3-2

「ヴェンー!!」

 行く手から、ヴェンシナの愛称を呼ぶ、女の子の甲高い声が聞こえてきた。

「お出迎えのようだぞ、ヴェン」

 ランディは興味深げに、だんだんと近付いてくる二つの人影に目を凝らした。

「そうですね、あれは……ラギィかな」


 実の妹のように可愛がり、幼い頃から面倒を見てやっていた、赤毛の小さな少女の面影をヴェンシナは思い起こした。さらに、その後ろから早足でやってくるのは違えようもない、ヴェンシナに残された、ただ一人の肉親である大切な姉のシャレルだろう。彼女たちと共有した、子供の頃のとろりと甘い幸福の思い出に、引き締めていた頬が自然にほころんでゆく。



*****



 教会の手前で、二人の騎士は馬から降りて娘たちを待った。村を出た頃よりは、成長し、鍛えられて、広く逞しくなったヴェンシナの胸の中に、ラグジュリエは勢い込んで飛び込んだ。

「お帰りなさいっ、ヴェンッ!」

「ラギィかい? ただいま」

「そうよ、会いたかったわ、ヴェン! 帰ってくるのをずっとずっと待ってたのよ!」

 ヴェンシナの身体に抱きついたまま、ラグジュリエは喜び溢れる顔をあげた。


 澄んだくりくりとした青い瞳。淡くそばかすの浮いたつんと尖った鼻。豊かな表情を持つ大きな口……。

 ひとつひとつは記憶のままであるのに、以前よりもずっと大人びて見える。それになによりも、見交わす視線の高さが三年前とはまるで違っていた。

「ずいぶん大きくなったね、見違えたよ。僕の知ってる小さなラギィじゃないみたいだ」

 十代前半の少女の成長は早いものだ。三年の間に、劇的に変わっていたラグジュリエの姿に、ヴェンシナは素直に感嘆した。

「いつまでもちびじゃないわ、あたしは今年、十三になったのよ」

 ラグジュリエはそう言って、つま先で伸び上がりヴェンシナの唇に口付けた。


「うわ、ラギィッ……!」

 夕闇の中でもそうとわかるほど顔を赤らめて、動揺しているヴェンシナを見て、感動の再会の一部始終を見守っていたランディは、耐え切れずに思わず噴き出してしまった。

「んまあっ!」

 ラグジュリエは眉を上げてヴェンシナから離れると、手を腰に当て肩をそびやかして、ランディに食ってかかった。

「何がおかしいのよ! いきなり失礼な人ね!」

「いや、その……」

 ランディは何とか笑いを噛み殺しながら、黒い瞳に悪戯な光を宿してラグジュリエに告げた。

「ヴェンシナに、君のような恋人がいるとは、思ってもみなかったのでな」

「あら」

 ヴェンシナの恋人、と呼ばれて、ラグジュリエは嬉しげに頬を火照らせた。


「ランディ! 何てことを言うんですか!」

 ヴェンシナは大慌てで否定した。

「この子はまだ、見てのとおりの子供じゃありませんか! からかわないで下さい」

「そんな風にムキなって言ったら、ラギィが可哀想でしょう、ヴェン」

 たしなめるような懐かしい物言いに、ヴェンシナが振り返ると、変わらぬ優しい微笑を浮かべた姉のシャレルが、ようやくラグジュリエに追いついて、彼のすぐ近くに辿り着いていた。

「お帰りなさい、ヴェン。良かったわ、元気そうね」

「ただいま、姉さん」

 手を伸ばして頬に触れる姉に、少し照れくさそうにヴェンシナは答えた。


 弟同様に童顔のシャレルは、のびやかに成長していたラグジュリエとは対照的に、三年前どころかそのずっと以前から、年を取ることを忘れてしまったかのように見えた。

 性別の違いはあれども、華やかで幼げな顔立ちはもちろんのこと、艶やかな栗色の髪も榛色の瞳も、やや小柄で線の細い体つきまでも、そうして並ぶと姉弟きょうだいはとてもよく似ていた。

 自分と姉とを見比べるランディの視線に気付いて、ヴェンシナは彼に向き直り、故郷の『家族』を紹介した。


「ランディ、僕の姉のシャレルです。それからラギィ、ラグジュリエは、教会で一緒に育った僕の『妹』です」

 『妹』と強調したヴェンシナを、ラグジュリエは不満そうに見た。

「姉さん、ラギィ、こちらの方は――」

「近衛二番隊のランディ・ウォルターラント様ですね。ようこそシュレイサ村へ。歓迎致しますわ」

 ヴェンシナの言葉を、弟の胸を軽く叩いて遮って、シャレルは直接ランディに声をかけた。

「お世話になります。ランディとお呼び下さい」

 握手を求めて差し出されたシャレルの手を取り、ランディは貴婦人にするように、恭しく手の甲に口付けた。

「あら、どうしましょう」

 慣れぬ宮廷式の挨拶に、うろたえたシャレルの頬がほんのりと赤く染まった。

「ランディ……、村の女性はみんな純情ですから、滅多なことでそういうことはしないで下さいね」

 頭を抱える思いでヴェンシナは忠告した。王宮でも、印象的な黒い瞳と堂々とした長身で、多くの女性の心を騒がせているランディである。いつでもどこにいても、あらゆる意味でヴェンシナの心配の種は尽きることがない。


「それにしても、どうして姉さんがランディの名前を知っているの?」

 首を傾げる弟に、シャレルは明るく答えた。

「あら、ご本人から伺っていないの? お手紙を頂いたのよ、ヴェンの帰省について行きたいのだけれどかまわないかって。賑やかなのは好きだし、人手が欲しい時期だから、是非にとお誘いしたの」

「手紙? それよりも人手って……? 姉さん、ランディに何をさせる気なの?」

 嫌な予感がひしひしとヴェンシナの脳裏を駆け巡った。シャレルはにこにことして嬉しげに答えた。


「林檎の収穫とか、薪割りとか、お掃除とか、色々とね、あなたと一緒にご奉仕をしてもらおうと思って」

「ええっ!?」

 困惑するヴェンシナを、ランディは不思議そうに見た。

「教会で宿を借りた時は、労働で返すのが常套なのだろう? お前が覚悟しておけと言ったのは、そういう意味であったのではないのか?」

「だからって……あなたが、ですか!?」

「神の御前ではみな平等のはずだ。教会育ちのお前が驚くようなことではなかろう」

「うっ……」

 説得力のある言葉をランディに返されて、ヴェンシナは言に詰まった。これはとんでもないことになったとヴェンシナは慌てているが、当のランディは事の成り行きを面白がっている風である。


「そんなにあなたが心配するほど、くたくたになるくらいにこき使おうというわけじゃないわよ。それよりも長旅で疲れているんでしょう。馬もね、早く休めてあげないと」

「そうよ、牧師様とカリヴァーも待ってるわよ、ヴェン」

 シャレルの意見に同調して、ラグジュリエがしがみつくようにしてヴェンシナの腕を引く。そうして片手でランディの袖も掴んで、彼にも愛想良く笑いかけた。

「お客様を迎えるのも久しぶりだし、みんなね、楽しみにしてたの。あたしもたくさんお料理を手伝ったのよ」

「それはありがたいな。早くご好意に甘えよう、ヴェン」

「はい、そう、そうですね……」


 ランディが機嫌良く納得している様子なので、ヴェンシナは腹を括ることにした。

 農作業や教会の掃除も、薪割りも、お坊ちゃま育ちのランディには、余暇の良い楽しみになるかもしれない。なるに違いないと、自分に強く言い聞かせてみる。

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