでもしたら火遊びじゃ済みませんよ」
「それは脅しか? ヴェンシナ」
「脅し半分、事実が半分といったところですね。面倒なことになりかねませんから、ランディ様の素性はしっかりと伏せておいて下さいね」
「私の素性?」
ランディはきらりと目を光らせた。気圧されながらもヴェンシナは退かなかった。
「ランディ様は、ウォルターラントの他にもう一つ姓をお持ちでしょう?」
「何だ、そのことか」
予想とは違ったヴェンシナの答えに、ランディは眼差しを和らげた。
「ヴェンは知らないかと思っていたが」
「アレフキース殿下とランディ様が、他人の空似でいらっしゃるわけではないことは、近衛二番隊の常識です」
神妙な顔つきで答えたヴェンシナに、ランディはつまらなさそうに顔をしかめてみせた。
「たいしたことではない。忘れてくれてかまわないぞ」
「無理ですよ、大事なことですから」
言いながらヴェンシナは気がついた、とても大事なことを忘れている事実に。
「そういえば、姉さんのヴェールのこと、どうもありがとうございました」
「何を言っているのかわからないな。礼なら王宮に帰ってから王太子に言うといい」
謝辞を述べるヴェンシナに、ランディはそっけなく答えた。
「……そうしますよ、ランディ」
ヴェンシナが呼び捨てると、ランディは機嫌よく笑った。ヴェンシナは彼と向かい合わせるようにして、もう一つの寝台に腰掛けた。
「それにしても、あなたも本当にお人が悪いですよね。事前に姉さんに宛てて手紙を出していらっしゃったり、村の流通事情を考えたお土産を用意して下さったり、きちんと根回しや下調べをして、気を配って下さるのはありがたいんですが、全て僕に内緒にすることはないじゃないですか」
愚痴を零すヴェンシナに、ランディはのほほんと答えた。
「お前の帰省に付いていこうと思いついて、最初に相談した相手が、そうした方がいいと言ったものだからなあ」
「だいたいどなたに相談されたかは想像がつきますけどね」
王宮からにこやかに送り出してくれた、黒髪の王太子の姿を、ヴェンシナは脳裏に思い描いていた。
「あの方は何ておっしゃってたんですか?」
「休暇を前に浮かれているお前が、あまりに幸せそうな顔をしているから、早々と水を差すのは不憫だろうと」
「……僕はそんなに浮かれて見えましたか?」
ヴェンシナの問いに、ランディは意外そうに言葉を返した。
「自覚がなかったのか? 休暇の一月ほど前から、お前はずっとあの似絵のような顔をしていたぞ」
「うっわー! 本当ですかっ!?」
件の似絵に描かれていた、恥ずかしいまでの笑顔を思い出して、ヴェンシナは真っ赤になった。
「秘密保持の為に、ヴェンには特別任務を出発ぎりぎりまで伏せておくのが得策だろうという判断だったのだ。お前は決して口が軽いわけではないが、表情がとびきり雄弁だからなあ」
「僕ってそんなに……わかりやすいですか?」
「それがお前のいいところでもあるのだから、あまり気にするな」
否定しないことでランディは肯定した。
「うう……」
落ち込むヴェンシナをよそに、ランディは上着を脱いでシャツの襟元を緩めた。そうしてから用意されていた室内履きをつっかけて立ち上がり、じっとヴェンシナを見下ろした。
「……どうかなさいましたか?」
視線に気付いたヴェンシナが彼を見上げると、ランディは悪戯を思いついた時のような顔つきをして揶揄するように言った。
「厠に行きたいのだが、ヴェンも一緒に来るか?」
「そのくらいは勝手に行って下さって結構です!」
「では行ってくる」
ランディを部屋の外に見送って、ヴェンシナはブーツと上着を脱ぎ、疲労感をどっと覚えながら寝台に倒れ伏した。
この部屋はヴェンシナが以前に使っていた部屋ではない。それでも清潔に整えられた寝具からは、懐かしい故郷の香りがした。寝台に掛けられたキルトも大きな枕も、おそらく教会の娘たちの手作りだろう。
寄り集まって賑やかに裁縫をしていた『姉妹』たちの姿、束になって寝台に転がりながら、エルフォンゾに昔話をねだった『兄弟』たちとの記憶……。様々な思い出がヴェンシナの胸を去来した。
*****
「ヴェン、入るぞ」
ノックをして、部屋に戻ったランディは、着替えもしないままにぐっすりと眠り込んでいるヴェンシナの姿を見つけた。
シュレイサ村に至る旅の間、ヴェンシナは常に周囲を窺い、不審な様子がないかと気を廻らせていた。初日の夜に、自分が夜遊びを企んだせいで、余計な負担をかけたかもしれないと、ランディは今さらながら反省をしている。ゆったりとたゆたう故郷の穏やかな空気は、ヴェンシナに久方ぶりの安らぎを与えてくれたのだろうか?
「お休み、ヴェン」
ランディは彼の睡眠を妨げないようそっと声を掛けて、自分の寝台から毛布を一枚剥ぎ、ヴェンシナの身体の上に掛けてやった。
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